著者からのメッセージ
木曽明子:アイスキネス『弁論集』
「デモステネスによって名を成し、デモステネスによって名を汚された」とは、古典弁論研究の泰斗G.ケネディがアイスキネスを評した言葉である。
周知のごとくデモステネスは二千有余年、古代ギリシア弁論の第一人者と謳われ、六十編にあまるその作品は、修辞学者、歴史学者たちによって三顧の礼をもって遇されてきた。他方アイスキネスは法廷弁論三編を残すだけだが、その対決相手はいずれもデモステネスである。(二人の該当作品を並べて読めば、係争者双方の言い分を聴けるという、古典文献伝承上稀有の幸運が読者の目の前にある。)当時もっぱら政敵同士の勝負の場であったアテナイの法廷において、デモステネスは渾身の力を揮って親マケドニア派を批判弾劾するが、とりわけその標的アイスキネスがマケドニア王ピリッポス二世から収賄したという追及は執拗かつ熾烈を極める。かくして「売国奴アイスキネス」の名は、消しがたく歴史に刻み込まれた。
なにしろ「反マケドニアの闘士デモステネス」の熱弁は、アテナイ市民を感奮興起させたばかりか、「侵略者ピリッポス」に抗するギリシアの他の国々をも動かして、前三三八年カイロネイアの野におけるマケドニアとの決戦に結集させたのである。その経緯が詳しく語られた彼の代表作品『冠について (第十八弁論)』は、主権を賭けて戦った近代諸国家の導きの星と仰がれ、第二次大戦中にはフランス・レジスタンスの戦士たちの旗じるしとなった。民主社会の理想を訴えるオバマ大統領は、その演説の強烈な磁力をもってデモステネスになぞらえられている。
一方アイスキネスはカイロネイア戦完敗後の和平交渉に使節として奔走し、勝者ピリッポスの極めて寛大な処遇をアテナイに持ち帰った。前回の講和締結の折りにも、率直明快な発言でピリッポスに好感を持たれたというアイスキネスの弁舌外交の功が、大いにあずかって力があったと思われる。
ちなみに彼の同時代から次世紀にかけてアテナイの知性を担ったペリパトス(逍遥)学派の哲学者たちは、即席の弁論に長け、天与ののびやかさを備えたアイスキネスの弁論をデモステネスのそれよりも高く買っていたという。デモステネスは小石を口に含んでみずから発音の矯正に努めた等の逸話で知られるとおり、弁論術の練磨に身を削った刻苦勉励の人であったが、即興の弁論は苦手で、その演説は「燈心の匂いがする」(草稿作成に夜遅くまでかかる、の意)と揶揄されたとも伝えられる。
アイスキネスの弁論をデモステネスの対応作品と並べて読まれる方は、まず気付かれるだろう、デモステネスがアイスキネスの収賄を攻撃するのと同じだけ、アイスキネスもデモステネスの収賄を激しく攻撃しているのである。どうやらアテナイの法廷論争では、過激な人身攻撃、誹毀罵言の投げ合いが常套手段であったのと同様に、「賄賂取り」呼ばわりも論敵打倒に欠かせぬ弁論戦略であったようである。
なおケネディ原文はfamous because of Demosthenes, and in the eyes of some he is infamous because of Demosthenes、と後半の「汚名」に限定句がついていることを断っておかねばなるまい。
木曽明子