訳者からのメッセージ

三浦要・中村健・和田利博:プルタルコス『モラリア12』

西洋古代動物倫理学入門

 今から一年半ほど前に学生時代の指導教官だった内山勝利先生を通じて今回の翻訳の仕事のお話をいただいた。その時にしきりに先生から言われた(と私が記憶している)のが「中村君が関心のありそうな作品ではないかもしれないのだけれど……」。学生時代よりプラトンの知識論や形而上学にばかり関心を持って研究を進めてきた私にとって、(陸棲)動物や魚類の名前が頻出し、彼らの生態が詳細に報告される担当作品(『陸棲動物と水棲動物ではどちらがより賢いか』)の翻訳は確かに難しい仕事だった。

 ただ下調べをするうちに、本作品の主題が、動物の道徳的な身分をめぐるプルタルコスとストア派の論争であるということが分かり、猛烈に興味がわき、(私としては)かなり熱中して翻訳・解説の作業に取り組むことができた。以前から、現代における動物倫理の議論の面白さに目覚めて、どうにか古代における動物倫理の問題について研究を始められないかと漠然と考えていたからである。さらに作業を進めるうちに分かってきたのが、欧米においてさえ(ストア派やプルタルコスの議論をはじめとする)西洋古代の動物倫理に関する研究があまりなされていないということである。少なくとも私は、この分野には今後大いに研究を進めるだけの余地が残されているように感じた。

 近年マーサ・ヌスバウムがその正義論において障碍者の扱いと同様に動物の扱いについても大きく論じているように、動物倫理の問題は単に応用倫理の一分野にとどまるものではなく、倫理学の根幹に影響を及ぼす意義を持っていると思われる。また、現代において動物倫理を論じる人々はしばしば動物の道徳的身分を擁護する議論がきわめて現代的な(1970年代以降の)現象だと考えているようだが、実はそのような議論のアイデアの多くがすでに(プルタルコスをはじめとする)古代の作品において提出されている(と解釈するだけの理由がある)のだ。

 動物の道徳的身分を主題とする西洋古代の現存する主な著作は、今回翻訳された『モラリア12』所収の『陸棲動物と水棲動物ではどちらがより賢いか』(中村担当)、『もの言えぬ動物が理性を用いることについて』(和田担当)、『肉食について』(和田担当)の三作品の他には、ポルピュリオスによる『肉食の禁忌について』や、アレクサンドリアのフィロンによる『動物について』がある。しかし、残念ながらこれらは両作品とも未邦訳であるし、後者のギリシア語テクストは失われ、アルメニア語の翻訳が残るのみであり、また、前者は『陸棲動物と水棲動物』から多くの引用箇所を含んでおり、プルタルコスの議論からの大きな影響を見て取ることができる。このような事情から、『モラリア12』所収の動物関連の三作品は、西洋古代の動物倫理学の研究を始めるための(私にとっても)格好の入門書になると思う。

中村健(大阪体育大学)

書誌情報:三浦要・中村健・和田利博訳、プルタルコス『モラリア12』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2018年3月)