訳者からのメッセージ

阿部拓児:クテシアス『ペルシア史/インド誌』

 クテシアス『ペルシア史/インド誌』の刊行を機に、私とクテシアスとのつきあいについて、少しばかり書かせていただきます。私が彼のことを知ったのは、修士論文に取り掛かっている最中でした。当時鼻息の荒かった私は、ギリシア人たちのペルシア帝国史叙述はヨーロッパ中心主義史観で怪しからんと息巻いておりました。もちろん、一介の院生がこんな大それたことを自力で考えつくはずもなく、今にして思えば、20世紀末からヨーロッパで流行っていた「熱病」にやられていただけのことです。とりわけ私が強く影響を受けたのは、オランダの古典学者サンシシ゠ヴェールデンブルフ先生が書かれた「帝国の頽廃か、史料の頽廃か? 史料から総合へ:クテシアス」という論文です。この論文は要約すれば、われわれが前4世紀のペルシア帝国にたいしてよくないイメージを持っているのは、帝国自体が悪いのではなくて、同時代のギリシア語史料に原因がある――そして、その代表格がクテシアスである、と論じるものでした。この論文に感化された私からすると、クテシアスの第一印象は「信用ならない、胡散臭いやつ」だったわけです。

 その後、博士後期課程に進学し、クテシアスの書き残したものを読み進めるうちに、この悪印象は徐々に薄らいでいきました。21世紀に入ってからクテシアスが再評価されるようになったという研究動向も関係しますが、もっと大きな理由は「何となく馬が合う」というものでした。ヘロドトスやトゥキュディデスのような偉大な歴史家なわけでもなく、弁論家やソフィストのように小難しいことを言うでもなく、見たこと、聞いたこと、知ったことを素直に書き留める姿勢、そして話を面白くするためなら多少の誇張は許されると勘違いしているところなど、なんとも憎めないと思えるようになったのです。さらには、故郷を遠く離れ、ペルシア宮廷という異国の職場に長年(本人いわく17年!)務めていたにもかかわらず、とくにストレスを感じている様子も見せずに、むしろ外国生活を楽しんでいたのではないかとも想像させるところなど、好感が持てるようになりました。以降、私のクテシアスに接する態度は、「誤解されがちな友人を助けてやらねば」というものに変化しました。

 最後に、私にクテシアス研究のきっかけを与えてくださったサンシシ゠ヴェールデンブルフ先生ですが、乳がんを患い、2000年に56歳という若さで、帰らぬ人となられました。直接教えを受けることはかないませんでしたが、クテシアスのことを少しでも日本に紹介することによって、先生のお仕事から受けたご学恩に報いたいと思います。

阿部拓児(京都府立大学)

書誌情報:阿部拓児訳、クテシアス『ペルシア史/インド誌』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2019年3月)