新刊紹介
飯坂晃治:ブライアン・ウォード=パーキンズ,南雲泰輔訳『ローマ帝国の崩壊─文明が終わるということ』
刊行によせて
近年,古代ローマ史研究の世界では,ローマ帝国の終焉期に関する研究がさかんになっている。昨年には,南川高志氏が『新・ローマ帝国衰亡史』(岩波新書,2013年)を出版し,読書界において大きな反響を呼んだ。そして,この6月には,ブライアン・ウォード=パーキンズ著『ローマ帝国の崩壊──文明が終わるということ』が,気鋭の研究者である南雲泰輔氏の訳業により出版され,こちらもすでに大きな注目を集めている。
ローマ帝国の終焉期に関する研究が流行しているのは,ピーター・ブラウンの「古代末期」論の影響である。ブラウンの「古代末期」論は今日ではつとに有名で,著書もすでに数冊翻訳されている(宮島直機訳『古代末期の世界 ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?』刀水書房,2002年,改訂版2006年;出村和彦訳『アウグスティヌス伝(上・下)』教文館,2004年;足立広明訳『古代末期の形成』慶應義塾大学出版会,2006年;後藤篤子編訳『古代から中世へ』山川出版社,2006年;戸田聡訳『貧者を愛する者 古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生』慶應義塾大学出版会,2012年)。ブラウンは3世紀から7・8世紀までを,単なる古代の延長ではなく,また古代と中世が併存する時期でもない,独自の価値を持つ「古代末期」とし,「古典古代」が長い時間をかけて本質的な「転換」・「変容」を遂げてゆく世界だとした。この学説は大きな反響を呼び,英米の学界を中心に「古代末期」研究がさかんになった。とりわけローマ帝国没落論に対するその影響は非常に大きく,ローマ帝国史研究では「ローマ帝国はなぜ滅んだのか」という問いが発せられなくなり,3世紀以降のローマ帝国を「没落」や「衰退」とは異なる観点から捉え直そうとする研究が活発化したのである。
「古代末期」論やその影響をうけた近年のローマ帝国史研究は重要な成果を多数生み出したが,しかしその一方で,イギリスの一部の研究者は,近年のローマ帝国史研究において「没落」や「衰退」といった概念が排除されていることを批判している(こうした研究動向に関しては,南雲泰輔「英米学界における『古代末期』研究の展開」『西洋古代史研究』9,2009年,47〜72頁;南川高志編「ローマ帝国の「衰亡」とは何か」『西洋史学』234,2009年,61〜73頁を参照)。本書の著者ブライアン・ウォード=パーキンズもそのような研究者のひとりで,本書はこの数十年,学界に大きな影響を与えてきたブラウンの「古代末期」論に対する明確なアンチテーゼなのである。
著者はまず,本書の前半部(第1部「ローマ帝国の崩壊」)において,ゲルマン民族の侵入を論じる。ゲルマン民族の移動に関しては,それが「平和的な移住・順応」であったとするウォルター・ゴッファートの研究があるが,文献史料を読み解くなら,ゲルマン民族の侵入はやはり「暴力的で破壊的な侵入」であった。特に帝国西方では,税収の下落や内乱などから大規模な軍を動員できなかったため,ゲルマン民族の侵入を撃退できず,ゲルマン国家が成立した。しかし,ローマ社会の基本構造はゲルマン民族の支配下でも存続したため,ローマ人は必ずしも富と権力を失ったわけではない。ポスト・ローマ期の西方では,ローマ人が支配者たるゲルマン民族の政治的アイデンティティを受容し,ゲルマン民族が洗練されたローマ文化を受容することで,両者の同化がおこったというのである。
この前半部分の紹介からすでに明らかなように,本書は,ローマ帝国没落論の最新版としての性格を有している。ローマ帝国没落論はしばしば,没落の要因をゲルマン民族の侵入などに求める「外因論」と,ローマ帝国の内的崩壊に見て取る「内因論」とに分けられる。この分類にしたがえば,本書は前者に属するだろう。しかし本書は,ゲルマン民族の侵入でローマ帝国が崩壊した内因にも論及しており,その内因(例えば税収の激減など)は興味深い論点であるだけに,今後より詳細な分析が必要なようにも思う。
本書の後半部分(第2部「文明の終わり」)では,ローマ経済の崩壊が論じられる。その際に注目されるのが陶器(容器・瓦など)で,ローマ時代には高品質のものが大量に生産され,帝国規模で流通し,社会の幅広い階層に普及した。しかし,ポスト・ローマ期の帝国西方では,ゲルマン民族の侵入によって,この大規模で複雑な経済システムが崩壊し,各地域の経済はローマ時代以前のレベルに逆戻りした。というのも,ローマ経済が成立する段階で自律的なローカル経済がすでに破壊されていたからである。ポスト・ローマ期には,農業生産の低下にともない人口が減少した可能性が高く,教会など新築の建造物も規模が縮小化し,そして,ローマ社会の特徴ともいえる読み書き能力が必要とされなくなった。5世紀のローマ帝国西方の終焉は恐怖と混乱の経験であり,それはまさに「文明」の崩壊であったのである。
本書はなんといっても,陶器などの考古学的資料をもちいてローマ「文明」の崩壊を論じた第2部の分析が出色である。「心性」や「宗教」に重点を置く「古代末期」論に対抗し,著者は当該時期の「物質」的な生活世界を描いてみせる。著者は,陶製容器や屋根瓦,貨幣などの分析から,製品の生産・流通・消費の実態に迫り,ローマ期における生活水準の高さとポスト・ローマ期におけるその劇的低下を説得的に示す。近年の「古代末期」論的な研究では,ローマ帝国の社会的な基盤である都市の存続が指摘されることはあったが,本書における分析はそうした都市や農村に生きた人々の生活レベルにまで踏み込んだものであり,そこから「古代末期」論的な研究とは対照的な結論を引き出した点に大きな意義があるといえよう。
この「物質」的世界の分析という点に関連して,もう一点指摘したい。本書の後半部分では,随所で帝国東方(とりわけシリア・エジプト)におけるローマ経済の存続が指摘されているが,この主張はブラウンの「古代末期」論と親和性をもっているように思う。本書で著者は,「古代末期」論が帝国東方に関する像を西方に当てはめていることを批判し,帝国西方におけるローマ世界の崩壊を説明しているが,その際に,西方の状況との対比で帝国東方におけるローマ経済の存続を示しているのである。しかし,このことによりかえって,西ローマ帝国の早期の崩壊と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の長期の存続という従来的な歴史像が明確にされたともいえよう。著者の所論はこの意味で,実際には「古代末期」論から大きくかけ離れていないのかもしれない。
本書は,南雲氏の訳文も読みやすく,また論旨がきわめて明快であるため,一般書としても非常に面白く読める内容となっている。「古代末期」論に再考を迫り,ローマ帝国の「没落」を描いた本書が,専門家だけでなく,一般の読者にも広く読まれることを祈念したい。
飯坂晃治
書誌情報:ブライアン・ウォード=パーキンズ,南雲泰輔訳『ローマ帝国の崩壊─文明が終わるということ』(白水社、2014年6月)