訳者からのメッセージ
西井奨:ルキアノス『遊女たちの対話』
西洋古典叢書(京都大学学術出版)のルキアノス全集のシリーズで、全集4『偽預言者アレクサンドロス』・全集3『食客』に続いて、全集8『遊女たちの対話』が刊行されました。全集8では表題の作品に加えて、『海の神々の対話』『神々の対話』『愛国者または弟子』『カリデモスまたは美について』『ネロ』『エピグラム』が収められています。私西井は『海の神々の対話』の翻訳を担当しました(その他は、全集の監修を務める内田次信先生の訳です)。私自身は普段、ラテン詩人オウィディウスのギリシア・ローマ神話を題材とした作品の研究に主に取り組んでおりますので、オウィディウスから少し時代の下るローマ帝政期のギリシア散文作家ルキアノスによる神話の取り扱い方に関心を深く持って、翻訳に取り組むことができました。よく知られた神話の一場面について、ホメロスなど古典への該博な知識を織り込みつつ、機知に富む筆致で語りを紡ぐルキアノスの手腕は、どこかオウィディウスにも通じるものを感じます。
本書所収の『海の神々の対話』(全15篇)も『神々の対話』(全25篇)も、各篇は神話上での時系列順に配列されているわけではありません。そこで私担当の「海の神々の対話」の解説では、便宜的に各篇を神話上でのおおまかな時系列順にして解説しました。ここでさらに両作品および全集4『偽預言者アレクサンドロス』所収の『女神たちの審判』を合わせて、各対話篇を時系列順に並べてみると、おおよそ次のようになると思われます(D=「神々の対話」、M=「海の神々の対話」)。
- ゼウスがメティスを飲み込みアテナを頭から産む。(D 13 (8), へパイストスとゼウス)
- ゼウスと交わったレトがアポロンとアルテミスを産む。(M 9 (10), イリスとポセイドン)
- 赤子のヘルメスの手癖の悪さについて。(D 11 (7), へパイストスとアポロン)
- ゼウスの捕縛とその失敗について。(D 1 (21), アレスとヘルメス)
- へパイストスの妻について。(D 17 (15), ヘルメスとアポロン)
- へパイストスがアプロディテとアレスを捕縛する。(D 21(17), アポロンとヘルメス)
- アルペイオス川がアレトゥーサを追う。(M 3, ポセイドンとアルペイオス川)
- ゼウスがヘルメスにイオを救出させる。(D 7 (3), ゼウスとヘルメス)
- イオがエジプトで人間に戻る。(M 11 (7), 南風と西風)
- パエトンが太陽神の馬車を暴走させる。(D 24 (25), ゼウスとヘリオス)
- エウロペがゼウスにさらわれクレタに行く。(M 15, 西風と南風)
- ゼウスがガニュメデスを天上にさらう。(D 10 (4), ゼウスとガニュメデス)
- ガニュメデスとへパイストスについて。(D 8 (5), ヘラとゼウス)
- イクシオンがヘラを誘惑する。(D 9 (6), ヘラとゼウス)
- ヒュアキントスの死について。(D 16 (14), ヘルメスとアポロン)
- ゼウスの太腿からディオニュソスが生まれる。(D 12 (9), ポセイドンとヘルメス)
- ディオニュソスについて。(D 22 (18), ヘラとゼウス)
- プリアポスについて。(D 3 (23), アポロンとディオニュソス)
- レダとゼウスの交わりの予示。(D 18 (16), ヘラとレト)
- ヘレが黄金の羊から落ちる。(M 6 (9), ポセイドンとネレイスたち)
- テュロがポセイドンと交わる。(M 13, エニペウス川とポセイドン)
- エンデュミオンについて。(D 19 (11), アプロディテとセレネ)
- レアとアッティスについて。(D 20 (12), アプロディテとエロス)
- アミュモネがポセイドンと交わる。(M 8 (6), トリトンとポセイドン)
- ヘルメスの仕事について。(D 4 (24), ヘルメスとマイア)
- ゼウスの多くの恋について。(D 6 (2), エロスとゼウス)
- ダナエとペルセウスの漂流について。(M 12, ドリスとテティス)
- ペルセウスの活躍について。(M 14, トリトンとネレイスたち)
- アテナとアルテミスについて。(D 23 (19), アプロディテとエロス)
- ヘラクレスの出生について。(D 14 (10), ヘルメスとヘリオス)
- カストルとポリュデウケスについて。(D 25 (26), アポロンとヘルメス)
- 天上でのヘラクレスの様子。(D 15 (13), ゼウスとアスクレピオスとヘラクレス)
- 恋するポリュペモスについて。(M 1, ドリスとガラテイア)
- ゼウスがテティスを諦める。(D 5 (1), プロメテウスとゼウス)
- ペレウスとテティスの婚礼について。(M 7 (5), パノペとガレネ)
- パリスの審判について。(『女神たちの審判』)
- アキレウスがクサントス川を死体で埋め尽くす。(M 10 (11), クサントス川と海)
- ポリュペモスがオデュッセウスに目を潰される。(M 2, キュクロプスとポセイドン)
- プロテウスの変身能力について。(M 4, メネラオスとプロテウス)
- アリオンがイルカに救出される。(M 5 (8), ポセイドンとイルカたち)
- パンがヘルメスを父だとして慕う。(D 2 (22), パンとヘルメス)
ルキアノスの各種対話篇は、ギリシア語の初級文法を一通り学び終えた後で読むのにも、分量的にちょうどよいもののように思われます。特に、「ギリシア神話を題材とした作品を読みたいが、初級文法学習後にいきなりホメロスや悲劇やヘレニズム期の詩を読むのは荷が重い」という際に、散文の対話篇形式で書かれたこれらのルキアノスの作品は最適のように思います。ちょうど、ギリシア語初学者向けの語彙集付き・文法解説つき(英語での解説)のルキアノスのテキストがFaenum Publishing というところから無料でダウンロード可能です(冊子版も購入可能です)。この全集8『遊女たちの対話』刊行を機に、日本語でもギリシア語でもルキアノスに馴染み親しむ人が増えることを願います。
西井奨(大阪大学講師)