著者からのメッセージ

松本仁助:プルタルコス『モラリア8』

 ここ数年、プルタルコス「モラリア」の中の長編『食卓歓談集』を訳して来たが、談話という形式の文章を訳した後で、情けなく思っていることがある。それは、年長者と若者または教師と弟子などの間における対話の訳が、情けないほど単調なことだ。

 例えば、『食卓歓談集』第8巻論題3「音は日中より夜のほうがよく響くのはなぜか」において、教師のアンモニオスと弟子のプルタルコスやボエトス、アンモニオスの息子トラシュロス、それにキュプロス出身のアリストデモスが談論している。だが、其処での人物の言葉遣いは、殆ど差異のない訳され方をしている。このことは、全巻を通じて同じである。

 今は、アンモニオスの言葉は、重々しく諭すように訳されるべきであり、弟子たちの言葉は、其処にいる師アンモニオスに向けては、このうえもなく丁重に述べられるように訳されるべきであった、と思う。

 このようなことは、私が、1959~1960年においてマインツ大学に留学していた時、古典学のゼミナールにおいて、経験したことである。それは、私が、ゼミナールの主任教授に呼び出されて、教授室に行った時、たまたま、助手が、教授に事務報告していた言葉で、「教授殿、私は、貴方が購入されました古典学教室用の図書を、古典学教室の図書閲覧室に配置しました。以上であります」という極めて丁重なものであった。さらに、私が、体調不良でマインツ大学の病院に入院していた時のことであるが、教授が診察に来た時、私の担当医は、同じような敬語で、私の病状を報告していた。

 このような経験があるのに、目上の者が目下の者に言う言葉と目下の者が目上の者に使う敬語を、私は、正確に分かるように訳していなかったのである。今後は、こういったことに気を配った訳し方をしよう、と思っている。

 話は、全く違うが、ここで一言付け加えさせて貰いたいことがある。それは、私の上記の訳書の凡例において、訳出における参考文献として柳沼重剛氏の抄訳「プルタルコス著『食卓歓談集』」(岩波文庫)を記載するのを失念していたことである。私は、この場を借りて、柳沼氏とそのご遺族にお詫びする次第である。

松本 仁助

書誌情報:松本仁助訳、プルタルコス『モラリア8』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2012年8月)