日本西洋古典学会第51回大会研究発表要旨

キケロー『善と悪の究極について』の歴史的範例
高畑 時子

 Cic. Fin.という作品の意図について、H.Uri等は、哲学諸派の学説の単なる紹介にあるとする。が、作品に言及される父祖の範例 exempla maiorumは、Cic.が理想とするローマ国家像を反映する。本発表は、これらの範例の使われ方を、De Orat.などが示す理論をも援用しつつ検討し、それを通じてDe Fin.の独創性を考究したい。
 各巻で範例の言及の仕方は明確に異なるが、特に3巻が着目に値する。Cic.は、1巻で対話者 Torquatus にエピクロス派の学説とローマの範例、国家の理想が一致しうると主張させ (1.34ff.) 、これに対し2巻で、偉大なローマ人は快楽ではなく徳を行動の規範とした、と多くの範例を用いて反駁した。そこで3巻ではvirtusを行動の基本方針とするCatoの主張にはCic.も原則的に同意するし、Catoも1巻のTorquatus同様、ストア哲学がローマの範例に一致することを主張しようとしている(3.11) ので、 徳にすぐれたローマ人がストア派のように行動したという例が数多く挙げられることが予想される。ところが、Catoはこれをしないどころか悪しき先例をただ一カ所 (3.75) で挙げるのみである。こうした3巻での範例使用の偏りを本発表は、ストア派へのCic.の批判の顕れであると考える。すなわち、ストア派が実践的な修辞技巧を欠き、その理念はローマの政治、社会活動の中で実現性に乏しいという批判であり、それはPro Mur.におけるCatoとCic.の論議とも一致する。
 範例は高潔と利得を検討する哲学的議論に最適な修辞技巧であり、その点でFin. が扱う最高善の問題に適切であった。と同時に、その実際的性格がCic. の重視する実践ともよく調和する。こうした範例が Fin. の中で pro patria というCic.の政治理念をまず第一に表現することを見るとき、そこにCic. 独自の政治的、哲学的理想がそれにふさわしい表現をもって示されているように思われる。

キケロにおけるReligioの検討
小堀 馨子

 ローマ宗教に関しては、従来「宗教の本質」を問う議論の不毛性がしばしば指摘され、現在、「宗教の本質」論には深く立ち入らずに、ローマ宗教の形態のみの叙述に限定する傾向がみられる。しかし、「ローマ宗教の本質」を問うのではなく、その「特質」を観察し説明を試みることにはなお意味があるのではないだろうか?本発表では、ローマ人の宗教の特質について"religio"を中核とする若干の同種の概念を手がかりとして考えてみたい。
 ローマ人自身の「宗教性」について自覚的に省みている最も初期の著作家としては、キケロとウァッロが挙げられる。本発表ではしばらくキケロに注目し、彼の様々な著作に現れている"religio"をまず取り上げて検討する。
 キケロは「神々の本性について」II,72で、"religio"の語源を、教父たちが唱えて現在通説化している"religare"ではなく、"religere"であると主張する。そして、"religio"は"iustitia erga deos"つまり「神々に対する正しさ」であると定義し、一日中一家の無病息災を祈って神殿で時間を過ごすような"superstitio"つまり「迷信」とは異なった、神々との正しい関係性を指すと述べる。ここで、人は神に対して「畏れ慎む」態度を取ることが正しいことであるとされる。そしてこの神と人との間の正しい関係性をいかに保つか、ということが最大の関心事になるのである。
 キケロの議論を通して見たローマ宗教は、「人と神との関係のあり方」を重視する宗教であった。そしてこのような態度は、古代イスラエルにみられる如き明確な「預言者」の存在を前提としていないために、宗教研究者の側からは宗教的な態度とは認められていなかった。ここでイスラエルとローマの比較には立ち入らないが、発現形態が多少異なっていようとも、ローマ人もまた十分「宗教的」な人々だったのであり、そしてこの「人と神との関係のあり方」の重視にこそローマ人の宗教的特質が表れていたのだと論証してみたい。

本質と現実性−『形而上学』Η巻第6章における一性の問題−
岩田 圭一

 『形而上学』Η巻第6章は、アリストテレスの実体論が展開されるΖΗ巻の末尾に位置し、一般に、彼の実体論をしめくくる役目を果たすと考えられている。その章で論じられるのは、「円形の青銅」のような定義をもつもの(すなわち質料と形相からなる結合体)については定義の一性の問題(すなわち定義項に二つの要素があるのに被定義項が一つのものを指すのはなぜかという問題)は生じないということである。その際に「質料‐形相」が「可能態‐現実態」の対概念によって捉え直されるのであるが、解釈者の多くはここにアリストテレス形而上学の真価を認め、この章を彼の実体論の結論部とみなすのである。
 この問題の解消それ自体には異論はないと思われるが、この解消における「可能態‐現実態」の果たす役割については解釈が分かれる。一般的には、この対概念の導入によって問題は解消されると解釈されるのであるが、最近になって、この一般的解釈はΖΗ巻の大半を費やして構築された質料形相論の不完全さを認めることにつながるがゆえに正しくないという反論がLouxによって提出された。前者に関しては、その対概念の導入による問題解消の意味について考察の余地がある。また後者に関しては、形相が質料に述語づけられているだけで一性は満たされているという述語づけ偏重の立場をとっているところに反論の余地がある。
 本発表では、「可能態‐現実態」への言及だけで問題が解消されたと安易に考えることも、述語づけ偏重の立場にくみすることもせず、アリストテレスが問題解消に際して「可能態‐現実態」を引き合いに出すのはなぜなのかについて明確な説明を与えることを目指す。主要テクストとしてΗ巻第6章に加えて、Ζ巻第17章を取り上げ、「可能態‐現実態」による問題解消のうちに、現実態としての形相ないし本質が感覚的事物の把握を可能にする根拠として存在するという主張がこめられていることを示したい。

石打ちの刑とパルマコスの儀礼
平山 晃司

 石打ちは古代社会において広く行われていた集団的制裁の一形態であり、ギリシアでは共同体を危機に陥れた犯罪者、とりわけ宗教上の罪を犯した者に対する刑罰として知られていた。だが、石打ちは本来、浄化儀礼ないし贖罪儀礼としての宗教的な意味を持っていたと考えられるのである。その根拠の一つとして、いくつかの都市において石打ちがパルマコスによる浄化儀礼の一環として行われていたという事実がある。
 アテナイおよびイオニア系の諸都市では、毎年タルゲリア祭の期間中に、また疫病や飢饉などの災厄に見舞われた時に、国内から特に醜くて貧しい者をパルマコス、すなわちスケープゴートとして選び出し、共同体全体の罪穢れを一身に背負わせて追放、あるいは殺害した。
 この儀礼に関して、古代の注釈家や辞典編纂者の多くはパルマコスが殺害されたと伝えているのに対し、同時代の作家の証言にはそれが見られない。つまり、パルマコスに石を投げつけるという行為が、単にこれを放逐するためになされたものなのか、それとも殺害を目的としてなされたものなのかについて、両者の間に食い違いが認められるのである。
 D. D. Hughes は Human Sacrifice in Ancient Greece (1991) の中で、この問題の解決を試みているが、その議論にはなお再考の余地が残されていると思われる。本発表では、ヒッポーナクスの詩の断片をはじめとする関係資料を再吟味し、石打ちの刑そのものの持つ意味を問い直すことから始めて、そもそもなぜ石打ちがパルマコスの儀礼の一環として行われるようになったのかを考え、そのことを通じて、件の問題が、単にパルマコスが殺害されたか否かということにとどまらぬ複雑な背景を持つものであることを指摘したい。

『パイドン』のミュートスの哲学的意義
古田 智子

 プラトンの思想は対話篇の文脈中に徹底的に相対化されて現れる。文脈を捨象して断片的な同一テーマの思索を収集し、そのテーマに対するプラトンの思想を一般的な形で再構成しようとしても徒労に終わる。このことはミュートスの哲学的意義というテーマについてもとりわけよく当てはまる。それを考察するためには、まず個々のミュートスを対話篇の文脈中に置いて、対話者の性格付けということも含めて考えた上で、その果たす役割を考察すること(スミークロロギアとも思える作業)が不可欠である。本発表で試みられるのはそうした一作業である。
『パイドン』のはじめに「死の練習」としての哲学という概念が提示される。差し当たってそれは善く生きた者の死後の幸福という素朴な信仰に立脚するミュートス的なものに思え、そこから魂の不死性のロゴスによる論証が要請さる。それに応えて議論が展開し、最後にミュートスが語られる。全体として見れば『パイドン』は「死の練習」としての哲学に対する弁明と勧めであり、その枠組みの中に魂の不死性を証明しようとするロゴス的な思索が展開される。その思索は魂の不死性の意味そのものに多くの疑問を投げかけるし(不死なる魂はパーソナルな性格をもつか否か、不死とは時間的永続性の意か否か等)、さらには「論証」の意味と論証のロゴスの在り方についても疑問を惹起する(自然学的ないし生理学的な説明方式としてのロゴスの在り方、また最終証明におけるロゴスの在り方)。
これらの問題を射程に入れつつ、魂の不死といういわば限界的テーマにソクラテスがどのように切り込むのか、ロゴスの後のミュートスに託されるものは何か、またそもそも哲学のロゴスとはどのようなものか、さらには「死の練習」「浄化」としての哲学がプラトン思想の中で占める位置は何か、を考察したい。

アテーナイのパトロネジと政治的ダイナミズム
佐藤 昇

 古典期アテーナイは、直接民主政の典型と評されながら、五世紀前半までは由緒ある家柄に属する者たちによって政治が行われていた。ペロポンネーソス戦争期までには新興富裕層がこれに参入するようになるも、恒常的、積極的に政治参加し、実際の政治を展開させていた政治家たちは、限られた社会層に属していた。
   しかしながら、政治家の中には、家柄も経済的基盤も欠如していながら、政治家としての足跡を残す者も少なからず存在していた。従来、彼らの政治活動に関しては、収賄やシューコファンティアーを通じての経済的利益獲得が、これを可能ならしめていたとの説明が付されていた。ところが、専門化が進むと共に、政治家には政治活動をする上で不可欠な情報や知識を豊富に獲得する必要が生じ、上記の如き経済的説明では、政治活動の経験に乏しい中小市民の積極的政治参加を十分に説明できない。
 比較的低い社会層に属しながら、積極的政治参加を志向する者の内、その活動の軌跡が幾分明らかな人々に関して分析すると、彼らが富裕者や政治的指導者とパトロネジ関係を結んで活動していた事例が見出される(パトロネジ関係の存在に関しては別稿で詳論する予定である)。パトロネジ関係の形成は、上位者による物品や金銭等の恩恵によって、下位者に経済的余裕をもたらし、恒常的政治参加を可能ならしめ、同時に、上位者を含む政治グループとの交流によって、内政外交に関わる知識や情報源を獲得させ、政治家として必要な資質を身に付けさせる機能も果たしたであろう。こうして政治参加の機会を得た者の中から、実力に応じて指導的地位に立つほどの者も現れた。これらの事例から、四世紀のアテーナイでは、こうしたパトロネジ関係が、中小市民の政治家としての地位向上の為の社会的装置として機能していたと言えよう。

喜劇のカタルシス
北野 雅弘

 アリストテレス『詩学』の亡失第二巻は、一部に異説を唱える研究者もいるが、喜劇論と、悲劇及び喜劇のカタルシスについてのより詳細な議論を含んでいたと考えられる。Tractatus Coislinianus がどこまでアリストテレスの喜劇論を反映しているのかは議論が分かれるが、『詩学』の悲劇論と悲劇的カタルシスの概念の再検討、さらに、『ニコマコス倫理学』の滑稽等の喜劇的性質についての議論から、彼の喜劇論、および喜劇のカタルシスについての理論をある程度再構成することが出来る。
 アリストテレスにとって、「筋が悲劇の魂」であるのは、悲劇が「行動の模倣」であることから直接帰結する。悲劇はその「固有の快」を満たすために、特定の行動のパターンを守ることによって、悲劇固有の感情である「あわれみとおそれ」を正しく喚起し、「高貴な人間の破滅」の物語が陥りやすい「嫌悪感」を避けなければならない。悲劇のカタルシスとは、『政治学』で説明されている「あわれみ」や「おそれ」の帰結としての感情効果であるとともに、そうした 感情効果を生み出すため、悲劇の行動を「嫌悪感」から浄化するというプロット上の配慮でもあった。
 喜劇においても類似の状況が見いだされる。喜劇もまた、「行動の模倣」である以上筋が最重要の要件になり、適切な快の条件であるg。loionと陥りやすい不適切な感情効果を生み出すcgowを持ち、それを避けるために特定のプロットを必要とするのである。そしてそうした配慮はアリストファネスの喜劇にはあまり認められないものでもあった。
 本発表は、喜劇に要請されるプロット上の配慮から、喜劇のカタルシスの性質とアリストテレスにとってのあるべき喜劇の条件を導き出し、アリストテレスの喜劇論とTractatus、また中喜劇・新喜劇との関係を論じようとするものである。

アキレウス・タティオス『レウキッペーとクレイトフォーン』における二重性について
中谷彩一郎

 アキレウス・タティオスの『レウキッペーとクレイトフォーン』は、従来構成が途中で崩れていると言われてきた。だが近年、欧米で古代ギリシア恋愛小説の研究が盛んになるにつれ、この考えは見直されつつある。本発表ではこうした研究状況を踏まえつつ、作品構造の二重性という点に着目して『レウキッペーとクレイトフォーン』を分析する。
 ここでいう二重性とは、事物の形状や構造(e.g. 三巻冒頭のアンドロメダーとプロメーテウスの二対の絵、五巻冒頭のフィロメーラーの絵の入れ子構造、シドーンの港の二重構造)、物語の展開(e.g. 絵画描写とつづいて起こる出来事の具体的な対応関係)、人間関係の対称性、修辞的な表現(e.g. 二重の死)などを包含する。こうした手法自体は、現存する他の古代ギリシア恋愛小説はもちろん、西洋古典の他のジャンルでもよくみられるものである。しかしアキレウス・タティオスでは、この二重構造がさらに三重、四重と次々に重なり合っていくという特徴がある。この特徴はこれまでにも、絵画や夢の描写が後で起こる二つの出来事を暗示することなど一部の事例については指摘されてきたが、包括的に示されることはなかった。
 こうした重層構造の連鎖の源には、作品冒頭におかれたエウローペーの絵の存在がある。この絵画描写は従来、ロンゴスの『ダフニスとクロエー』序の絵への高い評価に比べ、低くみられてきた。恋物語へのつなぎの働きとエロースという主題を提示している点を除けば、三巻と五巻冒頭の絵と形式的に並置されたものにすぎず、それぞれ次に起こる出来事の予告になっているだけだというのである。  だが実際には、ロンゴス同様に物語全体の核として機能している。すなわち、エウローペーの絵に端を発する様々な「二重性」、このキーワードが物語全体の構造を貫いているのである。

Timaeus 31b4‐32c4再考−宇宙の身体の不滅性のテーゼと立体幾何学−
和泉 ちえ

 Timaeus 31b4‐32c4においてプラトンは、「宇宙の身体は、これを結合させた当事者以外の何ものによっても解かれえない」(32c3‐4)という宇宙の身体の事実上の不滅性のテーゼを導出する。しかしながらこのテーゼは、「宇宙は物体的なもの、可視的、可触的なものでなくてはならない」(31b4)というその前提命題に対して、本質的に抵触するものでもあった。なぜなら、「物体的なもの、可視的、可触的なもの」とは、例えばPhaedo において明瞭に看取されるように「死すべきもの」の主要諸属性であり、宇宙がこれらの属性を有する限り、その身体の不滅性は帰結し難いからである。宇宙がその物体的属性の故に滅亡の危機に晒されるという事態は、例えばPoliticus に登場するミュートスの根底に流れるモチーフでもあった。
宇宙が物体的属性を有するにもかかわらず、なぜTimaeus においてその身体の事実上の不滅性が主張されうるのか。本発表はプラトンの論拠の内実を、Timaeus 31b4‐32c4をもとに考察する。このテクストの箇所において特に着目すべき点は、31b4に現れるsomatoeides という宇宙の物体性を指示する言葉が、32b1においてstereoeides という術語に置換されている、という事実である。後者の言葉は、プラトンにおいて唯一この箇所にしか登場しない。
本発表はこの言葉(stereoeides)が、LSJが提案する「of solid nature」を意味するというよりはむしろ、存在の不滅性を了解事項とする幾何学的三次元延長体を積極的に指示しうることを、32b1‐2で言及される立方体倍積問題を背景にもつ二つの比例中項の発見をめぐる問題、また31c4ff.に登場する平方数および立方数をも含む比例式の意味、さらには31b6 において二度も言及されるstereon の言葉が含意する事柄に新たな解釈を加えつつ論証し、プラトンがなぜTimaeus において宇宙の身体の不滅性を論証しえたのか、その背景を考察する。さらに、Timaeus においてプラトンが展開するその他の宇宙論的諸テーゼの論拠を構成する諸概念が当時の立体幾何学の成果と如何なる関係を切り結ぶのか、この問題を射程にいれつつ、Timaeus 解釈のための新たな視座を提案したい。

テウクロスの生まれとアイアース埋葬論争
小林 薫

 これまでのソポクレース『アイアース』研究では、アイアースの登場場面、とりわけいわゆる「偽り演説」の評価に議論が集中し、Ai.の自害以降の劇展開が充分に扱われてきたとは言い難い。特に第3スタシモン前後の、テウクロスとメネラーオス、アガメムノーン兄弟とのAi.の埋葬をめぐる論争(アゴーン)は、劇の統一性を損なうとする評価が少なくない。本発表はこの論争を取り上げ、その劇全体との関係を検討する試みである。
 アトレイダイによる埋葬禁止という題材自体は散逸した『小イーリアス』に遡ると思われるが、特に本劇ではこの埋葬をめぐる二つの論争に、I. Ai.のギリシア軍に対する行ない、II.ギリシア軍における両将軍の統帥権の正当性、III. Teu.の身分、の三つが主な争点として組み込まれている。このうちIII.でのTeu. の主張は、自分がサラミース、トロイアー両王家の血筋を誇る者、血を分けた兄Ai.と一心同体に戦う弓の名手であるというものだが、Men.、Ag. 両将はそれに対し、非ギリシア人の捕虜を母とする庶子という生まれ、弓兵という立場故に彼に嘲笑を浴びせ、軍での発言権を否定する。ではなぜAi. 埋葬に直接関係するとは言い難いTeu. の身分が、ここで他の二点と共に争われているのだろうか。
 本発表では、III. をめぐって対立する双方の主張が、I.、II.をめぐる各々の主張の依拠する価値規範を反映しており、Ai.をいかに評価すべきかという問題、ひいてはAi.埋葬論争全体と密接不可分に関わることが確認される。さらに、III.が争点となることで劇前半におけるAi.の、とりわけ「生まれ」の自明性に依拠した言動が疑念にさらされており(生まれの貴賎の判断基準は何か、生まれの貴賎は人間の性質をどの程度規定するのか)、その限りにおいて劇前半と当該箇所を中心とする劇後半とを関係づける役割をも果たしていることを指摘する。こうして得られた当該箇所の理解がそれ以降の場面を解釈する際に有益であることも、併せて言及したい。

プラトン『国家』篇における<悪人>論──<不正な生の選択>をめぐる一考察──
栗原 裕次

 『国家』篇第8・9巻でプラトンは、四種類の不正な人の生成過程を順次解説している。例えば、名誉を愛する不正な人は、父親により魂のロゴス的部分を育まれ、母親等により欲望的部分・気概的部分を養われるとき、自ら魂内の支配権を気概的部分に引き渡す(par。dvke)ことで生成する(cf. 550a4‐b7)とされる。プラトンはこうして<環境による性格形成>という受動的要素と<生き方の自己決定>という能動的要素によって説明するのである。ここには「生の選択」という『国家』全体に通底する重要なモチーフが見出される。では不正な生の選択のメカニズムはいかなるものなのか。
 T. Irwin(Plato's Ethics, 1995)は生の選択を、魂のロゴス的部分が人生の目標(名誉・富etc.)を熟慮した上で決定することと解釈した。彼に限らず、ロゴス的部分を選択主体とするのは自明視されているが、こうした読解はテキストによって支持されないばかりか、プラトンが生の選択を語るときの視座を捉え損なっているように思われる。本発表で私は、不正な生の選択が魂全体によってなされること、しかも自己のあり方や人生の目標についての熟慮がないままなされること、を論じる。そのためにまず第2・3巻の初期教育論を考察し、性格形成の受動的側面(ドクサの内化)に光を当てる。その上で第8・9巻の生成を巡る議論を分析し、プラトンが受動的側面を強調しているにも拘らず、なぜ、能動的要素(生の自己決定)を説明に加えたのかを問題にする。さらに、第4巻末尾で正義・知との対比で語られる不正・無知に関するプラトンの見解に基づいて、不正を生み出すのに寄与するドクサとそれに含まれる誤りに無関心な魂全体の状態が不正な生の選択主体であると結論し(cf. 591a5‐592b6, 508d4‐10; 476d5‐6)、最後に、プラトンの眼差しが「魂の気遣い」を欠いた一般大衆に向けられていることを示唆する。

トゥキュディデス『戦史』演説部分におけるgnomeとtyche
青木千佳子

 トゥキュディデスの歴史叙述の特徴としてしばしば挙げられてきたものに、「厳密さ」がある。この特徴は、彼の文体から受ける印象だけでなく、事件の因果関係の説明から不確定な要素を排除した、叙述に対する彼の姿勢にも当てはめることができると考えられていた。本発表では、この特徴について再検討を試みるために、彼の叙述の中にあらわれるgnomeとtyche の対比に注目する。gnome は、具体的な「政策」「意見」といった意味で用いられていることが多いけれども、ここで問題となるのは、gnomeという、人間の理性に通じる語が、tycheという、それとは全く対照的な言葉とともにしばしば語られていることである。tyche という言葉が頻繁にあらわれる点は、先に述べた特徴と相容れないようにも思われるのである。これらの言葉の対比に着目した研究にL. Edmunds によるものがあるが、彼はそれぞれの言葉にモデルを想定し、二つの対照的な言葉がトゥキュディデスの歴史叙述の重要な枠組みとなっていると主張した。しかし、Edmunds のたてたモデルに無理があるために、そこから引き出された結論も再考の余地が残る。
 本発表は、Edmunds の研究もふまえて、gnome、tycheといった言葉がどのような文脈で用いられているかを整理する。そして、演説部分にあらわれるものを主に取り上げ、トゥキュディデスの歴史叙述の中での演説のもつ意味も視野に入れつつ、二つの言葉の働きを考察する。この考察の結果から、事実を「厳密に」再現しているかどうかという視点だけでトゥキュディデスの歴史叙述が語られるべきではなく、事件の背景にある「真実らしさ」の表現も彼の歴史叙述の重要な特徴の一つに挙げられるということも確認できるだろう。

Resp. X のミーメーシス論について
小池 澄夫

 『国家』の本格的なミーメーシス論は、「ミーメーシスとは全般的にいってそもそも何であるか」の問いからはじまる第X巻の「形而上学的考察」においてなされているようにみえる。だが、考察の範例として引き合いに出されているのは「寝椅子の絵」である。似像の概念はすぐれて視覚的なものであって、音楽・文芸系統のミーメーシスにそのまま適用するのは素朴にすぎると思われる。寝椅子の絵はミーメーシスが全般として何であるかを示すのに適切な例だろうか。またそこから引き出される結論として、(すべての) 詩は、原物の直接的な把握に代えて、似像を(真を装う虚偽を) つくりだすものであるがゆえに断 罪されなければならないというのは正当だろうか。一部に根強くある見解として、プラトンの思考を貫く強い視覚偏向が、そのような転移拡張に現われているという非難が繰り返しされてもいる。
 しかし、この「形而上学的考察」の場面で、詩が強引に (まして無造作に) 絵画 へと類同化されているというのは事実ではない。ここで似像制作の観点が導入されたのは、第一に(III巻においては「いかに語るべきか」の語り方が焦点であったのとは違って)、語られる内容が問題になっていること、第二に(ここで論難の対象となっている) 詩人はあらゆるものごとをミーメーシスすること、さらに第三にどんなことについても誰よりも正確に知っている(と世間に思われている) ことによってである。したがって、詩が何かのコピーであるのは、このような夾雑による結果であり、プラトンが意図的に行った絵解きである。
 このような解釈はしかし、非ミーメーシス的な詩の存在を容認することになり、従来からも強く行われて反論を受けるだろう。詩が似像制作の意味でミーメーシスであるという主張は成り立たないと私は考えるが、当該テキストに照らしても立証できるかの吟味を兼ねて、この「形而上学的考察」を中心に、X巻のミーメーシス論を再検討する。
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