古典学エッセイ

中務哲郎:ナルキッソス 水鏡の話

 1月の表紙絵「ヒュラス」に関連して、高橋宏幸さんが素晴らしいエッセイを寄せてくださった。泉の水を汲もうとして伸ばしたヒュラスの両手が、水に映った鏡像の手と水面で交叉し、鏡像の手はまた彼を水に引きこもうとするニンフらの手と一つになって、美少年の体は鏡の向こうに吸いこまれるようにして消えてゆく。高橋さんはプロペルティウス『詩集』第1巻第20歌の後半をこのように映像化することにより、詩の見事な解釈を呈せられた。

 これを読んで私は二つの像を連想した。一つはジャン・コクトー監督の映画『オルフェ』(1950年)。ジャン・マレー扮するオルフェが「前へ倣え」の姿勢で鏡に向かって進み行き、指先が鏡面に触れて小さな波紋が生じると見る間にオルフェの体があの世へと吸いこまれてゆく。鏡は硬いガラスではなく軟らかい水のようであった。

 今一つは2013年7月の表紙絵、カラヴァッジョ「ナルキッソス」である。絵の説明には、関連箇所としてオウィディウス『変身物語』第3巻339-510行が示されている。ナルキッソスは若者からも乙女たちからも愛される美少年であったが、驕慢なすげなさ故に罰を受けることになる。彼は自分を知ることさえなければ長生きできる定めであったが、水鏡によって自分を知ってしまう。「よこしまな人というのは、ちょうど若い娘に鏡を向けるようにして、いつか時の鏡が顕わにしてしまう」(エウリピデス『ヒッポリュトス』428-430)ように、彼にも自分を知る時が来る。狩に疲れたナルキッソスはとある泉で水を飲もうとして、水面に映る姿に恋をした。それに口づけし抱きとろうと腕を伸ばしても空しく、思いはますます募る。寝食を忘れてその姿に見入ること久しく、漸くそれが自分だと知った時には、憔悴しきった彼の体はかつての美しさとともにこの世から消えていたのである。

 水に映った自分の姿を見るのは危険だとする信仰があり、「水に映った姿を見ている夢は、当人か近い身内の死の予兆である」という(アルテミドロス『夢判断』第2巻7)。醜怪な一つ目巨人ポリュペモスは海のニンフ、乳白のガラテイアに失恋するが(テオクリトス『牧歌』第11歌)、第6歌では逆に、ポリュペモスが言い寄るガラテイアをわざと無視しているとうそぶく。それが証拠に、「何しろ俺の男ぶりも、人の言うほど悪くはない。/こないだも、凪の海の水鏡に映してみたが、/我ながら、顎髭は立派だし、/一つっきりの眼も、なかなかのものだった。/歯なんぞは、パロス島の大理石より白く輝いていたぞ。/だが、邪視の害を受けぬよう、懐に三度唾しておいた」と歌う(第6歌34-39)。唾を吐くのはよく知られた邪視除けの呪いで、水鏡を覗くと邪視に魅入られると懼れたのであろう。(別解は、自分の男ぶりを自慢したため、妬む目に睨まれることを懼れて唾を吐いたとする)。

 ナルキッソスの場合は悲話であるが、水に映る姿に欺かれるモチーフは多く笑話に現れる。最もよく知られるのは『イソップ寓話集』の「肉を運ぶ犬」(133番 Perry)であろう。サモス島のアッコーという女は、鏡に映る自分を知らない人だと思って語りかけたという(ゼノビオス『百諺集』1.53)。ここからはたちまち我が国の昔話「尼の仲裁」が思い出される。田舎者が町で鏡を見て、中に死んだ父親がいると思い買って帰り、長持に隠して毎日対面する。怪しんだ女房が鏡を覗き、隠し女がいると言って喧嘩になる。尼が仲裁に入り、隠し女は詫びて頭を剃ったととりなす(稲田浩二『昔話タイプ・インデックス』1102番)。

 類話は世界中に広まっているが、驚くほどよく似た二話を並べておきたい。一つは『ギリシア笑話集』33番「井戸に落ちた毬」。原題はPhilogelōs(笑い好き)、3〜5世紀の成立と考えられる。一つは『笑府』巻11、483番「チェンツ」。チェンは毛に建、ツは子。皮や布で銅貨を包み、羽根をつけて蹴り上げる玩具とする。明の馮夢竜(ふうむりゅう、1574年生れ)の編である。二話が独立発生したのか借用関係にあるのかを知りたいところである。

 うつけ者の息子が毬遊びをする。毬が井戸にはまったので覗きこみ、自分の影を見て、毬を返せと言った。そして毬が取り返せないと言って父親に訴える。うつけ者は井戸を覗きこみ、自分の影を見て、「旦那、せがれに毬を返してやっておくんなはれ」と言った。

 子供がチェンツを蹴って遊んでいて、たまたま井戸の中に落っことしてしまった。そこで井戸の中をのぞきこみ、自分の影を見て泣き出し、「ぼくに返してくれ」といっている。父に「どうしたんだ」ときかれて、「チェンツを井戸の中の子に取られたんだ」という。おやじも井戸の中をのぞきこむと、自分の影を見て、「お前さんの家の子供もチェンツが蹴りたかろうが、うちの子供だって、蹴りたくないわけじゃないんだぜ」(松枝茂夫訳)

中務哲郎 2022/2/20