研究ノート
末吉未来:合唱隊の「偉い人」
古今東西いかなる組織にも「偉い人」は存在する。ギリシア世界の宗教儀礼に欠かせない存在であった合唱隊(以下「コロス」)も例外ではない。「合唱隊」あるいは「コーラス」という言葉が持つイメージとは異なり、ギリシアのコロスは歌唱のみならず舞踊も同時にこなした。コミュニティを代表して、時には悲劇や喜劇の上演に参加し、時には神に歌や踊りを奉納したコロスだが、その集団という性質が常にリーダーを必要とする。コロスをまとめる「偉い人」、すなわちギリシア語の「コレゴス」を対象とするのが筆者の研究である。
これまでの研究では、コレゴスにはいくつかの類型があるとされてきた。例えば紀元前5世紀のアテナイという文脈で「コレゴス」と言うと、悲劇や喜劇などの上演に参加するコロスに出資したポリスの有力者を指すことが多い。つまり、金銭面でのリーダーである。これに対し、コロスに歌や踊りの合図を出すことで音楽面での指導者的な立場にあった者も「コレゴス」と呼ばれる。音楽的コレゴスに関しては他にもいくつかの用語が適用されるが、それらも研究の対象に含むこととする。
コロスそのものがギリシア世界に広く存在していたこともあり、コレゴスも文学作品のみならず碑文や図像など様々な媒体に登場する。筆者の手法および現在の進捗状況としては、まずは文学作品に注目して「コレゴス」という語がはっきりと用いられている箇所を洗い出し、各々のコレゴスがどのような描かれ方をしているかを分析している最中である。ヘロドトスによる紀元前5世紀の大作『歴史』から例をひとつ挙げてみよう。この作品にはただ一度だけ「コレゴス」という語が登場し(第5巻83節)、とあるポリスの人々が2柱の女神にコロスの歌と踊りを奉納するべく「女神1柱につき10人の男性をコレゴスとして割り当てた」という逸話が語られる。問題は、ここでの「コレゴス」が一体どういう役割を担ったのかが、残念ながら本文からは判然としない点である。アテナイの場合と同じく、宗教儀礼に参加するコロスに出資した人々を指すのだろうか。あるいは、コロスのパフォーマンスを指揮した人々かもしれないが、10人という人数からすれば前者であったと考える方がより自然だろう。このような個別的分析を積み重ねることで、ギリシア世界におけるコレゴスとは一体どのような存在だったのかを明らかにしていきたい。
コレゴスを研究する際の観点は多種多様である。上で挙げたコレゴスは人間であったが、神のコレゴスが人間のコロスを率いる様子が描かれることも珍しくないため、コレゴスに神か人間かという区別を導入することも可能かもしれない。他にも建築物や星々、島々などの無生物の集合体がコロスに見立てられる場合にもコレゴスが存在することがあるが、確かなことは、コレゴスは何らかの形でコロスのメンバーとは異なる性質を有し、集団から突出していなければならないという点である。このようにして、コレゴスを「偉い人」たらしめる要素を探し出し、ギリシア世界のコロス研究に新たな視点を導入できれば幸いである。
末吉未来(ケンブリッジ大学古典学部 博士課程)/2021.10.18