西洋古典学への誘い
西洋古典学を学ぶきっかけ
第一志望の大学に一年浪人して入学することができた。この一年間を無駄にしないよう、大学生活は学業に専念しようと意気込んでいた。文学部という環境はそうするのに打って付けのものに思えた。その一方で、専攻をどうするかは絞り切れずにいた。面白い講義はあっても、ではその講義の分野を自分の専門にするかと想定すると何かしら違和感があるということばかりであった。ただ、何らかの形で言語表現を研究対象としたいという思いは漠然とあり、それもあって1回生の時は第二外国語として選択したドイツ語の学習に特に力を入れていた。2回生になって、文学部開講のラテン語とギリシア語を履修することにした。これまで学んできた英語とドイツ語の知識にも結び付けることができるし、専攻を決める際の選択肢の幅も広がり都合が良いと考えたのだ。西洋に関するものならば哲学・史学・文学のいずれの分野に進むにしても、また言語学に進むにしても、この両古典語を学んでおくことは得こそすれ損にはならないというごく打算的な考えであった。ラテン語の方は1回生の時に全学共通教育科目の方でも履修していたが、その時はあまり力を入れていなかったので改めて学び直すことにした。
ギリシア語は週1コマだが、ラテン語の方は週2コマのインテンシブなコースのものを取った。両方ともなかなか大変であったが、それだけいっそう遣り甲斐を感じられるものであった。ラテン語とギリシア語は一語一語の文法的情報量が多い。それゆえ学び始めのうちは、数語程度からなる文であっても、その文の持つ文法的情報量の多さに圧倒される思いがする。しかしそれが逆に自分の「なにくそ」の精神を喚起した。そして「分かった」という実感を得た時の喜びはとりわけ大きなものであった。そうした時、当初難解に思えた両古典語の文は、何か美しさをも感じさせた。
いつしか、このまま続けてラテン語とギリシア語を読んでいきたい、と思う自分がいた。そうして2回生半ばの頃の専修分属決定の時に、自分は「西洋古典学専修」を選んだのである。やがて自分の関心は、その両古典語が紡ぎ出すギリシア・ローマ神話を題材とした文学作品にも向かっていき、その中で特にオウィディウスという古代ローマの詩人の作品研究を現在に至るまで続けてきている。そして幸運にも両古典語を学生たちに教える立場にもつくことができた。ともすればそろそろ良くない「慣れ」が自分に出てきそうな頃合いかもしれないが、研究においても教育においても、西洋古典を学び始める時に感じた熱い思いを大切にしていたい。
西井奨(学振特別研究員/京都大学・同志社大学・大阪大学非常勤講師)