古典学エッセイ
西村賀子:ウォーターハウス『ペーネロペイアと求婚者たち』をめぐる偶感
肘鉄砲――この絵を眺めているうちにふと思い浮かんだのは、そんな語だった。若者の差し出す求愛の花束をきっぱり拒むかのように、つれなく背を向けるペネロペ。「肘鉄砲」なる語が脳裏をかすめたのは、画面中央の不自然なほど鋭く曲げられたペネロペの左腕のせいだろう。
ウォーターハウスのペネロペは求婚者たちに、まさに文字どおり肘鉄を食らわせている。言い寄る若者たちをにべもなくはねつけるかのように、「オデュッセウス命」とばかり、一心不乱に機を織る。20年も帰らぬ夫にとことん貞節な女性、志操堅固な良妻にふさわしい構図である。
『オデュッセイア』のペネロペはたしかに世評にたがわぬ貞女の鑑ではあるが、奸智に長け、一筋縄ではいかない。そもそも、求婚者たちにきっぱり肘鉄を食らわせるわけではない。彼女は「皆に気をもたせ、一人一人に便りを送って約束しておきながら、心ではそれとうらはらのことを考えている」ため、悪巧みをめぐらせて、夜になると昼に織った布をこっそりほどいていたと、求婚者たちは非難する(第2歌)。第18歌で彼女が求婚者たちの前に姿を現すと、こじき姿のオデュッセウスは「妻が求婚者たちから贈物をせしめんと、心中では別のことを思いつつ、言葉巧みに彼らの心を迷わすのを見て喜んだ」という。ペネロペは機織りの計によって再婚を遅らせただけでなく、巧妙にも贈物をせしめようと画策してもいたのである。
機を織るペネロペの姿は、ピントゥリッキオの『ペネロペと求婚者たち』(1509年頃、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)にも見いだされる。この絵のペネロペは肘鉄どころか、求婚者たちと向き合っている。右奥の出入口にオデュッセウスを配するという仕掛けのある楽しい絵だ。
興味深いことに、ウォーターハウスもピントゥリッキオも織機を水平式として描いた。だが、古代ギリシアの織機は、岩波文庫の松平千秋訳『オデュッセイア』(上)の表紙カバーにあるように、垂直式であった。表紙カバーに用いられた壺絵は、「ペネロペの画家」によるスキュポス(紀元前5世紀中葉)で、ナポリ国立考古学博物館所蔵である。
ペネロペは機織りの計で有名だから、画家が機織りシーンを選ぶのは理にはかなっている。だが、機織りの計が名だたる詭計たる所以はどこにあるかと言うと、織るよりむしろひそかにほどく点にある。布をほどくことなく織ってばかりでは、策略でもなんでもない。
そこで、布をほどくペネロペの図もあるのだろうかとさがしてみると、ドーラ・キース(Dora Wheeler Keith)という女性画家の作品があった。絹糸で刺繍を施した1886年の作品で、メトロポリタン美術館所蔵。キースはウォーターハウスより7歳年下の同時代人で、ニューヨークの人。ウォーターハウスが織機を水平式に描いたのは1912年。その四半世紀も前に、古代ギリシアの織機が垂直式だったことをキースは知っていたようだ。
ウォーターハウスは画面右下にカンタロス(耳付きの酒杯)を置き、右奥の求婚者がリュラ(竪琴)らしき弦楽器をたずさえるなど小道具をうまくあしらっていかにも古代ギリシア風の印象をかもしだしているが、ホメロスと異なる点は機織り機の仕様のほかにもある。それは求婚者たちの贈物だ。絵に難癖をつけるわけではないが、『オデュッセイア』の厚かましい求婚者たちがこんな優美なプレゼントを贈ったはずがない。そもそも、手ぶらでの来訪がつねだった。第18歌278行以下でペネロペが贈物として求めたのは花束や雅な楽の音でなく、牛や羊など求婚者らが連日、大量消費する飲食物だった。さらにその後、求婚者たちが彼女に実際に届けたのは華麗な長衣、琥珀や黄金細工の首飾りなどであった。ウォーターハウスの描いた贈物との違いは「花より団子」ということになるだろう。
西村賀子 2022/2/27