著者からのメッセージ
毛利晶:リウィウス『ローマ建国以来の歴史4──イタリア半島の征服 (2)』
リウィウスの「ショービニズム」
私は『ローマ建国以来の歴史3』に附した解説「ティトゥス・リウィウス──人と作品」の最後を、「彼はただ過去の栄光へのあこがれ、それを伝える伝承に対する畏怖の念、そして伝承に美しい文体と調和のとれた構成を与えることにより自分もローマの栄光に寄与することへの悦びから歴史を綴ったのである」という文章で締めくくった。リウィウスの『ローマ建国以来の歴史3』と『ローマ建国以来の歴史4』は、ガリア人により占拠されるという災禍から立ち直ったローマがイタリア半島に割拠する諸民族を征服し、自らの覇権のもとに統合していく歴史を語る。そこで繰り返され半ばパターン化した戦争の描写、勇猛果敢なローマ兵と軟弱で規律を欠いた敵の軍隊、リウィウスのあまりの愛国心に時として食傷を覚えるのは、私だけではあるまい。だがリウィウスにとって、ローマの栄光とは何だったのだろうか。
リウィウスは恐らく生粋のローマ人ではなかった。何をもって「生粋」と言うかは難しいところだが、彼の生まれ故郷パタウィウム(現在のパードヴァ)の市民がポー川の北に住む他の人びと(トラーンス・パダーニー)と共にローマ市民権を得たのは、前49年のことである。しかもアルノ川とルビコン川を結ぶ線より北の地域(ガリア・キサルピーナ)は、イタリア半島にありながら前42年まで軍隊の駐屯が可能な属州だった。リウィウスは前59年か前64年の生まれと伝えられるので(詳しくは『ローマ建国以来の歴史3』解説「ティトゥス・リウィウス──人と作品」を参照)、これらは物心がすでについていたころの出来事だろう。もっともトラーンス・パダーニーの共同体は前89年のポンペイウス法によってラテン植民市の格が与えられ、都市の公職を経た者とその家族はローマ市民権を得ていたらしい。リウィウスは名士の家系に生まれたと推測され、すでに生まれた時から「ローマ市民」だった可能性はある。だがいずれにせよローマが自国市民をパタウィウムに入植させたと伝える史料はなく、恐らくリウィウスは昔からこの地に住んでいたウェネティ族の末裔だった。
リウィウスの生まれ故郷に対する思いは、叙述のなかに時として顔を出す。第1巻の冒頭では、ローマの祖となるトロヤの落ち武者アエネアスに先だって、ウェネティ族の祖となったトロヤ人アンテノルを登場させているし(第1巻第1章1〜3)、第10巻の冒頭では、クレオニュモスの侵入を撃退したパタウィウム市民の武勲を語る(第2章)。前174年にパタウィウム人のあいだで党派争いが起こり、ローマに調停を求めたというローカルな事件(第41巻第27章3〜4)や、リウィウスの同郷人で知り合いでもあったガイウス・コルネリウスという著名な占い師が、パタウィウムに居ながらパルサロスの戦いを告げ、その結果を予言したという話(「断片」43=プルタルコス『カエサル伝』47)も、リウィウスが生まれ故郷に対して抱いていた関心の表われと言えるだろう。ただ現存する巻や断片でパタウィウムに直接言及されているのはこれだけで、町の名を挙げず北イタリア東部の情勢に触れた箇所を加えても、『ローマ建国以来の歴史』にパタウィウム人リウィウスが顔を出すのは希である。全体として見れば、「ローマ人」の立場で書かれていることには変わりがない。
それではリウィウスにとってのローマとは何か。彼は作品全体の「序」で、自分が生きる時代のローマについて、すでに700年以上の歴史を経て「自らの巨大さに喘いで」おり、「かくも長年にわたって禍々しいことどもを体験し」、「自らの悪癖にも、その矯正策にも耐えることができず」、「富が貪欲を引き起こし、満ちあふれる快楽が、奢侈と情欲によって自ら滅び、全てを滅ぼさんとするまでに至った」と記している。『ローマ建国以来の歴史』の読者は、同じ趣旨のコメントが時に本文にも挿入されているのを見つけるだろう。リウィウスが最初の5巻を出版したのは前27年から前25年のあいだと考えられ(『ローマ建国以来の歴史3』解説)、「序」もこの出版にあわせて書かれたとすれば、当時は内乱の記憶がまだ生々しかったはずである。したがってリウィウスのペシミズムは、内容のない古代の歴史家の常套句として片づけるべきではないかもしれない。
現代のローマに対するペシミスティックな諦観と比べて際立つのが、過去のローマに対するリウィウスの思い入れ、偉大なローマ(結局はその巨大さのゆえに退廃することになろうとも)を創り上げた古のローマ人とその事績に対する称賛である。もちろん個々の出来事や人物をとれば、失敗や誤り、不正や傲慢さがないわけではない。しかし長い歴史を通して見れば、ローマには聡明で廉直な政治家、優れた将軍、勇敢な兵士が輩出し、偉大な帝国を創り上げて行った。これに対し、ローマと戦って敗北し、その覇権のもとに統合されていく外民族は脇役でしかない。彼らは総じて軟弱にして貪欲、規律を欠く。軍事的才能に恵まれている者は残忍、勇猛であっても無思慮な人びととして描かれる。こうした視点でローマの歴史を記すとき、リウィウスはどれほど古のローマに自分自身を投影していたのだろうか。はたしてローマの過去に自分のルーツを求めようとしたのか。つまり私たちは、こうしたリウィウスの叙述に彼のショービニズム(熱狂的な愛国心)を読み取るべきか。それともリウィウスにとって、かつての栄光に満ちたローマは結局のところ自分からは切り離された存在であり、ただ彼はその栄光を、流麗な文章で謳い上げたかったのか。もしカエサルによるガリア征服や、クラッススやアントニウスが指揮したパルティアとの戦い、あるいはアウグストゥスの時代のゲルマン人との戦争を記した巻が残っていたなら、リウィウスが自分の時代の外民族との戦争をどのように描いたかが分かり、彼の「ショービニズム」を評価する上で有益だっただろう。しかし残念なことに現在では彼の歴史は第46巻以降が散逸し、ポリュビオスの見方に従えば、ローマが地中海に帝国を築き終えた前167年までの叙述しか残らないのである。
毛利晶(神戸大学名誉教授)
書誌情報:毛利晶訳、リウィウス『ローマ建国以来の歴史4──イタリア半島の征服 (2)』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2014年1月)
(毛利晶訳、リウィウス『ローマ建国以来の歴史3──イタリア半島の征服 (1)』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2008年6月))