Q&Aコーナー

質問

 古代ギリシア人の入浴の習慣についておうかがいします。

 ソクラテスがある宴会に招かれた時、(彼にしては珍しく)身体を洗って出かけたそうですが、古代ギリシアにおける一般的な入浴方法は、どのようなものだったのでしょうか。湯船に浸かったり、石鹸のようなものを使用していたのでしょうか。よろしくお願いいたします。

(質問者:T.T. 様)

回答

 ご質問ありがとうございました。

 アテナイのレスリング場には、前6世紀末にはシャワー設備が備わっているものがあった様子が陶器画から確認されています。ギュムナシオンでの練習の後、水盤で沐浴することも一般的だったようです。公共の泉場で、シャワーを浴びている子供の姿も認めることができます。これらは皆、冷水だったでしょう。このほか、風呂loutronについては、イリアスの時代から確認されますが、一般家庭に風呂の設備が整っていたようには思えません。

 他方で、公共浴場は、ギリシア世界では、前5世紀前半、アテナイのディピュロン門の外側、ケラメイコスに作られた浴場(balaneion)から、徐々に各地に広まったようです。アテナイでは、ディピュロン門の外のもの含め4つの遺構が確認されています。そのうちの一つ、ペイライエウスのムニキア湾近郊のものは、イサイオス第6弁論33節に言及されるセランゲイオンにある浴場と同定されていますが、ある故人の資産で相続の争いの最中に3000ドラクマで売却されたと言われています。

 バラネイオンには、複数人が浸かる大きな浴槽ではなく、個人用のヒップバスが、花弁のように円型に配置される構造となっていました。ディピュロンの浴場は、24席程度の規模だったようです。併設された釜で湯を沸かし、入浴者は、各々このヒップバスに腰かけて温水や(冷水を)掛け流して入浴しました。湯をかける係がおり手数料を支払いましたが、いずれにせよ、入浴にかかる費用は、かなり安価と考えられています。このため、前5世紀後半には入浴がかなり日常化していた様子も窺えます。ただし、温水に浸ることは人を―特に若者―を堕落させるとも考えられていたようで、アリストファネスをはじめ、喜劇作家はこうした風潮を難じてもいます。精神的な価値観、利用環境の違いなどで、庶民の間でも、程度の差はあったように思えます。

 体を洗う際には、海綿が使用されました。また、石鹸については、ものの本には使用されなかったと書かれてもいるのですが、リュンマrymmaと呼ばれる石鹸が、アリストファネス『女の平和』377に言及されています。これは、衣類の洗剤としても使用されたようです(プラトン『国家』 429e)。

(回答:齋藤貴弘)

2020/11/09