著者からのメッセージ
丹下和彦:エウリピデス『悲劇全集4』
素材と表現
ギリシア悲劇の素材は古い神話・伝承から採られている。市井の些事は、いかに悲劇的様相をもつものでも舞台に上ることはない。制作・上演は祭事の一環でもあったから当然のことであろう。しかし100年の歴史を経るうちに、悲劇の制作・上演は芸術的感興の表現という側面も強くなってくる。作る者も観る者も人間である以上、素材の如何にかかわらず、そこに人間的感性が入り込み反映されるのは当然である。エウリピデスの諸作品は、時期を問わず、そうした人間的感性を素材から抽出しようとした、あるいは素材に読み込もうとしたように思われる。作者は自己の身の回りに生起した出来事(大小を問わぬ)を神話・伝承内の素材に託して描いたというわけである。その間の微妙な関係を窺うことが悲劇鑑賞の、あるいは研究のあり方の一つとも目される。その端的な例が『トロイアの女たち』だろう。
しかし素材と現実との間の距離は、芸術的表現をするにあたって、つねに有利に働くわけではない。現実の事件に興をそそられた作者がそれを盛るべき素材を神話・伝承内に求めても、ついに探しあぐねるという場合もあるだろう。素材の制約と芸術表現への意図との距離が重荷に感じられる場合もあるのではないか。
一つの例に「人身御供あるいは犠牲死」がある。作品中に頻出するが、否定的にとらえられることはまずない。「人身御供」という儀式は神話・伝承の中だけではなく、ペルシア戦争やペロポネソス戦争を体験した前5世紀、しかもあの啓蒙の世紀のギリシア市民たちの目の前でも起きたことだった(プルタルコス『対比列伝』「テミストクレス伝」参照)。しかし神話・伝承中のそれは、自由や愛国という抽象概念のためでありながら、(主として)若い乙女によって敢行されるのがふつうである。「悲劇の様式美」の発露の一つと言えばそれまでだが、エウリピデスでさえもポリュクセネやイピゲネイアにそれをやらせている、無批判に。むろん観客は劇場の高揚した雰囲気の中で感動のあまりに拍手喝采する。しかしその中の何人かは、後日その劇をシナリオの形でもう一度読めば、拍手した劇場での自分の姿を些か恥じるのではなかろうか、あれは17歳やそこらの少女の吐くせりふではなかったなと思われて。劇は、接する場所が劇場(見かつ聞く場)から書斎(読む場)へと変われば、その印象は変わってくる(たとえ前5世紀に再演が許されたとして再度観る機会があっても、二度目の印象は違ったものになるだろう)。いま筆者の意中には、クセノポンの報告(『アナバシス』第4巻第1章23以下)に出てくる初老の男――ギリシア軍の進むべき退却路を尋ねられたものの娘の身の上を慮って一切黙秘したために切られて死んでいく小アジアの現地人――の姿がある。愛する娘という具体物のための犠牲死、自由や愛国という抽象概念のための犠牲死、いずれもありうる。だが後者の担い手が若年の乙女である場合は、どうしてもそこに違和感をぬぐいきれない、エウリピデスはなぜイピゲネイアにあんなセリフを吐かせたのかと、吐かせてはいけないセリフではないかと。いくらそれがギリシア悲劇の様式美だとしても。
ペロポネソス戦時下のアテナイおよびその周辺地区には、クセノポンが告げるような「死」も少なからず転がっていたはずである。それに気づかぬエウリピデスではない。エウリピデスは、それは伝統的な犠牲死(人身御供)でじゅうぶん代置されると考えたのだろうか、『ヘカベ』や『アウリスのイピゲネイア』でそうしたように。いや、「メロス島事件」のような大規模な死は伝統的な素材の中で代替え的に取り上げられても、個々の小さな(!)死を筆で掬い上げることは、ギリシア悲劇という媒体ではもはや不可能な時代になっていたのではなかろうか。
丹下和彦(大阪市立大学名誉教授)