古典学エッセイ
中務哲郎:表紙絵のポリュペモスについて
本学会ホームページの「古典学の広場」では、ホームページ運営委員の河島思朗さんの選定により、毎月表紙絵が新しくなっている。今月の「オデュッセウスとポリュペモス」の絵は、叙事詩『オデュッセイア』と素材としての昔話の関係を考察する際に、絵画資料の面から光を当ててくれる故に貴重なものである。
ポリュペモス譚はギリシア絵画における最古の画題の一つであり、『オデュッセイア』中のいかなる話よりも広い地域で描き続けられたテーマであるという。しかしこの絵を見ると、『オデュッセイア』との違いが幾つも気づかれるであろう。
まず、『オデュッセイア』では巨人はマロンの酒を3杯も飲み干し、酔って仰向けにひっくり返り、首を横に傾けて吐いたとある(Od. 9. 361以下)。それに対してこの絵では、巨人はまだしっかりと腰掛けて、次の一杯を飲もうとしている。(しかしこの違いについては、絵では酒を飲むところと目を潰されるところ、更に言えば既に人を食い終わって脚をぶらさげているところを同一の画面で描いている、という弁護が成り立つ。絵巻物の異時同図法のように)。次に、叙事詩では巨人の目が単数形で表されるのに対して、絵に描かれるのは左目で、鼻の向うには右目がありそうである。(これについては、絵の技法が拙劣で、鼻の上にあるべき目を見る者の正面に描いている、という弁護があるかもしれないが、目の形は単眼を示す丸形ではない)。更に、詩ではオデュッセウスを含む5人が酔い臥す巨人の目にオリーブの焼け杙を突き刺し、上からのしかかるが、絵では4人で杙を平行に突いている。(これも、画面の制約ゆえに杙を平行にし、5人を4人にしてある、との弁護がありそうである)。
このような違いがあり、そして違いの理由を説明する弁護説もあるが、この絵は『オデュッセイア』のシーンを描いたものではなく、民間に広まる昔話を絵にしたものだと考えれば、そもそも違いを論う必要もなかったのである。一方の『オデュッセイア』第9歌で語られるポリュペモス譚も、「巨人の目潰し」の昔話を基に作られたということは今日定説となっている。
昔話「巨人の目潰し」の類話の蒐集と比較研究はW.グリムが10話を紹介したのに始まり(1857年)、フィンランドのO.ハックマンは221話を蒐集・分析し(Die Polyphemsage in der Volksüberlieferung. 1904)、それとは別個にJ.G.フレーザーも36話を詳しく紹介し(Apollodorus. The Library, II. 1921. 但し22ないし28話はハックマンと重なっている)、更に楜澤厚生の研究により、それまでヨーロッパ・ロシア・トルコ・アラビアに限られていた類話の採取地に中国と日本も加わった(『〈無人(ウーティス)〉の誕生』影書房、1989年)。
ハックマンによると、類話は3つのグループに分けられる。
Aグループ 狂暴な巨人が賢い人間に負かされる話。3つのエピソードから成る。
Ⅰ 巨人の目潰し。a眠っているところ焼け杙等で刺される。b目の治療と称して溶けた鉛等を注ぎ込まれる。
Ⅱ ヒーローの脱出。a羊等の腹にしがみついて。b羊等の毛皮にくるまって。
Ⅲ 巨人の追跡。巨人が投げたもの言う指輪でヒーローが危機に陥る。
Bグループ 人間が妖精等に火傷を負わせるが、偽りの名前を名乗って助かる。
Ⅳ トリッキーな名前にはSelbst, Ich Selbst系統とNiemand系統がある。
Cグループ ⅠbとⅣの後期的合体。
近代に採集された類話のうち最も古いものでも、オート・セーユの学僧ジャン(Joannes de Alta Silva)の手になる『ドロパトス、あるいは王と七賢人の物語』中に見える一挿話で、せいぜい1184年頃にしか溯らない。(邦訳は西村正身訳、未知谷、2000年)。しかし、そこにある話は『オデュッセイア』とは別の源に基づくものと考えられる。そして、世界的に分布する巨人の目潰しの昔話がホメロスに淵源するのではなく、むしろ、ホメロスが当時流布していた昔話の様々なバージョンから芸術的なポリュペモス譚を創作した、と昔話の歴史地理的研究は教えるのである。
同様に、唯一現存するサテュロス劇、エウリピデスの『キュクロプス』も、『オデュッセイア』第9歌を下敷にしているというのが常識のようになっているが、もちろん大枠はそうだとしても、私は『キュクロプス』も昔話の話形を採り入れていると考えている。『キュクロプス』が『オデュッセイア』の話形から離れる場合、従来の論者は、語り物か演劇かのジャンルの違い、知的・社会的な環境の変化などで説明しようとするが、それだけでは説明できない要素があるし、他方、劇の素材を昔話と想定すれば、疑問が疑問でなくなるのである。『キュクロプス』では、オデュッセウスの一行がポリュペモスの島に上陸すると、そこには既に囚われ人たちがいた。また、ポリュペモスは生肉食いではなく煮たり焼いたりする食人鬼になっている。これらは昔話では普通に見られることなのである。
絵に話を戻すと、巨人の目潰しの場面は前7世紀以来多くの地域で描かれるが、額の真中に一眼を描くものは前410年頃の壼絵が最初であり、他に二眼三眼のものもあって、『オデュッセイア』の記述と一致するのはむしろ少ない。オデュッセウスなる名前も、我々はOdusseusと表記することを常識のように考えているが、アッティカ地方出土の22の壼では1回しか現われないという。
ところで、表紙絵の上部に描かれた大口開けた大蛇は何であろうか。ギリシアの壼絵によくある、horror vacui(空白への恐怖)から余白を埋めただけであろうか。下部の絵からは、私は「ポリュクラテスの指輪」を連想した。サモス島の僭主ポリュクラテスは幸運が続き過ぎることを惧れ、最も大切な印章付き指輪を自ら海に投じることにより、神の嫉妬を避けると共に、これを不幸として次に幸福がやって来るように画策した。ところが、漁師が釣り上げてポリュクラテスに献じた魚の腹からその指輪が出て来た、という話である(ヘロドトス『歴史』3. 40以下)。
昔話「巨人の目潰し」のグループ分けでは、AのⅢに「巨人の追跡。巨人が投げたもの言う指輪でヒーローが危機に陥る」という一項があった。これは、逃げるヒーローに対し、巨人が「敵ながらあっぱれ、記念に持って行け」と指輪を投げ与えるが、ヒーローがそれを指にはめたとたん、指輪が叫び始め、盲目の巨人を手引きする、という話である。追いつめられたヒーローは指輪もろとも指を切り、水に投じて事なきを得る。この絵の魚の口の前に描かれた丸い物が、まさかその指輪だとは考えられない。これについて考があるのかどうか、絵画の専門家にお聞きしたいと思っている。
F. Brommer,Odysseus, 1983より、三つ目のポリュペモス