訳者からのメッセージ

木村健治:オウィディウス『恋の技術/恋の病の治療/女の化粧法』

 オウィディウスをラテン語ではじめて読んだのは、記憶に間違いがなければ、私が3回生で、野上素一先生のMetamorphosesの授業のときであった。主にイタリア文学科の学生の授業であったので、ラテン語の下にイタリア語の訳がつけられているのをプリントしたのをもらって読んだが、最後まで授業に出たかどうかは記憶があやふやである。この年は、西洋古典文学科にはラテン文学の授業がなく、このイタリア文学科の授業や、言語学の泉井久之助先生のGeorgicaの授業や、中世哲学の山田晶先生のAugustinus, Confessionesの授業に出たりしたのだった。

 翌年、4回生になって、松平千秋先生の演習でHeroidesを読んでもらったのが授業でのオウィディウスの2回目(実質的には1回目)であった。1968年のことである。教科書はビュデ双書のものであり、多くの書き込みをしたものが今も書棚に残っている。

 次に授業でオウィディウスを読んだのは、ミシガン大学に留学中のときで、コープレイ先生のMetamorphosesの授業で1974年秋のことであった。教科書は、B. A. Van Proosdij (ed.), P. Ovidii Nasonis Metamorphoseon Libri XV, Leiden 1968. この本も書棚にあり、必要なときには今でも参照している。もちろん、教室では、1セメスターで全部を読むことはできないので、先生が選ばれたエピソードを読んだわけである。

 授業ではなく自分の研究で読み始めたのは、就職して、それまでのユウェナーリス、ホラーティウスの諷刺詩の研究からローマ喜劇の研究に転じ、プラウトゥスやテレンティウス研究の他に、オウィディウスのトミス追放の真因を知りたくなり、『悲しみの歌』や『黒海からの手紙』を読んだり、追放の原因の一つとされた『恋の技術』を読んだときである。また、ローマ喜劇の関連でオウィディウスのAmoresを読んだりもした。いずれも、関連箇所を中心に読んでいたので、丹念に隅から隅までその全部を読んだわけではなかった。

 ただ、これが、機縁となり、最終的には『悲しみの歌/黒海からの手紙』の翻訳出版(1998年)と、今回の『恋の技術/恋の病の治療/女の化粧法』(2021年)につながることになった。

 『恋の技術』の翻訳は『悲しみの歌/黒海からの手紙』とは異なり、本邦初訳ではなく、すでにそうそうたる先達の翻訳がある。樋口勝彦訳『恋の技法』(1949年、1995年)、藤井昇訳『恋の手ほどき』(1971年、1984年)、そして沓掛良彦訳『恋愛指南』(2008年)がそれである。これは訳語を決める際に参考にさせてもらえるという利点があるが、他方では、その中でどういう独自性が出せるかという難しさがある。

 翻訳には訳者の詩人に対する思い、姿勢が反映される。そもそも、書名の翻訳からして、三冊の既訳は異なっている。これらを前にして、どのような書名にするか、どのような文体で翻訳するか、どういう独自性が出せるかが問題であった。

 私は、オウィディウスの詩に向き合い、言い方が変だが、それをなるべくすなおに日本語に移そうと考えた。そのためにもなるべく漢字は使いたくなかった。しかし、1行の字数に制限があり、ラテン語の1行を日本語の1行に対応させようと考えたので、ひらがなのままでいくと、1行に収まらない場合も出てきて、仕方なく、漢字を使って1行に収めるようにした。これまでの邦訳は原文の行との対応を考えていなかったので、この点は、拙訳が新しい点である。

 訳語で言えば、amorを「恋」と訳すか、「愛」と訳すかも訳者を悩ませた問題であった。こういう話を続けていくと、翻訳の苦労話が延々と続くということになってしまうので、これで打ち切りたい。ともかく、日本語で楽しく読んで頂ければというのが訳者の願いである。

木村健治(大阪大学名誉教授)

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