古典学エッセイ

篠塚千惠子:表紙絵《ルドヴィシの玉座》(2021年10月掲載)に寄せて(その10)

 ヴェネツィアの展覧会でLとBを対面させる企ては一朝一夕に生まれたのではなかったろう。この企ての遠因、ないし導火線となったものこそ、1987年のグァルドゥッチのBの贋作説だったのではないだろうか。

 碑文学者・考古学者として内外共に令名の高い大物学者による正面切っての贋作説なのだ。大きな反響を呼ばないはずがなかった。アカデミックな領域を超えてマスコミまで巻き込む騒ぎになった。一時収まっていたかに見えたBの真贋論争が息を吹き返しただけではない、驚くべきことに、Lの贋作説まで現れた。イタリアが所有するギリシア美術作品の中でも一際有名な作品の贋作説浮上とは、これは由々しき事態。ニュースは直ちに広まり、日本にも届いた。図1は1988年4月30日付の朝日新聞夕刊の記事の切り抜きである。見出しは〈ギリシャ彫刻の傑作「ルドヴィシの玉座」は贋作?〉となっており、Lの写真が付されている。見出しの詞書きには〈伊の評論家、「19世紀の書簡で判明」と語り、大騒動〉とある。

 伊の評論家とは、当時世界的に名の知られた美術評論家フェデリコ・ゼリFederico Zeri(1921-1998)。イタリア・ルネサンス美術史を専門とする彼は、アカデミックな研究にとどまらず、美術鑑定家や美術館館長としても幅広く活躍し、アメリカの大美術館の美術顧問や評議員も歴任していた。その彼がイタリア国営テレビの番組に登場して、〈ギリシャ時代の作といわれる『ルドビシの玉座』が、実は19世紀後半につくられたものであることを証明する書簡が見つかった〉と語ったのだ。問題の書簡は19世紀のもので、北欧の美術館で発見されたとのことだが、北欧のどこの美術館なのか、だれが発見したのか、詳細は明らかにしなかったという(図1と補遺を参照)。

 記事にはLを所蔵するローマ国立博物館責任者のマリア・リタ・ドミノ女史の反論も載っている。〈全世界の研究者によって本物と断定されたもの。疑いの余地はない〉。しかし、ゼリはギリシア美術の専門家ではないが、かつてアメリカのポール・ゲッティ美術館の評議員だったときに同美術館が購入しようとしたアルカイックのクーロス像を贋作と見破るほどの目利きであった(ポール・ゲッティ美術館の数々の贋作購入事件を扱った文献1, p.58)。その後もイタリアでは、新聞、美術雑誌などでゼリの発言をめぐってさまざまな憶測が流れた。やがて証拠となる書簡を保存しているとされる北欧の博物館はコペンハーゲンのニュ・カールスベア・グリュプトテークだと明言する新聞が現れ、ゼリの情報源がアメリカの美術商ジェローム・アイゼンバーグJerome Eisenbergだということも明らかにされた(文献2, p.27)。1990年には、問題の書簡を保存していると名指しされたニュ・カールスベア・グリュプトテークのキュレータであるメッテ・モルテセンMette Moltesenによって、グリュプトテークの創立者カール・ヤコブセンのLとBの購入に言及した19世紀末の書簡群を分析した論攷が出された(文献2)。モルテセンは〈厖大な書簡の山の中にLが贋作だと肯定するものは何もない〉と明言した(文献2, p.27)。

 しかし、これでLへの疑いが晴れたわけではなかった。〈この彫刻には同時期の贋作者が得意とする19世紀的彫刻法が随所に見られる〉、〈ギリシア彫刻にしてはアフロディテの胸が大き過ぎる〉(図1と補遺を参照)といったゼリの指摘に見られるような、彫刻の様式や技法の問題がBの贋作問題と絡まり合ってLへの疑惑はくすぶり続けたと思われる。こうなったら、にっちもさっちもいかない状況を打開する手立てとして、両作品を相並べて見比べ、広く世に問うほかないのではないか。かくして、ヴェネツィアの展覧会でのLとBの並列展示と相成った。そのように筆者は推測している。筆者の憶測に過ぎないかもしれないが、今一度読み直していただきたいのは「その9」に載せた【補遺】の一文――筆者が下線を引いた箇所――である。

 なかでも関心を集めるのは、イタリアから流出し、今回里帰りした作品。そのひとつ、大理石の『ボストンの玉座』は、ローマ国立博物館の有名な『ルドヴィーシの玉座』と初めて対面。共にひとつの祭壇を形成していたと推定されるが、両作品を巡って真贋論争が絶えないのも事実で、六月に開かれる専門家の会議での「判定」が注目される。

 このコラムを執筆したローマ在住の美術史家佐藤康夫氏は当時のLを巡る疑惑に注目していた、真贋論争が決してBだけに限ったものではなく、Lもまた論争があることを知っていた、それ故に、〈両作品を巡って・・・・・・・真贋論争が絶えない〉と書いたにちがいない。

 筆者は最近までLの真作であることを疑おうとしなかった。1988年の朝日新聞の記事を切り抜いた遠い日のことはほとんど覚えていないが、Lが贋作だって? そんなばかな、と思い、上に引いたローマ国立博物館責任者のマリア・リタ・ドミノ女史の見解に同調していたのだろう、切り抜き記事をL関連の文献ファイルに収めたきり、Lの贋作説の動向に意を払わなかった。それがどうだ。Bの真贋問題を調べていけばいくほど、Lの知られざる局面が見えてきて、一抹の疑念すら横切るようになった。そういえば、グァルドゥッチ自身、1985年の論文(その6の文献3)のなかでLの贋作の噂に言及していたことも思い出されてきた。彼女はこの論文の冒頭部分でLを〈前5世紀前半、いわゆる厳格様式の美術が花開いた幸福な時代のギリシア彫刻の傑作〉と定義しながら、次のような註を付していた。〈何人かのアジテーターたちがこの作品は贋作だと言っているが、根も葉もない仮説だ。何よりも、この浮彫大理石の表面にこびりついている古代の凝結物がそれを証言している。それに、本稿での私の探究がこのことを確認させてくれるだろう〉(その6の文献3, p.17, n.1)。

 Lの贋作説はゼリの暴露よりもずっと前から存在していたのだ。残念ながら、グァルドゥッチは根も葉もない仮説だと言って、にべもなく簡単に退け、アジテーターたちについても仮説の内容についても詳しく説明しようとしなかった。自分のこの論文を読めば、Lの真作であることが自ずと証明されるから贋作説への詳しい言及など必要ない、と自信満々だった……。

 Bの真贋問題を検討することは、皮肉にも、Lの真贋問題の検討にもつながっていく。検討はやはり1987年のグァルドゥッチの贋作説――彼女の独断と偏見がかなり詰まっているとしても――から始めるのがよいように思われる。

その11へ続く)

【補遺】

 図1の1988年4月30日付朝日新聞夕刊の記事の全文を以下に示す。

 [ローマ29日=森田特派員]イタリアでギリシャ彫刻の代表作の真贋(しんがん)論争が起こっている。日本の美術教科書にも載っている「ルドビシの玉座」で、時代を区切る物差し的存在だっただけに、古代ギリシャ美術史を塗り替えかねない大事件になっている。

 真贋論争に火を付けたのは、著名な美術評論家として世界的に知られる、イタリアのフェデリコ・ゼリ氏。国営テレビの番組に登場して「ギリシャ時代の作といわれる『ルドビシの玉座』が、実は19世紀後半につくられたものであることを証明する書簡が見つかった」と述べたのがきっかけだ。

 三枚の大理石の板からなり、大きな一枚にアフロディテ(ビーナス)の誕生、左右の二枚には裸身で笛を吹く女性と、着衣で香をたく女性が浮き彫りになっている「ルドビシの玉座」は、教科書などで「優しく繊細で、しかもいくらかの硬さを感じさせる作風は、前460年ごろ南イタリアで作られたことを示す」などと説明されて、いわば「時代の物差し」的存在になっていた。

 それを、ゼリ氏が「これがにせ物であることを証明する19世紀の書簡が北欧の美術館で発見された」「この彫刻には同時期の贋作者が得意とする19世紀的彫刻法が随所に見られる」と述べ、「この彫刻について研究を進め、書簡を発見した人物が近く、本を出版する予定だ」と語ったために、「考古学界、驚天動地の大事件」となった。もっとも同氏は、この書簡がどこで見つかったか、だれが見つけたかとの質問に、その名や発見場所を明らかにしていない。

 同彫刻を所蔵するローマ国立博物館責任者のマリア・リタ・ドミノ女史は「全世界の研究者によって本物と断定されたもの。疑いの余地はない」と反論している。

 しかし、ゼリ氏は、「個人的見解」として、①古代ギリシャ人がどのように笛を演奏したかはなぞになっており、笛を吹いている女性の指の部分が壊れているのは、その本当の位置を隠すためだろう②ギリシャ彫刻にしてはアフロディテの胸が大き過ぎる、などと指摘しており、論争はしばし続きそうだ。

 この彫刻は17世紀イタリアのカトリック枢機卿で美術品収集家だったルドビシ・ルドビコのローマの別荘敷地内から1887年に出土したとされ、現在は「ルドビシ・コレクション」の中でも名作として、ローマ国立博物館で陳列されている。

ルドビシの玉座

 1887年、ローマで発見された。大理石製、いす型の台座は、玉座とも祭壇の付属品ともいわれ、定説はない。背面を飾る浮き彫りはギリシャ神話の「アフロディテの誕生」として有名だが、単に沐(もく)浴の儀式を表したものだという説もある。

【文献】

  1. J. Felch and R. Frammolino, Chasing Aphrodite. The Hunt for Looted Antiquities at the World’s Richest Museum, Boston, New York, 2011
  2. M. Moltesen, Una nota sul Trono Ludovisi e sul Trono di Boston: La "connection" danese, in Bollettino d’arte, 64, 1990:27-46

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図1: 1988年4月30日付朝日新聞夕刊の記事を筆者が切り抜いてスキャンしたもの

篠塚千惠子