著者からのメッセージ
毛利 晶:『一つの市民権と二つの祖国 ローマ共和政下イタリアの市民たち』
古代ローマ史でも共和政史は末期を除くと同時代の史料が少なく、特に前3世紀以前は皆無に等しいと言って過言ではない。本書は第1部でローマがラティウム・カンパーニア地域とその彼方に覇権を構築していく前4世紀の後半を扱い、第2部はローマの支配が地中海を越えて広がるなか、都市国家の制度を維持したまま広大な帝国を統治することから生じた矛盾がイタリア支配においても顕在化する前2世紀を対象としており、利用が可能な1次史料は、第2部の後半で扱った碑文に限られる。そのようななかで、単なる仮説の積み重ねに終始するのではなく、少しでも地に足がついた研究を行いたいという願いから、史料のモノとしての側面にまで考察の対象を広げた。古代の文献は、ほとんどが中世に作成された手写本の形で伝わる。私は碑文については若いころ留学中に扱い方の手ほどきを受けたが、古文書学の素養はなく、写本の取り扱いは先行研究から見よう見まねで学んだにすぎない。ただ幸いなことに最近の欧米では、所蔵する写本や人文主義の時代に出版された校訂本、さらには版権の切れた古典的な研究書をデジタル化してインターネット上で公開する図書館が増えている。恐らく蔵書を単なる図書館の所有物としてではなく、公共財とみなす考え方が根底にあるのだろう。そのおかげで、私のように日本の地方都市に住む者も、居ながらにして写本の研究に手を染めることができるようになった。因みに言えば、こうした欧米の図書館の動きに比して我が国では、大学図書館や公立図書館の閉鎖性と連携の悪さが目立つ。特に定年退職して組織に属さなくなると、大学図書館の蔵書へのアクセスが大きく制限されるのが痛い。ほとんどの大学図書館は、蔵書のコピー依頼を所属機関の図書館か、それが不可能なら近くの公立図書館を通して行うように求めているが(国立民俗学博物館図書室のように例外はある)、実際には公立図書館(たとえば札幌市立図書館)を介して大学図書館にコピーを依頼することは、支払い方法などがネックとなって不可能な場合が多い。私は神戸大学付属図書館の利用証を持っているので、関西に住んでいれば何とかなると思うけれど、遠く離れた所にいると在野の研究者を貫くほかになく、しばしば不便やもどかしさを感じさせられる。現役時代に研究誌に投稿した論文をまとめて本とする計画を立ててから10年以上が経ち、今回ようやく、その一部がこうして日の目を見ることになった。残るは文化史。これは史学史(歴史記述)と宗教史の分野に分かれ、目下のところは前者に関連する論文をまとめることに精を出している。しかしこの2年余りはコロナ禍のおかげで大学図書館の利用が以前にもまして難しくなった。またコロナが流行する前は、ほぼ毎年イタリアに行く途中でミュンヘンに立ち寄りバイエルン国立図書館でインターネット上で公開されていない雑誌論文を中心にコピーしたり(最近は図書館にスキャナが設置されているので、コピーで書籍を痛める心配が減り、なによりも複写した論文がUSBメモリー1個に収まるのが旅行中の身には嬉しい〉、日本では参照し難い書籍を手にして気になる箇所をチェックすることができたのだが、今はそうしたこともままならない。恐らくコロナの完全な終息にはあと数年かかるのではないかと思われ、そのときまで海外旅行に耐えられる体力を維持できているか心許ない。いずれにせよ、これからも大きく制約を受けるなかで研究を続けるほかないだろう。
書誌情報
毛利 晶:『一つの市民権と二つの祖国 ローマ共和政下イタリアの市民たち』(京都大学学術出版会、2022年1月)