新刊紹介
河島思朗:金沢百枝『ロマネスク美術革命』
石たちの声に耳を傾ける
古代ローマはいつまで続いたか?
この問いは「永遠のローマ」をめぐる大きな関心のひとつではないだろうか。もちろん、「国家」という枠組みにおける歴史的・政治的な見解はさまざまあるだろう。しかし、民衆が育む文化はどうだろうか。ルネサンスが古代ローマやギリシア文化の「再生」を試みたならば、そこには断絶があるはずだ。では、ローマの文化はいつ「終焉」をむかえたのだろうか。あるいは、いかに「変容」し、どのように「継承」されたのだろうか。暗闇に包まれた古代ローマのゆくすえに、本書は鮮明な光をあてる。
日本西洋古典学会のホームページに、本書を紹介する理由はそこにある。古典学に関心のある人ならば、本書にもまた強く惹かれるだろう。
金沢百枝氏の『ロマネスク美術革命』は、ゴシックやルネサンス美術にくらべて、なじみの薄いロマネスク美術を扱う。教会を彩る愛らしい彫刻や異形の怪物たち。ロマネスクで生まれた造形をどのように理解すればよいのか。研究史の整理からはじめ、慎重な検証を重ねる。そして、近現代のキリスト教の常識にあてはめて造形を解釈するのではなく、中世における口承文化を重視するマイケル・カミールの考え方を支持する。ロマネスク美術を研究するに際して、カミールは、「テクストを記号的に図像化したもの」と捉える図像学的な読解方法を批判し、教義や論理を超えた身体的・感覚的な共感こそ優先されるべきである、と主張する。石の叫びに直接耳を傾けるような見方を提唱するのである(p.30)。本書は、この理解を前提に、また検証するために、造形の訴えにじかに目を向け、図像の意味を丹念に精査しながら、ロマネスク美術作品をひとつひとつ具体的に再考する。読者は、一見すると奇怪な、素朴でありながら独特の躍動感をもつ構図の意味を少しずつ知ることになる。
このように丁寧で具体的な研究の目的は、「ロマネスクの美とはなにか。ヨーロッパの美の歴史のなかで、それはどのように際立っていたのか。ロマネスク期とは一体どんな時代であり、転換期だったのか」(p.273)を語ることにある。ロマネスク美術は古代ローマの規範を逸脱している。「ローマ風の」「ローマもどきの」美術であると解されることもある(p.36)。しかし、それは古代ギリシア・ローマの美を最上と考える基準によって判断したにすぎない。造形に直接目を向けたときには、その逸脱にこそ意味を見いだすことができる。中世において、確かに、ローマの規範は重要なものとしてあった。では、なぜロマネスク美術は古代ローマ的規範から逸脱したのか、できたのか。なぜそれほどの「革命」的な出来事がロマネスク美術では起こったのか。規範からの開放、自由な造形はどのように生まれたのか。本書はその謎をみごとに解いてゆく。本書の魅力は、推理小説を読んでいるかのように謎を解きほぐす、金沢氏の語り口と考察の道筋にあるだろう。ときに平易なことばで、しかし慎重に選びぬかれた表現で語られる解説は、読者に新しいまなざしを提供することになる。
本書で扱われる素材は、教会の建築や彫刻、さらに織物やタイル、写本など、多岐にわたる。観る者だけでなく、作り手にも焦点をあてる。地域も、イタリアやフランスからイギリス、北欧に至るまで、広範囲におよぶ。その多くの場所に著者は赴いて、作品を実際に目にし、肌で感じた。石の叫びを直接聴いた経験が、本書に奥行きを与えている。
私たちは、第1章から最終章「ロマネスクの美」に至るなかで、探求の軌跡をともに歩むことになる。それは素晴らしい知の経験であるし、またひとつの旅のようでもある。かわいい彫刻、異様な姿の怪物たち、かれらは人の感性に直接訴えてくる。金沢氏のことばを通じて、石たちの声を聴くことができるように感じる。
(河島思朗/東海大学)