著者からのメッセージ
小川洋子:テオプラストス『植物誌2』
テオプラストスの『植物誌』全9巻はリュケイオンの講義録で、前314年頃書き始められたとされる。第2分冊は、第1分冊(第1巻の植物研究の総論、第2、3巻の樹木の栽培法と繁殖法について)に続く第4─6巻が収められている。当時はアレクサンドロスの東征直後で、東方から膨大な情報が流入した時期にあたり、第4巻にはヨーロッパ人が初めて知ったバナナ、マンゴー、マングローブなど東方の植物が記載されている。記載される植物の分布は、東西はインドからイタリアまで、南北は黒海周辺からエジプトに及び、全編では500余種の植物に言及している。
それらの植物について、テオプラストスは肉眼で驚くほど精密な観察記録を残し、その研究は実験や各地の情報に基づき、当時の諸説を集大成した。植物を定義し、今も使われている高木、低木、小低木、草本に分ける分類法を考案し、植物の特性から用途まで説き及んだ研究は18世紀以前の最高の植物研究とされる。リンネが「植物学の祖」の名をテオプラストスに献じたほどである。そのため、『植物誌』は植物学、ときには植物分類学の書物と長く見なされてきた。
しかし、全体的に見ると、『植物誌』は有用な植物をいかに上手に殖やし、効率よく使うかを研究したものである。植物の特性について吟味するのも、特性に応じた栽培法、繁殖法、利用法を説くためであるように思われる。したがって、わが国では本書の題名として『植物誌』が定着しているが、古代から伝わるのは『植物(ピュトン)について』、『植物の研究(ヒストリアー)について』であり、欧米では『植物の研究』(Historia Plantarum, Enquiry into Plants, Recherches sur les Plantes)と訳されているが、じつは『有用植物の研究』といえそうなほどである。植物が現在とは比較にならないほど重要だった時代に、時代の要請に応じて書かれた書物だったと思われる。本分冊の第5、6巻にはその傾向が顕著である。
当時、植物はじつに多様に使われていた。「花冠」も作られ、第6巻では、花や枝葉の美しさ、香りの特徴、それぞれの栽培、花暦などが詳述されている。かれこれ40年近く前、初めてロウブ版に、「花冠用植物」というグループ名を見つけ、しかも花冠や花環を作るための植物の記述が第六巻の半分近くを占めているのに驚いた。今でこそわが国でもクリスマスリースやマラソン大会ごとに見る月桂冠でおなじみだが、当時は馴染みがなく、テオプラストスが考案した主要分類に当てはまらないこのグループを別格のものとして取り上げ、詳述しているのが不思議だった。
ところが、注意してみると多くの古典の随所に花冠が出てくる。もっとも、花冠は、最初は神が被るものと考えられていた。ホメロスには人が被った例は記されておらず、プリニウスも「人間が被るようになったのは後代のこと」と言っている。しかし、古典期になると、冠婚葬祭にはつきもので、宗教的儀式の折には神官や犠牲獣まで花冠を被っていた。さらに、民会に出る評議員、演説をする者、はては日常、宴会に赴く男どもまでが被った。これでは一年中、花冠用の花、香り高い枝葉が必要なわけである。ギンバイカの花冠が好まれたので、アゴラにはギンバイカ市場があり、そこには注文に応じて花冠を作り、売って生計をたてて五人の子を育てたと言い立てる女もいたと喜劇が伝えている。葬式用には蝋で作った花冠も売られ、また、結婚前に夭折した娘には金製花冠が贈られたりもしたらしい。日常生活で花冠を使う頻度は高く、花冠は重要な意味を持っていたのである。
ただし、テオプラストスはこのような花冠の種類や花冠を被る機会には触れない。専ら、花冠を作る素材としての花冠用植物の特徴や栽培上の注意を述べる。さながら花卉園芸のマニュアル本の趣で、花冠用の花や枝葉が必要な花冠作りに向けられた指南書のようである。園芸好きな方なら、現在も通じる指示が散見するのに驚かれることだろう。
木材についても同様である。第五巻の用途の記述からは、ギリシア人が日常生活に木材をいかに多様に使っていたかが窺える。造船、建築、楽器、家具、道具の類、木炭や火起し器の記述からは当時の生活が想像される。木材の産地も枚挙され、コルシカや、キュプロスなどには現在想像できないほどの豊かな森林があったことを示す。コルシカでは川を遡ることもできないほど木が茂り、天然林の大木を伐って50の帆をはるほどの筏ができたという。丁寧に読んでいけば、記述の端々には当時の自然やギリシア人の生活を知る手がかりが数多く記されているのである。
ただし、テクストが問題とするのは木材の伐採時期、諸用途に相応しい樹種、材質に応じた製材、加工法、木材の産地などである。つまり、様々な用途に木材を使い、ものを作る人々に役立つ情報が記述されている。例えば、船の「貼り付け竜骨(仮龍骨)」に適する材の記述はあるが、それが夜、船を陸に曳き上げる際に竜骨の防護するために付けられる板であるという説明はない。日常的に見慣れた、当たり前のことは記されていないのである。木炭についての記述でも、材料とするのに適する樹種、炭焼きの方法、できた炭の特性、鉱業燃料としての適性などには触れるが、日常の燃料としての薪炭には触れない。また、蝶番や扉周りに使う材の種類や使用する部位については細々と指示するが、蝶番や戸口の構造には全く触れない。ギリシアの扉は蝶番を使った開き戸、つまり観音開きで、音がしないように、「蝶番の軸受に水を差す」といった喜劇の一節から分かるように、扉自体、あるいは外枠に取り付けられた軸受部分が木製だったといったことには触れないのである。
このように、『植物誌』は生活全般に役に立つ植物について、それを効率よく利用する方法を研究しているが、それは消費者のためというより、農業、建築、造船、林業、園芸などさまざまの産業に従事する人々に役立つ記述を企図していたようにも思われる。
とはいえ、本書は単なる実用書ではない。生物学的にきわめて優れた実証的な研究書なのである。優れた動物学書を残したアリストテレスが唱えた目的論、植物に雌はないとする主張、自然発生説なども疑い、卓越した観察や実験に基づいて、実証的、科学的に批判している。例えば、種子を持たず自然発生する植物があるとの通説をテオプラストスは否定し、観察の結果、すべての植物は種子で繁殖すると言明している。またアリストテレスは生物には霊魂があると考えたが、テオプラストスは霊魂については一言も触れない。徹底した合理的精神の持ち主だったのである。しかし、その主張は主流にはならず、19世紀にパスツールが否定するまで自然発生説は長く信奉された。さらに、ヘレニズム世界中の植物を研究した結果、「適したトポス(成育環境)に育てば、どの樹木も立派に育ち、よく茂る」、「耕作や手入れ(人為的な技術)より生育環境の影響は大きい」という優れた生態学的考察を繰り返し説いた。これは1869年、ヘッケルが生物の生長と生育環境の関係を研究し、生態学を始めたとされるのに先立つこと、2200年ほども前のことだった。
つまり、『植物誌』は実用書でありながら、理論的にも優れた植物学書であり、純粋科学と応用学が融合したものだった。実用面を見据えながらも基礎的研究はおろそかにしない姿勢や、一見、世界中の珍しい植物紹介や木材産業のための指南、植物栽培のマニュアルを記した本にも見える本分冊の中に、ギリシア人の日常生活についてのなかなか面白いことが見え隠れしていることを読み取っていただければと願っている。
小川洋子