古典学エッセイ

中務哲郎:兄弟争いの神話

 河島思朗さんが選んだ今月の表紙絵は、ギリシア人画家ニキフォロス・リトラス(1835-1904)による「ポリュネイケースの遺体の前にいるアンティゴネー」である。空を覆う黒雲がアンティゴネの悲しみの顔をも見えなくさせる一方、ポリュネイケスの輝くような遺体がアンティゴネの兄への思いを表しているようである。

 オイディプスが我が身を追放に処した後、息子たちエテオクレスとポリュネイケスが王位を巡って争い相打ちで果てたことは、現存作品ではアイスキュロス『テーバイを攻める七将』、エウリピデス『フェニキアの女たち』で扱われるし、クレオンがポリュネイケスの埋葬を禁じたことはソポクレス『アンティゴネ』やエウリピデス『救いを求める女たち』のテーマとなっている。

 兄弟争いといえばまずローマ建国時代のロムルスとレムスの伝説が思い浮かぶが、その原型的な物語はギリシア神話に多い。ペロプスの子アトレウスとテュエステスの間には、テュエステスとアトレウスの妻との姦通、黄金の仔羊の横領、テュエステスが殺された我が子の料理を食わされること、テュエステスの子アイギストスの誕生、等の事件があって、アイスキュロス『オレステイア三部作』の世界を準備する。(アポロドロス『ギリシア神話』摘要2.10以下)

 とりわけ目につくのは、相争う兄弟を双子とする話である。ゼウスに愛されたイオは放浪の果てにナイル河畔でエパポスを生むが、その子孫には(一知半解の譬喩を使うなら)まるでフラクタルのような相似た話が再現する(系図参照)。


《系図》

エパポスの孫にあたるアゲノルとベロスはそれぞれフェニキアとエジプトの支配者となっているから、平和的に住み分けたようであるが、ベロスの双生児アイギュプトスとダナオスは領土のことで争った。ダナオスが50人の娘を連れてギリシアのアルゴスに逃れると、アイギュプトスの50人の息子は後を追って来て、仲直りと集団結婚を迫る。ダナオスの指示で、49人の娘は割り当てられた花婿を新婚初夜に殺害するが、一人ヒュペルムネストラはリュンケウスの命を助け、結婚する。彼らの孫にあたる双子のアクリシオスとプロイトスは、母の胎内にある時から争ったという。(アポロドロス『ギリシア神話』2.1.4以下)。似た表現はヘシオドスにも見える。

トネリコの槍も見事なポコスは、[雄々しいデイオンの娘、
アステロデイアを]、ピュラケから[館に連れ帰った。
彼女はクリソス[と驕慢なパノペウスを生んだ。
一夜のうちに[
二人は輝かしい[陽の光を仰ぎ見るより前から、
まだ母親の[胎内にある間から]争っていた。(『名婦列伝』断片60 Most)

この双子はデルポイに近いKrisaとPanopeus(別形Phanoteus)の名祖で、二つの町の争いがここに反映しているかと考えられるが、争いの具体的な姿は調べがつかない。

 テュロは地上で最も美しいエニペウス川に恋して、常にその水に思いを訴えていたが、ポセイドンが河伯に化けて彼女を犯し、生まれて捨て子にされたのがペリアスとネレウス。二人は実の母に巡り会い、それを虐待していた継母シデロを成敗する時には協力したが、後に争うに至った。(アポロドロス『ギリシア神話』1.9.8)。ホメロス『オデュッセイア』11.235以下では、ペリアスとネレウスが争ったとは歌われないが、ヘシオドス『名婦列伝』断片31で「父なるゼウスはネレウスとペリアスの住処を隔てた」というのは、領土をめぐる兄弟争いを示唆するものであろう。

 未生以前の争いは旧約聖書に見えるものがよく知られている。

イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に
聞き入れられた。妻リベカは身ごもった。ところが、胎内で子供たちが押し合うの
で、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋
ねるために出かけた。主は彼女に言われた。
「二つの国民があなたの胎内に宿っており
二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。
一つの民が他の民より強くなり
兄が弟に仕えるようになる。」(『創世記』25.21-23。新共同訳)

先に生まれ出たエサウは狩りに巧みな野の人となり、弟のヤコブは天幕の周りで働く人となるが、後にエサウの長子権と父の祝福を詐取する。

 このヤコブの子孫ユダは長男エルの未亡人タマルと知らずして交わり、タマルは双子を宿す。出産の時、助産婦は先に出た子の手に真っ赤な糸を結んだが、その手は引っこんでしまい、もう一人が押しのけて出て来た。それがペレツ(出し抜き)と名づけられ、後から生まれたのはゼラ(真っ赤)と名づけられた。(『創世記』38.13-30)。この双子も胎内で争っていたのであろう。

 ガスターによると、原初に現れる双子の文化英雄あるいは相争う双子の物語は、隣り合う二つの民・社会・文化の併存ないしは葛藤を反映しているという。二つの民の混淆、一つの民の分裂、牧畜と農耕といった二層の社会構造、このようなことが双子の物語の背後にあるという。そして双子が敵対するのは、二人ともが同一の男親の子ではありえず、一方は神の子に違いないと信じられるところから、二人が優劣を競い合う物語になるのだ、と。

 私がこのような話の連想を進めたのは、現代世界に遍満する紛争、複雑な要因の絡み合う解決不可能と思われる争いも、一段階ずつ溯り原因をほぐして行けば、母の胎内における兄弟争いのようなものに帰一するのではないか、そしてそれを物語る神話に解決の糸口までもが語られているのではないか、と考えたからである。しかし、神話は解決を語らない。フラクタルのようにひたすらよく似た物語を紡ぎ出すばかりである。それ故に、アイスキュロスが『オレステイア三部作』を創作したように、古典作家はさまざまな答えを提示してくれたのに、私たちはあまりにもその成果に学ぶことを忘れている。

 ところで、今月の表紙絵に話を戻すと、祖国を守って死んだエテオクレスも祖国に弓を引いたポリュネイケスも、あの世へ行けば同じ礼をもって遇せられるべきである、というのがソポクレスの『アンティゴネ』の主張であった。当のエテオクレスとポリュネイケスはあの世ではどのような顔で相対しているのであろうか。


《兄弟の交わる道》

 先年私はヘシオドスの生地アスクラを訪れることを思い立ち、テーバイを足場に選んだ。運悪くテーバイ博物館は工事中で見学が叶わなかったので、七つの門の発掘現場と幾つかの丘を巡ることにした。バス駐車場の辺りからまずエレクトラ門を目指して坂を登ると、エテオクレス通とポリュネイケス通が降りて来てほぼ直角に合する街角に出会った。住居の壁には写真のような地名標が貼りつけられてあった。二人は今はあの世で仲良く肩を並べているのであろうか、それとも今なお背を背けあっているのであろうか。直角に並ぶ地名標を見てとっさに思ったのはそのことであった。

参考文献
Th. H. Gaster, Myth, Legend, and Custom in the Old Testament. Gloucester, Mass. Peter Smith 1981 (1969), 163 f.
M. L. West, The East Face of Helicon. Oxford 1997, 440 f.

中務哲郎