著者からのメッセージ

内山勝利:『変貌するギリシア哲学』

 「あとがき」にも触れたように、曲がりなりにもプラトンを中心とするギリシア哲学を主たる研究領域としてきたつもりだが、その時々の関心はたえずそこから逸脱してばかりだった。本書を構成している19篇の論考はその徘徊の跡形のようなものである。著者自身としては研究論文的な気構えで書いたものも幾篇か含まれているが、むしろ全体をエッセイ(かなり曖昧なジャンルだがスタイルの許容度は大きそう)として読んでいただければ、気持ちが軽くなってありがたいです。

 何十年来古代ギリシア語と(わずかな)ラテン語のテクストと向かい合ってきて、情けないことだが、その読み取りがテクストそのものに届いていないという思いを持ちつづけてきた。自分の能力の足らざるがゆえのことと言えばそれまでだが、ここで拘っているのは、たとえばプラトンがディアレクティケーの手続について、おそらくは意図して、暗示的に述べるにとどめている箇所に意味されているものの内実を明確に解きほぐして理解できずにいる、というような場合とは違う不足である。そういう難解さとは別に、むしろ平明な議論のやりとりであっても理解がその真意に届いていないもどかしさのようなものを払拭できないでいるということである。言葉とわれわれの関係は常にそういう仕方でしか成立しないのかも知れないが、柔軟で自在なギリシア語を前にすると、殊更にその感を深くさせられる。さしあたり文法と辞書とロジックというような外なる装置によって把捉しうるものは、所詮そこに孕まれている意味の表層にしかすぎないのではないか。

 とりとめのない論集ではあるが、何について書いても言葉とか表現とかに意識が向いていることは、我ながら一冊になってはじめて気がついた。これも今述べたようなわだかまりに起因してのことであろう。

 所収の小論の一つ「連作短歌調『イリアス』」については、賛否両論ながら意外に面白いという反応を多くいただいた。本来の「哲学」からは遠い話柄ではあるが、これについて若干の補足を加えておきたい。

 実際ホメロスの三十一文字定型化は全然ムリがなくて、あのあともパイディアーを継続して、第一歌の611行全部と最終巻を100行ほどやってみた。また第二歌の軍船カタログのようなところでもほとんど不思議な気がするくらいにうまく収まることが分かった。しかし、何百行も並べてみて気がついたのは(さらに中務哲郎さんからのご指摘によるところも大だが)、これはいささか退屈で冗長かもしれないということである。ホメロスそのものがもっと単調じゃあないかとも言えようが、あれはむしろ各行をなす六脚韻のそれぞれがさらに細かく「長・短・短」の(まさに単調な)積み重ねになっているところが、あたかもミニマル・ミュージックのように、かえって効果的で、あのリズムにすんなり乗せられるところがいいのだろう。短歌では「五・七」のリズムしか出ない。その冗漫さを免れるには、むしろ適度に崩していくことが必要なのであろう。適度な定型と破調をつき混ぜながら延々とつづく『平家物語』のスタイルは、なるほどよく練られた日本的叙事詩のリズムを作り出していると言わなければなるまい。

書誌情報:
内山勝利『変貌するギリシア哲学』(岩波書店、2022年1月)