西洋古典学への誘い

西洋古典学を学ぶきっかけ

 自分が西洋古典学の世界へ足を踏み入れるきっかけになった理由には間接的なものと直接的なものがある。

 間接的なきっかけは、だいぶ昔に遡る。小さな頃から身内の事情で欧米諸国へ行く機会があったが、どこかの街のどこかの大きな美術館を見学していた折のことである。詳細は忘れてしまったが、目の前にあるキャンバスには男性が描かれており、その人の両目は潰れて、その人の顔には苦悶の表情が浮かんでいた。その絵を見て恐くなった私は、近くにいた大人に「この絵はなに?」と聞いた。答えは「この人は古代ギリシャの有名な王で、大きな罪を犯してそれに耐えられなくなって自分で目を潰してしまった」というものだった。小さかった自分はそれを聞いて衝撃を受けた。人に傷つけられるならまだしも、自分で自分を傷つけるとはなにごとか?と理解に苦しんだが、なにがこの人をそこまで追いつめたのか気になって、もっとその人のことを知りたいと思った。その記憶は今でも鮮明に残っている。同時に、この大きな美術館に架かっている絵や彫刻のほとんどは神話や聖書など西洋の古い物語を題材にしているらしく、それらを読めば、美術館にある作品をもっと理解できるようになるかもしれないと思った。それから子供向けのギリシャ神話や星座の本などに興味を持つようになり、昔天文部だった母の影響もあり、小中学生時代にはよく星空を見上げて星座をなぞったり、それに関連する神話を思い出してそれについて母と話したりした。これは自分にとって記憶の奥底に眠っていた遠い思い出だが、後に間接的に重要なきっかけとなった。

 高校時代は西洋の文学や語学に興味は持ち続けていたものの、それによって 将来何をして生きて行けるのか、具体的なヴィジョンを持つことはできなかった。両親は実学である法律を修めることを勧めたため、まずは素直に従ってみた。しかし心から興味を持つことが出来ず、弁護士や企業法務などを目指す周囲の雰囲気に常に違和感を感じ続けていた。気が入らないままとにかく修士までは進んでみたが、これ以上この分野で研究を続けることは出来ないと思い、両親の反対を押し切って独り立ちするため、一般企業に就職することにした。大学という閉鎖された世界から外界へ出てみると、世の中はまるで違う原理に基づき、違う時間の流れの中で、違う目的のために動いていることを知り、大きな衝撃を受けた。大学時代の常識は一切通用しなかったし、むしろ上司には学歴だけで一般常識のない人間と叱られた。自分の自由な時間はなく、毎日朝から晩まで、よく言う「歯車の一つ」としての生活を必死に送った。そして、実際に失ってみて初めて、大学時代に有り余るほど持っていた自由な時間の有り難さに気づき、それをただ無為に消費して来たことを猛烈に後悔した。一度きりの人生なのだから、本当に自分が興味のあることをしなければと痛切に感じ、まずは法学部時代からお世話になっていた恩師を母校に訪ねた。そして本当は子供の頃から憧れていた西洋の文学、特に西洋文化全ての根幹である古典を学びたいと熱く語った。すると文学部の古典学関係の一般教養授業に出てみるよう勧められた。授業に参加してみると、忙しい日常の中で忘れかけていた、小さい頃には親しかった古代の神話や英雄が次々と脳裏に思いおこされて来た。そして本当に興味のあることに接する愉しさを感じ、歓びを禁じ得なかった。知的好奇心、向上心に胸が躍った。興奮冷めやらぬまま帰宅し、その日のうちに職を辞して再度学生となり大学に戻ることを決めた。実際に大学に戻るまでにはさらに準備期間が必要だったけれども、以上が西洋古典学の世界へ足を踏み入れることになった、直接的なきっかけとなった。

宮坂真依子(京都大学大学院博士課程)