著者からのメッセージ
戸田聡:『砂漠に引きこもった人々―キリスト教聖人伝選集―』
このほど出版したこの編訳書について、私は自分の大学の書籍紹介のWebページに次のように書きました。
「聖人伝文学はキリスト教文学の中で一大ジャンルを成していると言ってよく、様々な作品が知られており、中には本書所収の『アントニオス伝』のように、多くの言語に翻訳され非常に流布した聖人伝もあります。キリスト教の精神のありようを良く証ししたものとして、聖人伝文学はもっと大勢の人々に知られてよい価値があると私は思います。本訳書がそのために充分な責務を果たせているかどうかについては、いささか(相当)心もとないものがありますが、こういう文学ジャンルが確かに存在して、(例えば神学書などよりも遙かに)多くの人々に読み継がれてきたのだ、ということは声を大にして言いたいところです。ぜひ一度、書店或いは図書館で手にとって眺めてみてください」。
もちろんこれは私の思いそのままなのですが、ただ、今回ご紹介いただいてこの「新刊書フォーラム」に寄稿するに当たって、これでは少々まずいだろうという気がしています。言うまでもなく西洋古典学会は、特段キリスト教に対する思い入れを共有する団体ではないからです。かといって、いきなりキリスト教の世界を超越して、世界規模の比較文学的視点からキリスト教の聖人伝文学を論じるなどということは、私の手には全く余ることであり、比較文学的考察は他の方々にお任せするのが良策であるように思われます。
そこで私としては、西洋古典学会のWebサイトへの寄稿としてはいささか落ち着きが悪いかもしれないとは思いつつも、キリスト教の世界にこだわって、以下少し書いてみたいと思います。ただ、ここで言う「キリスト教の世界」とは、宗教的内実に即したものというよりむしろ、或る広がりを持った場としての「世界」です。つまり、キリスト教圏、特に東方キリスト教圏(Christian Orient)においては、様々な文学、とりわけ聖人伝文学が、様々な言語で流布した、ということについて少しく記してみたいのです。
その代表例として挙げられるのはやはり『バルラアムとヨアサフ』でしょうが(この作品については以前、創文社の書評誌『創文』487号(2006年6月)に拙文を載せていただいたことがあります)、王家に生まれて何不自由なく育てられたが、ある時生老病死の問題を知ってしまった主人公の生きざまを中心とするこの作品は、もともと仏伝に由来するとの見方もあり、それ自体が文化超越的な作品と言ってしまえるかもしれません。そこまで行くと話が大きすぎるのですが、『バルラアムとヨアサフ』ほど有名でなくとも、東方キリスト教圏の内部で(つまりキリスト教世界の中にとどまりつつ)、様々な言語に訳された(多少厳密に言えば、少なくとも二つの言語に訳され、つまり三つ以上の言語で伝承された)作品は、聖人伝を中心として少なくとも数百は存在すると言って間違いないように思われます(正確に数えたわけではないので、やや曖昧な言い方にとどめますが)。
例えば、手前味噌になって恐縮ですが、私がかつて留学先のライデン大学に提出した学位論文の中で扱った『エジプト人マカリオス伝』は、もともと何語で書かれたか(ギリシア語かコプト語サイド方言か?)が不明ですが、ともあれ今日ではコプト語(サイド方言及びボハイル方言)、シリア語、アラビア語、エチオピア語、ギリシア語、グルジア語、教会スラヴ語の諸版が伝わっています。伝承経路(どの言語からどの言語へと翻訳されたか)はほぼ今書いた順番のとおりで(この点の論証が、私の学位論文の中のおもな議論を成していると言えます)、但し現存のギリシア語版は、私見によればアラビア語版(の一支流)からの改作として成立したと思われます(ただ、この点は学界で認められるにはまだ至っておらず、以前この点を主たるテーマにして論文を欧米のある学術雑誌に投稿したところ、あっさりとリジェクトされ、仕方なく当該論文を日本の欧文学術雑誌であるOrientで公刊したことがあります)。これは何度もいろいろな論文(例えば『オリエント』48-1所収の拙稿)で論じた話なので、ここではこれ以上手前味噌は述べません。長々と失礼しました。
ここで申したいのはむしろ別のことでして、そもそも私が、留学先のルーヴァン大学で指導教官に勧められて、この『エジプト人マカリオス伝』をその諸語版を含めて勉強しようと思い立った時に想起していたのは、本頁で紹介している訳書に収録した『アントニオス伝』が、やはり東方キリスト教圏の様々な言語で伝わっている、ということでした。手元の資料によると、かの有名なアタナシオスによって元々ギリシア語で書かれた作品である『アントニオス伝』は、ラテン語、コプト語、アラビア語、エチオピア語、シリア語、アルメニア語(アルメニア語版は『マカリオス伝』にはなかった……やはり『アントニオス伝』は格が違うか?)、グルジア語、教会スラヴ語でも伝わっているとのことです。私ごときが訳してしまってこう言うのは大変恐縮なのですが、『アントニオス伝』は聖人伝文学における古典中の古典と言ってよい作品であり、伝播形態もそれに見合った広範なものとなっていると言えましょう。
さらに言えば、実は、聖人伝の古典たる『アントニオス伝』をも凌ぐ広がりを見せた作品があります。それは、『砂漠の師父の言葉』という題で2度(あかし書房、1986年刊、及び知泉書館、2004年刊)邦訳されたApophthegmata patrumです(私自身の訳語では『師父たちの金言』となるのですが)。編纂者不明のこの作品には、実は作品としてのまとまりをどう考えるかというややこしい問題があるのですが、ここではそれを措くことにして、ともかく元々ギリシア語で編纂されたこの『金言』は、もちろんラテン語版でも伝承され、それだけでなく東方キリスト教圏においては、シリア語、アルメニア語、コプト語(サイド方言及びボハイル方言)、グルジア語、エチオピア語、アラビア語、教会スラヴ語、そしてさらにソグド語で伝わっています。『金言』は、その名が想像させるように寸鉄人を刺す言葉もあれば、修道士たちの悲哀を感じさせるようなエピソードも多数あるなど、内容的にも非常に愛すべきものなのですが、ここでは内容にはこれ以上立ち入りません。
ともあれ、古代のある著作がどの程度読まれたかということは、我々現代人が容易には推測しにくいところがあります。それら著作を伝えた写本の大半は失われており、現存する写本の数からその普及を推測することは、全くの誤りでないとしても、必ずしも正しいと言えない面があるように思われるからです。と考えてくると、その点から見て、古代の著作の翻訳ということはもっと注目されてよいのではないか。もちろん、特殊な著作が特殊な訳者によって特殊な読者層のために翻訳されたという可能性は当然存在しますが、しかし例えば、当の著作で書かれている内容が必ずしも高遠難解な事柄でないのであれば、そのような著作の翻訳はやはり、当の著作が多少とも広く読まれたことの証左ないしそれに準ずるものにはなるのではないか。
私がこの文章を通じて申したいことはもはや明らかでしょう。つまり、ギリシア語、ラテン語に堪能な古典学会の皆さんにおかれても、ぜひ、その周囲の古代・中世の言語に多少とも目を向けていただくと、古典の世界がさらに一層の広がりを以て捉え返されるのではないでしょうか。そしてひるがえって、ギリシア語の世界が古代においていかに卓越・隔絶した地位を占めていたかが、より一層実感されるのではないでしょうか。