西洋古典学への誘い

西洋古典学を学ぶきっかけ

 私と西洋古典の出会い

 私が西洋古典と本格的に付き合い始めてから、かれこれ十数年になります。馴れ初めをお話しするようで面映ゆくもありますが、西洋古典との出会いは高校生の頃にさかのぼります。私の出身校の英語のリーダーの授業では毎月、副読本の講読の課題が出まして、第一回目の副読本の題材がギリシア神話だったのです。そこに描かれているのは、人間と同じように恋し、嫉妬し、怒り、憎み、嘆き、涙する神々の姿でした。こうした古代ギリシアの神々の姿、また、かように神々を理解した古代ギリシアの人々に関心を持ちました(今思えば、副読本に描かれている神々の姿はあくまで著者の解釈に過ぎないのですが)。その時分は岩波文庫、ちくま文庫、講談社学術文庫などで西洋古典の翻訳が出ているのを知りませんでしたので、古代ギリシアについて紹介した本をいくつか読んで、古代ギリシアの人々に思いを馳せました。

 西洋古典の原典に直接触れるようになったのは、大学に入学してからのことです。ちょうどその前年から、京都大学学術出版で西洋古典を全て翻訳することを目指した西洋古典叢書の刊行が開始されていました。このおかげでそれまで以上に読書の環境が整いつつあったことは、西洋古典に私が入れ込む大きな要因となったように思います。また偶然に、藤縄謙三先生の『ギリシア文化と日本文化』(平凡社ライブラリー、1994年〔初版、1974年〕)を手に取る機会があり、それを読み進める中で、日本とある部分では似ていながらも、やはり異なる文化を持つ古代ギリシアの人々に対する関心をより強くしたことを覚えています。

 こうして大学時代から本格的に西洋古典と付き合い始めて、現在までその関係は続いています(時折、相手に愛想を尽かされそうになりますが)。最後に、付き合いの現状について少しお話ししますと、私は国家のあり方や、国家における外国人(他者)の存在に関心を持っていまして、こうした問題について、プラトン、アリストテレスといった哲学者だけではなく、リュシアスなどの弁論家や、エウリピデス、アリストファネスといった悲・喜劇作家など、様々な方の意見を伺いながら、思考を重ねています。 何やら取り留めのない話になってしまいましたが、このように、私の西洋古典との出会いは本当に些細なことに過ぎませんでした。ですが、何かを学ぶきっかけというものは往々にしてそのようなものなのかもしれません。私の文章をたまたま見かけたことが、誰かにとって西洋古典を学ぶきっかけとなれば幸いです。

篠原道法(立命館大学非常勤講師)