新刊紹介
勝又泰洋:ロバート・クナップ著、西村昌洋監訳、増永理考・山下孝輔訳『古代ローマの庶民たち―歴史からこぼれ落ちた人々の生活』
「見えざるローマ人」、表舞台へ!
「ローマ人って普段どんな生活を送っていたんでしょうか?」
「西洋古典学者」の肩書で日々仕事をしている評者に対して、さまざまな人から頻繁に投げかけられる質問である。普段、同じローマのこととはいえ、「文芸思潮」だの「人物造型」だの「叙述技法」だのについて云々している人間にとって、これは案外難問で、その場ではいつも答えられずじまいである。向こうはなんの気なしに聞いたのかもしれないが、専門家には可能な限り答えを出す義務があるだろう。学問的に正しくかつ簡潔な説明をどのように提供すればよいものかと久しく悩んでいたが、こんなとき実に素晴らしい書物に巡り合えた。それがここで紹介したい新刊書、『古代ローマの庶民たち』である。
本書の原題は、Invisible Romans、「見えざるローマ人」。舞台に登場するのは、「エリート」という名の「見えるローマ人」ではなく、彼らの背後にいたはずの、しかも、彼らとは比較にならないほど巨大な人数比(著者の表現を借りれば九九・五パーセント)で構成されていたローマ人たちである。庶民の男性、庶民の女性、貧民、奴隷、解放奴隷、兵士、娼婦、剣闘士、盗賊と海賊、と実に多彩なキャストが顔を揃える。これら普段は舞台上に姿を現すことのない者たちが各章の主役に抜擢され、著者はまさに演出家となって実に手際よく彼らに魅力的な輪郭線を与えていく。「見えるローマ人」は、史料提供者という形で専らサポート役を任せられるという次第。
こんなエキサイティングな構想だけをとっても、本書の価値は窺われるはずである。興味深い記述は無数にあるが、ここでは、文学研究をメインフィールドとする評者の注意を特に引いた事柄について一言二言述べるにとどめたい。
第9章「無法者の世界―盗賊と海賊」では、そのタイトルからも明らかなように、ローマ世界の無法者にスポットライトが当てられるわけだが、ここで注目したいのは、著者が考察のために使用する史料である。いささか意外なことに、本章で主に用いられるのは、碑文やパピルス文書ではなく、小説という「文学作品」である。この「虚構」の集成物をもとに、なんらか歴史の「真実」を語ることができるのか、これが大方の読み手が抱く思いであろう。歴史学者としてすでに相当なキャリアを積んでいる著者(30年以上の大学教育歴を持つ人物である)は、しかしながら、もちろんこのようなリアクションに応答する準備ができている。少々長くなるが、彼の説明に耳を傾けてみよう。
…フィクション作品が描いている世界は現実を反映していると、研究者たちは認識するようになっている。つまり、「現実」を小説に配置するやり方そのものは作り事だが、その作り事の背後には社会史の現実が存在するのであって、その現実は歴史家が復元し利用することが可能なのである。私は小説を歴史的証拠資料であるかのように引用するが、これは叙述上の手段にすぎない。私はこれらが歴史ではないことを十分に理解している。こうした資料を私が利用するのは、次のような確信があるからだ。すなわち、言葉や状況自体は作者が構築したものであっても、ここで記述するエピソードにおいて登場人物がとる言動は、実は現実を反映しているのだ、と。(413ページ)
以上のような方法論的前提のもと、著者は、ローマ時代の「現実の」無法者の姿を描こうと試みる。その論述例をいくつか挙げてみよう。無法者のあいだにもある種の規則が存在していただろうと著者は述べるが、その際証拠として持ち出されるのが、アキッレウス・タティオス『レウキッペーとクレイトポーン』のヒロイン、レウキッペーの言葉である。彼女は、自分を誘拐した盗賊団の「契約上の義務」について言及している。また、無法者の行動のあるべき形について解説する際、著者が参考にするのは、ヘーリオドーロス『エティオピア物語』に登場する、盗賊グループの統領テュアミスの言葉である。この男は、手下に向かって、略奪品分配における公正さ、資金の保管への配慮、女性に対する適切な扱いについて演説をする。さらにもうひとつ、無法者の処罰の形態を論じるにあたり著者が参考資料として提示するのは、アープレーイウス『黄金の驢馬』である。町の人間たちが、崖から突き落としたり、剣で首をはねることで無法者を懲らしめたということが、驢馬に変身してしまったルーキウスによって語られるが、著者はこれを無法者に対する自警行為の一例とみなす。 古代後期の散文作品の研究をしている評者にとって、アキッレウス・タティオスやヘーリオドーロスやアープレーイウスなどの小説作品は主要研究対象であるわけだが、評者は、これらのテクストを純粋な「フィクション」と捉え、その背後に歴史的現実世界を措定することは意識的に避けてきた。しかし、だからこそ、本書の著者の姿勢に強く反応したともいえる。著者のような視点から小説作品を読めば、これらのテクストの新しい側面が発見できるかもしれない、こんな期待感を持つことができたのだ。古代世界の「現実」と「フィクション」の問題に興味がある者は評者だけではないだろう。この難しくかつ面白い問題に対する手がかりを提供してくれるという点でも、著者の論考は非常に刺激的だといえる。
本書のメリットは短い文章ではとても伝えきれない。一人一人が手に取って、幸福な読書の時間を過ごしてもらいたい。各々が各々の楽しみ方をすることができるはずだ。決して小さな本とは言えないが、内容の面白さと訳文の読みやすさのために、分量のことなどまったく気にならない。さあオープニングだと思ったら、知的興奮とともにあっという間にエンディングまで進んでしまう一冊である。
さて、評者の悩みも解決した。冒頭で紹介したような質問をしてきた方には、これからこうお答えすればよいのだ。「『古代ローマの庶民たち』をお読みになってください!」
(勝又泰洋/京都大学非常勤講師)
書誌情報:ロバート・クナップ著、西村昌洋監訳、増永理考・山下孝輔訳『古代ローマの庶民たち―歴史からこぼれ落ちた人々の生活』、白水社、498頁、2015年5月
(原著:Robert Knapp, Invisible Romans: Prostitutes, Outlaws, Slaves, Gladiators,
Ordinary Men and Women … the Romans That History Forgot, London, Profile
Books, 2011)