Q&Aコーナー

質問

 古代ギリシャの数学者・物理学者のアルキメデスが発見した物理学の「アルキメデスの原理」は、彼が風呂に入っている時に、浴槽から溢れた湯を見て思いついたとされていますが、古代ギリシャ時代に個別の浴槽に入る(浸かる)習慣はなかったはずです。挿絵などにある木製の浴槽に入っている絵は16世紀に書かれたもので、当時の風習を反映したものではないようです。では、アルキメデスはどんな風呂に入っていたのでしょうか。いろいろな資料を見ても不明でしたので、ご質問させていただきます。

(質問者: 加藤俊之様)

回答

 ご質問ありがとうございました。

 有名な「エウレカ!」の逸話ですが、調べてみると典拠はウィトルウィウス『建築書』9巻序10でした。

「そこでかれはこの問題に心を配っていた時、たまたま浴場に行きそこで浴槽におりた時その中に沈んだかれの身体の量だけ水が浴槽の外に溢れたことに気がつきました」(森田慶一訳)

 この引用箇所で浴槽には、soliumという語が使用されています。これは、もともとは(玉)座を表す語であり、Oxford Latin Dictionaryの新版で“Solium” 3 A bathtub (esp. as an individual bath in a bathhouse)の項に挙がる幾つかの事例を繙いてみたところ、例えば、プリニウス(Nat. 26.8)にはハンセン病治療のために温かい人間の血の入った浴槽に浸かるというゾッとする話が出ているほか、スエトニウス「アウグストゥス伝」82.2では、「リューマチの治療のため、暖めた海水やアルブラの硫黄温泉を利用せねばならぬとき、いつも彼が『ドゥレタ』とヒスパニア語で呼んでいた木製の浴槽に坐って、手と足を交互に湯の中につけて満足していた」(国原吉之助訳, 岩波文庫)とあり、ある程度、「(湯に)浸る」ことのできる形状であったことを窺わせます。ただ、これらはいずれもローマ帝政期の事例となります。

 では、こうした形状の浴槽がいつまで遡れるかですが、アテナイのアゴラには、古典期のものとされる石製の浴槽(図2)が発見されており、小さめの規模の公衆浴場バラネイオン(βαλανεῖον)の一部と考えられています。この浴槽は、図2のように浴槽内部に段差があって腰掛けるような構造になっており、こうした個人用のヒップバスが花弁状に並んで配置された公衆浴場は古典期には一般的とされています(これについては、同Q&Aコーナー2020年11月09日「古代ギリシアのお風呂」もご参照ください)。

 上記のウィトルウィウスの引用箇所でも「浴場」にbalineum (balneum)という語が使用されており、これはギリシアのバラネイオンに由来する語ですから、その浴槽も似たようなものと類推されます。但し(この浴槽をギリシア語でなんと呼んでいたかまで特定するに至りませんでしたが)、全身浴はもちろん半身浴としても小さすぎるように感じる一方で、腰掛けるスタイルという点では座席が原義のsoliumとイメージ的に近いものを感じます(上記「アウグストゥス伝」にも「坐って」とあります)。少なくとも、ローマ時代には古典期のヒップバスの形状を継承しつつ、腰掛けの段差構造を備えある程度湯を貯めることのできる深みを持つ浴槽が存在したということになるでしょうか。他方で、シチリアのモルガンティナにある前3世紀頃とされる浴場遺跡からは、複数名が横に並んで膝立で坐って肩まで浸かれる大きめの浴槽も見つかっていますが、soliumのイメージからすると、アルキメデスが入ったのはこのタイプの「大浴槽」ではなかったような気がします。

 ということで、あと一歩確定には届いていないのですが、手持ちの資料などから考える範囲では、アルキメデスが入ったお風呂は段差のある腰掛式で、ある程度湯を貯めて半身浴できる程度の小浴場の中の個人浴槽―というのがさしあたっての回答となります。もし、そうだとすれば、「浴槽におりた時その中に沈んだかれの身体の量だけ水が浴槽の外に溢れた」という事態も想像しやすいものとなる気がします(そういう意味で16世紀の画(図1)は材質はもとより浴槽が大きすぎるように見えます)。

 ところで、既に触れたようにシチリア島では早くから浴場文化が発達し、アルキメデスの活動した時期のシラクサではヒエロン2世がエウエルゲシア(善行)の一環として浴場をはじめとした諸施設を都市住民に提供していました。シラクサのほかでも、モルガンティナ、ゲラといった場所での考古学的調査で、シチリアの浴場文化の一端が明らかになっています(ゲラ遺跡のサイトを文末に挙げておきます)。また、この時期の豪奢な浴場建造物には円筒形の屋根を組み合わせた複雑な構造が認められており、そこにアルキメデス理論の影響を認めようとする研究もあります(結論は留保されています)。

 このように浴場文化が花開いたシラクサという時代背景を踏まえてみると、王から難問を課せられたアルキメデスが、気分転換に訪れた浴場で偶然その解決策を見いだしたというこの逸話も、鮮やかなイメージとともに俄に信憑性を増すように感じられてきます。ただし―仮説的想像にのぼせてしまわぬ用心に水を差しておくと―ロイドはこの逸話にフィクションの可能性を示唆しています。

参考文献

  • D. P. Crouch, Water Management in Ancient Greek Cities, N.Y. and Oxford, 1993.
  • M. Lang, Waterworks in the Athenian Agora (Agora Picture Book 11), Princeton, N.J., 1968.(以下より、PDFで閲覧可能)
  • S. K. Lucore and M. Trümper (eds.), Greek Baths and Bathing Culture: New Discoveries and Approaches, Leuven, Paris, Walpole, MA., 2013.
  • G.E.R.ロイド(山野耕治・山口義久・金山弥平訳)『後期ギリシア科学』法政大学出版局, 2000年
  • ウィトルウィウス(森田慶一訳注)『建築書』東海大学出版会, 1979年

ゲラの浴場遺跡

https://www.gelaleradicidelfuturo.com/en/places-of-interest/bagni-greci/

図版

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図1)アルキメデスの入浴場面を描いた16世紀の画 
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Archimede_bain.jpg (public domain)

(回答者:齋藤貴弘)