古典学エッセイ

渡邉顕彦:古典の力

 以前アメリカの大学で教えていた時、古典学専攻生達がTシャツを作ることになり相談を受けたことがある。学生達は”Classics is power”(「古典は力なり」)という意味のモットーを考えており、これをラテン語にどう訳せばいいのかと訊きにきたのであるが、そこで私も”classics”、つまり「古典」そのものずばりの表現が(皮肉にも)古典ラテン語に無い事に思い当たり、返答に窮したものである。前に中務哲郎先生も書かれた通り、帝政期のラテン語文献には”scriptor classicus”(「最上級の‐転じて古典的な‐著者」)という表現が出現するが、より直接的に「古典(作品群)」の意味を示せる”(opera) classica”のような用法は管見では古代ラテン語には存在しない。ちなみに古典語作文をしていると、近現代人にとっては当たり前の表現や概念が実は普遍的ではないということによく気づかされるのだが、ともあれ上記のTシャツロゴはその後学生達が色々考えた結果、”potestas classica”(「古典的な力」)という形に落ち着いたようである。


カリフォルニア大学デイビス校古典学会のTシャツ

 もっとも古典作家のキケロやウェルギリウスがこの言葉を見ても我々が考えるような意味には彼らは思いいたらなかっただろう。そもそも古典しかない世界で「古典」という概念は生じえない筈である。いわゆる西洋古典の中で古典中の古典はホメロスの2叙事詩であるが、ホメロスあるいは彼に該当する無名の前9~8世紀文盲詩人は、世界的な古典を創造する意気込みをもって『イリアス』と『オデュッセイア』を吟じた訳ではなかろう。後にヘレニズム期になると、「古典」(あるいは「カノン」、つまり「正しい」ギリシア語教育の為の基本テクスト群)の体系化、および「古典」を認識しそれを積極的に受容しようとする姿勢が表れ、さらにローマの共和制末期から帝政初期になると、ギリシアの「古典」を受容しそれを超えられるほどの力を持つテクストを創造しようという意思表現がされるようになる。しかしそれでもようやく形容詞classicusが「古典的」というような意味で使われていることが確認出来るのが紀元後2世紀になってからである。古いテクストに対比される新しいテクスト、「価値がある」(と認識される)テクストと対比される「価値がない」(と認識される)テクストがなければ、特定のテクストを囲って「古典」のレッテルを貼ることが出来ないのは、考えてみれば当然のことであり、古代古典語において「古典」にあたる言葉が中々確認しづらいのも同じく当然である。

 ところでここで度々使ってきた「古典」という日本語だが、これも英語のclassicsに当たるような意味で使われ出したのは意外と最近であり明治以降であるという。文献学者の池田亀鑑によれば、近世以前の日本語にはそもそも例えば日本の「古典」といわゆる四書五経のような中国古典を一括りに出来るような言葉あるいは表現も無かったそうである(池田亀鑑(1991)『古典学入門』岩波文庫11~22頁)。考えてみると、我々が使っている「古典」あるいはclassicsというのは曖昧だが非常に便利な言葉である。なにせ近現代人は、この言葉によって西洋古典もインド古典もアラビア古典も一括りに出来てしまうのであるから。

 このような文化相対主義的な、異文化の古典も(自らの文化伝統の古典と等価的な)「古典」と認めるような考え方がどのような系譜を経て我々まで到達しているのか、浅学な筆者には未だ分からない。ただ近現代的な「古典」概念の誕生について1つのヒントとなり得るのが、もしかすると西洋古典が日本において初めて本格的に学習されたキリシタン時代(16世紀後半~17世紀前半)ではないかと最近考えている。 ついては先日イエズス会士やイルマン達によって編纂された羅葡日辞書(1595年天草刊)をみていて面白い定義に出会った。ちなみにこの辞書は400年以上前のものにも拘わらず、収録語数、定義共に今でも使えるくらい充実しており、しかもうれしいことに完全にデータベース化・公開され検索出来るようになっている(http://joao-roiz.jp/LGR/DB)。ともあれこの辞書内のclassicusをみてみると、熟語の用法としてclassici autoresが挙げられており、ポルトガル語定義はほぼそのままautores classicosなのだが、日本語の定義が若干長くLatinno xouo iyaxiqi cotobauo majiyezu xite caqi voqitaru fitobito(「羅甸の書を卑しき言葉を混じゑずして書き置きたる人々」)となっている。まずこの定義がローマ古典に限定されていることに興味を惹かれる。当時のヨーロッパでは無論ギリシア古典の再発見が可也進んでいたのであるが、日本のイエズス会教育カリキュラムではラテン語古典のみ扱われていたという事実がそのままここに反映されていると思われる。また「卑しき言葉を混じゑずして」という表現も、元々classicusというラテン語形容詞が含む、そして西洋的な「古典」の概念に潜んでいるとも言われる根強い階級意識(Schein, S.L. (2007) “’Our Debt to Greece and Rome’: Canons, Class and Ideology.” in Hardwick, L. and C. Stray (eds.) (2007) A Companion to Classical Receptions. BlackwellHardwick: 75-85)を炙り出しているように見え面白い。

 ただこの羅葡日辞書の定義でも、「古典」のコの字も出てこない。またイエズス会教育を受けたキリシタン日本人達は、キケロやウェルギリウスと並んで日本と中国の古典伝統も原典より学んでいることが当時の資料より確認出来るが、彼等がこれら東西の伝統をある種同等なものと見做していたのかどうか、筆者は知りたいと願いつつ今のところ不明のままである。ただ結城ディエゴ等、イエズス会セミナリヨ教育を経た日本人の書いたラテン語文書を熟読すると、彼等が少なくともラテン語古典の伝統を認識受容し、それを積極的に自らの作文に生かし利用していたことは確認出来ると筆者は信じている。

 古典の力とは結局何だろうか。あるいはそもそも古典、そして西洋古典とは何だろうか。ギリシア・ローマ古典を知らなければ当然その答えは出ないが、西洋古典のみを追求していてもその答えは分からなくなるのではないだろうか。また逆に西洋および古典から一旦離れて見返すと、西洋古典の全体像が、それ以外のものから浮き上がって見える時が来るのではないだろうか。その意味で、日本の西洋古典学者にとって、非西洋文化圏の中で培養される観方は確実に強みとなり得るし、自身のアイデンティティーを確認し利用しながら古典の力を探求していくことが、グローバル社会において存在意義を示す道の一つであろう。

渡邉顕彦(大妻女子大学)