訳者からのメッセージ

砂田徹:リウィウス『ローマ建国以来の歴史7──ハンニバル戦争 (3)』

ローマ人の「宗教」を垣間見る

 『ローマ建国以来の歴史』第7分冊で、リウィウスは毎年のようにして各地から報告される「予兆」を紹介し、それへの対応を記している。城門や城壁が雷に打たれたとか、石の雨が降ったとか、血の川が流れたといった類の予兆である。ハンニバル戦争はローマ人が体験した未曾有の危機であっただけに、これらは長引く戦争で追い詰められた人々の集団心理の現われなのだろう。

 なかでも、とりわけ印象的な話として前207年の予兆がある(第27巻第37章)。この年、ヘルニキ人(あるいはウォルスキ人)の町フルシノで、4歳児に相当する大きさの子供が生まれ、しかもその子は両性具有だったという。そこでエトルリアから卜腸師が呼び寄せられたが、卜腸師は、これは恐ろしく不吉な予兆である、大地との接触を避けるためこの子は海深く沈められなければならないと告げた。赤子は生きたまま棺の中に押し込められ、海に投げ入れられた。ときに一人称で著者としての顔をのぞかせるリウィウスであるが、ここではとりたててコメントを加えていない。ただ、他の予兆とは別枠でかなり詳しく紹介している。

 これと関連して、ハンニバル戦争後の前200年の記述となるが(第31巻第12章)、そこでリウィウスは多くの場所で不吉な姿の生き物が生まれたという知らせのことを伝えている。そのさいリウィウスは、これらの予兆が「自然が道を外れて、別の種類の生き物を生み出しているように思われた」と説明し、「何にもまして嫌悪を引き起こしたのは両性具有のもの」であったとする。両性具有の子供に対しては前207年と同様の措置が取られた。このような「嫌悪」に果たしてリウィウス自身が納得していたのかどうか、当該箇所からはわからない。

 「印象的な話」と書いたが、実のところこれは私にとってかなりショッキングな内容であった。ハンニバル戦争中のこの手の話としては、前216年、ガリア人男女とギリシア人男女が牛広場の一画で生き埋めにされたという有名な出来事がある(第22巻第57章)。だが、そこでリウィウスは、人間の生贄を「およそローマ的な風習とは言いがたい」とコメントしている。それだけに、両性具有の子供の措置に関しても同様のコメントをどこかで期待していたのかもしれない。

 私などはこういったところで躓いてしまうので、これ以上理解が深まらないが、リウィウスの記述は「宗教」で溢れている。軍事史や政治史だけでなく、宗教史に関心のある人にも、ぜひ本訳書を手に取っていただきたい。

*

 金沢大学時代の恩師である大牟田章先生が、アッリアノス『アレクサンドロス東征記 およびインド誌』を訳しておられたさい、日本語は動詞が文末に来るのでどうしても文章が単調になるとおっしゃっていたのを思い出し、それを痛感しながら翻訳を進めた。「した」なのか「する」なのか、あるいは「であった」なのか「である」なのか、それとも「であろう」か、たしかに選択肢は少ない。倒置を多用したのでは効果が薄れてしまうだろう。ささやかな抵抗として、使節の発言は「です」「ます」調で処理し、普段は決して使わない「のだ」を敢えて会話内で多用した。うまくいったかどうか自信はないが。

砂田徹(北海道大学大学院文学研究院特任教授)

書誌情報:
砂田徹訳、リウィウス『ローマ建国以来の歴史7──ハンニバル戦争 (3)』(京都大学学術出版会(西洋古典叢書)、2024年8月)