著者からのメッセージ

納富信留:プラトン 理想国の現在

 「日本人は、これまでプラトンをどのように読んできたのだろう?」

 このような疑問が、2010年8月の国際プラトン学会東京大会を準備する過程で、私の内で次第に大きくなっていった。世界各地で開催されてきたその学会を初めて日本で開催するにあたり、テーマとなった『ポリテイア(国家)』の研究を進めると同時に、現代の日本においてこの著作を読む意味とは何か、という問いが突きつけられたからである。とりわけ、世界各国からプラトンを議論するため日本に訪れる研究者たちに、私たち自身の歴史を紹介したいと思っていた。

 プラトンの本格的な翻訳や研究、それに伴う一般の受容は、戦後、とりわけ岩波『プラトン全集』が出版された1970年代に始まったのだろう。私も最初は、漠然とそう信じていた。それは、まったく違っていた。関連資料を昭和から大正、明治へと遡り始めた私は、おどろくべき状況に出会い、圧倒されていった。ケーベル博士が東京大学でギリシア語やギリシア哲学を講じた以前から、プラトンへの関心は哲学者たちの間で広がっており、大西祝のようにギリシア語を学んで新たな日本語で対話篇を訳そうと決意する若者もいた。ジョウェットの英訳からではあるが、明治後期には木村鷹太郎による『プラトーン全集』が日本語で登場し、人々はこぞって対話篇を読んでいたのである。

 中勘助の小説ではプラトンを愛読する女性が登場し、大正デモクラシー下の衆議院選挙では、プラトンに倣って「哲人政治」を実現せよ、との論陣が雑誌を賑わせていた。大隈重信はプラトンの「理想境」に言及しつつ明治以来の日本を振り返り、柳宗悦は朝鮮の友に向けて、日本の不正をプラトンの説く政治から反省すべきことを訴えていた。現在では想像もつかないほど多くの人々が、文化人も政治家も一般人も、プラトンの名を口にし、その対話篇―とりわけ『ポリテイア』―を読みながら、近代日本の「理想」を追い求めていたのである。

 他方で、北一輝、上杉愼吉、大川周明、鹿子木員信といった「国家主義」的な傾向をもつ思想家たちが、プラトン『ポリテイア』に熱狂し、それが全体主義の理念に結びついていく暗い側面も明らかになった。敗戦後、日本の過去を清算する過程で、プラトンをこぞって読んでいた近代日本の人々の姿も、忘却されてきたのである。

 プラトンの主著『ポリテイア』が持つ、そういった魅力と意義と危険性は、一体何に由来するのだろう。それは、果たして正しい読み方だったのだろうか。この問題では、ナチズムの全体主義との関わりで、カール・ポパーがプラトンを厳しく糾弾したことが知られている。その批判をどう受けとめてプラトンの哲学を見据えるかは、21世紀の現在の私たちにも課題として残されている。

 このような問題意識から発展した研究をまとめた拙著は、日本の過去と現在を見つめながら、哲学が未来に何を語っていくべきかを模索する一つの試みである。私が近代日本に見たのは、彼らが『理想国』という標題において、プラトンが語った人間と社会の理念を真剣に実現しようとしていた姿である。そして、その「理想」という日本語そのものが、西周が明治初期にプラトンの「イデア」を説明する箇所で、初めて用いた哲学用語(造語)であった。

 では「理想」(ideal)とは何か? 私たちは今では当たり前に口にするこの語は、元来は「イデア的なもの」を意味し、プラトンが『ポリテイア』において言論で構築したポリスのあり方、つまり「ポリテイア」を指していた。その哲学的な由来や可能性が忘却されている現在、プラトンが語ったこの「理想」の意味を日本語において取り戻す試みが必要であろう。私たち日本人が、幕末・明治期に西洋と出会い、その「古典」を血肉にしてきた百五十年の軌跡を辿ることで、未来に向けて新たな「理想」を語っていけるのではないか。『プラトン理想国の現在』と題した本書が、今後の私たちの歩みにとって一つの灯火となることを希望している。

*本書で論じた近代日本のプラトン受容については、資料調査も理解もまだ不十分な点が多々あるはずです。識者、とりわけ、戦後の西洋古典研究を経験された先輩方からのご教示を賜われれば幸甚です。

納富 信留(慶應義塾大学:notomi@z8.keio.jp)

書誌情報:納富信留『プラトン 理想国の現在』(慶応義塾大学出版会、2012年)