著者からのメッセージ

和田廣:プロコピオス『秘史』

カイサレイアのプロコピオス著『秘史(Ἀνέκδοτα)』の翻訳を終えて

 プロコピオスの主著『戦史(Bella)』は、彼が13年間顧問として仕えた主人ベリサリオス(オリエント軍区総司令官、ウァンダル戦役および東ゴート戦役総司令官等を歴任)の『業績目録(Res Gestae)』であることはよく知られている。したがってプロコピオスは『戦史』(第1~7巻)においては主人ベリサリオスを絶賛し、英雄視していることは言うまでもない。「これまで誰一人として成し遂げたことのなかった二つの大勝利をベリサリオスは勝ち取った。彼は二人の王[ゲリメルとウィッティギス]を捕虜として連れ帰り、予想に反して敵の戦利品をあまたローマ人の国家にもたらし、短期間のうちに領土と制海権の半分を取り戻したのであった。首都市民はベリサリオスが多くのウァンダル人、ゴート人それにムーア人を従えて自宅からフォルムに行く姿を目にすると、行列を作って一行を見送るのだった。ベリサリオスは体格が良く、眉目秀麗で、誰に対しても愛想が良く、道行く人とは誰彼なく挨拶を交わした。将軍としてのベリサリオスは兵士や農民からさえも慕われていた。彼はこの上なく知恵のある人物で、困難なときでも最良の決定を下すことができた。彼は戦闘においては勇猛果敢であり、慎重さと熟慮を兼ね備えてもいた。ベリサリオスは敵に対する作戦では慎重であり、危険に陥っても勇気を失うことはなく、平常心をなくすこともなかった。彼は一兵卒や司令官たちからの尊敬を一身に受け、誰一人としてベリサリオスの命令に背く者はいなかった」(『戦史』第7巻第1章4~18の要旨)。

 だがプロコピオスの国民的英雄としてのベリサリオス像は彼が仕えた13年間のあいだに徐々に変化してゆくことになる。533年のウァンダル戦役開始と共に始まる妻アントニナとの不和で見せた小心者で、妻の尻に敷かれる夫ベリサリオス、皇帝ユスティニアノスにあらぬ謀反の疑いを掛けられ、何度も冷遇されながらもなお皇帝に忠誠を尽くす不甲斐ない家臣ベリサリオス、ペルシア戦で見せた臆病で、優柔不断、そして責任を放棄した軍司令官ベリサリオス、養子テオドシオスや友人たちと交わした誓約や約束を守らず、それを少しも気にかけないエゴイスト・ベリサリオスに対してプロコピオスは幻滅し、落胆し、不満の気持ちを抑えきれなくなるのである。

 ちょうどこの頃(542年春か)、主人ベリサリオスはオリエント軍区総司令官を一時罷免され、その財産も没収された。恐らくプロコピオスもベリサリオスの顧問を解任されたものと思われる。プロコピオスはこの頃から執筆生活に入り、主著『戦史』(第1~7巻)に取りかかったのであろう。そして旧主人ベリサリオスへの評価の変化は第7巻に近づくに従って鮮明となってくる。そしてベリサリオスが二度目のイタリア遠征から何の戦果をあげることなく、ペルシアの町が敵に包囲され、陥落直前であったのにこれを見捨てて帰国するに及んで(549年)、プロコピオスの不満は最高潮に達したと言えよう。プロコピオスはベリサリオスについて「人々はベリサリオスにがっかりして、ベリサリオスのことを絶えず嘲り、彼は愚か者と呼ばれて同然なのだ、と罵った」(『秘史』第5章27)とまで旧主人ベリサリオスを酷評するようになる。そしてプロコピオスは自らの不満、幻滅そして落胆の気持ちを抑えることができず、『戦史』(第7巻)の執筆と並行して、あるいはその執筆直後に、自分の思いの数々をメモやパンフレットの形で書き連ね、これをごく親しい友人たち──彼はそうした友人たちを「われわれの多くの仲間たち」(『秘史』第12章14)と呼ぶが──に秘密の読み物として回覧するのである。そこで彼は「今まで口にするのを憚られたままになっている事柄(τὰ τό τε δ’ οὖν τέως ἄρρητα μείναντα)」(『秘史』第1章3)を明らかにしたいと考え、思いつくままに自らの想いを書き記すのである。それが本書『秘史』の始まりとなる。

 『秘史』におけるプロコピオスの筆致は鋭く、容赦ない。その内容は歪曲、誇張、誤解を含み、時には創作をも厭わない。そこに作者プロコピオスの強烈な感情の迸りが見られる。加えて当代一流の知識人であったプロコピオスの修辞学上の技術、巧みな文章、読者の意表をつく表現、ギリシア・ローマの文学作品からの多くの引用に満ちた『秘史』は、彼の多くの仲間たちにとっては痛快で、実に溜飲の下がる読み物であったことは疑いのないところと言えよう。

 それだけにまたギリシア・ローマの文学作品からの多くの引用、稀にしか使われない単語、彼特有の言い回しなどはやや訳者を悩ませることにもなる。例えばリビアにおいて住民の姿が消えてしまった土地を形容するのに、「一万の三乗もの広さの土地(μυριάδας μυριάδων μυρίας)」(『秘史』第18章4)と言う。本訳書ではこれを「無数の、そして数え切れない多くの土地」と訳しておいた。またやや読者の意表をつく表現もプロコピオスの好むところであった。彼はアリストパネス著『雲』(225)に倣って、信心深い皇帝ユスティニアノスは天空の彼方にあって、「空中を逍遙する(ἀεροβατέω)」(『秘史』第13章11)ことができる、という。また新たな造語も彼の好むところであった。皇帝ユスティニアノスの性格を「馬鹿で意地悪な性格(μωροκακοήθη)」(『秘史』第8章22)と形容して見せたりする。同じくテオドラについても、テオドラの皮膚の色は特別と言うほどではないが、幾分「青白かった」(『秘史』第10章11)。この時の修飾語「青白い」はὡρακιῶσαであり、この語はLiddell-Scott, p. 2036によればὠχριάω = ὠχράωであると言う(Liddell-Scott, p. 2042, ‘to be pallid’)。

 ベリサリオスと妻アントニナに対する批判、誹謗、中傷を書き終えた後、プロコピオスの矛先は国政レベルでの悪行を重ねた皇帝ユスティニアノスと妃テオドラに向けられる。そもそもその出自からして農村出身のユスティニアノスと踊り子上がりのテオドラはプロコピオスにとっては「成り上がり者(Homo Novus)」であり、保守的な教養人であるプロコピオスの軽蔑の対象であった。その上皇帝としてのユスティニアノスは常に改革を志向した。そのためこれまでの古き、良き秩序を変えるユスティニアノスはプロコピオスにとっては「良き秩序の最大の破壊者」であった。「ユスティニアノスは信頼のおけない友であり、和解することのない敵であり、殺人と金銭を熱愛し、何よりも争いと変革を好んだ」(『秘史』第8章26)と批判する。そして最終的にプロコピオスはユスティニアノスを「人間の皮をかぶった悪魔(ἀνθρωποδαίμων)」(『秘史』第12章14)と決めつけるのである。そしてこの悪魔ユスティニアノスはプロコピオスが支持する元老院議員、弁護士、医師、教師、市参事会員、一般臣民を苦しめ、搾取し続けた、とプロコピオスは弾劾する。そしてこの悪魔に付き従い、彼と共謀してローマ帝国を破滅に陥れたのが彼の妻テオドラであったという。プロコピオスは卑賤の出であるテオドラを「徒歩で行く売春婦」と卑しめ(『秘史』第9章26)、女帝となったテオドラを「テオドラ自身がこの上なく残酷な人間であり、人間味のかけらすら何一つない女(αὐτή τε γὰρ ὠμοτάτη ἦν καὶ ἀπανθρωπίας ἀτεχνῶς ἔμπλεως)」(『秘史』第22章23)である、と酷評する。この二人は共謀してありとあらゆる悪行を重ねる。この二人は「人間を食い殺す悪魔であり、詩人たちの言う双子の害毒であった(ἀλλὰ δαίμονες παλαμναῖοί τινες καὶ ὥσπερ οἱ ποιηταὶ λέγουσι βροτολοιγὼ ἤστην)」(『秘史』第12章14)という。二人が犯した国政レベルでの悪行は、元老院の衰退、執政官の廃止、空気税をはじめとする諸酷税の導入、年功序列制度の破壊、絹産業の国営化、新たな関税の設置、異端派信徒への迫害、駅逓制度および情報網の破壊等々枚挙に暇がない(『秘史』第18~30章)。

 『秘史』は史実を織り交ぜながらも、他の同時代の史料にはない宮廷で繰り広げられる陰謀、高位高官の失脚事件の背景、権力闘争、中傷、ゴシップ、多くの犯罪や殺人事件を記録している。それらの多くが著者プロコピオス自身が集めた材料であるだけに、史料証言としての強みがある。だが同時にそれらの記録を証明する他の史料が欠落していることに、『秘史』の弱点もある。その点でも『秘史』は後六世紀が生んだ極めて特異な史料と言えよう。

 こうしてみると『秘史』は確かにユスティニアノスとテオドラに対する、更にはベリサリオスとアントニナに対する誹謗と中傷の書であることは疑いがない。その点で『秘史』は、公刊はされなかったものの──『秘史』の写本がヴァティカン図書館で発見されたのは17世紀に入ってからのことである──、ビザンツ文学最初の皇帝批判の書であると言えよう。だがプロコピオス自身は、保守的ながら熱烈な愛国者であることを見落としてはならない。『秘史』第2章31で彼は祖国ローマを「伝統もあり、またこの上なく尊敬すべき国家、戦いにより勝利することなどできない国」と賞讃している。プロコピオスが『秘史』を書き残した意図は、無論ベリサリオスやアントニナ、ユスティニアノスやテオドラの卑劣な言動を後世の人々に知らせることにあった。だが同時に愛国者プロコピオスが切望したのは、後世の人々が暴君とその妃により窮状に陥った祖国を救い、アナスタシオス1世帝やテオドリック大王の治世下にあったような健全な国家に再建してくれることであった。そうした意味では、『秘史』は愛国者プロコピオスによる憂国の書でもあった。

和田廣(筑波大学名誉教授)

書誌情報:和田廣訳、プロコピオス『秘史』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2015年12月)