古典学エッセイ
奥西峻介:日本の「ヤーヌス像」
門外漢が西洋古典の世界を覗く楽しみの一つは、そこに通文化的な意味が想像できることにある。今年の「西洋古典の広場」を飾るヤーヌス像もそのような例の一つである。
2006年12月、県立紀伊風土記の丘で前後に顔のついた埴輪が展示された。その前年、和歌山市の岩橋(いわせ)千塚古墳から出土した破片が一年をかけて修復されたのである。このような埴輪はほかに類例がないので、その意味を推すのは容易ではないが、方相氏の記録を勘案すれば、単なる土師(はじ)の戯作ではなかったことがわかる。
方相氏とは、古代中国で年の替わり目に宮殿を修祓し、貴人の葬儀には柩を先導して墓所の除魔を行った者である。わが国でも飛鳥時代に方相氏が仏舎利を運ぶ車や柩車を先導したと思わせる記録がある。中国では古くは『周礼』に見えるが、その扮装は「黄金四目」などとされた。この句が金色の四つ目と解釈され、たとえば、京都の吉田神社でも節分の追儺に登場する方相氏もそのような仮面をつけている。ところが、この「黄金」とは金の仮面であろうことは、近年の考古学的発見で明らかである。また、「四目」とは、前後に仮面を被った姿であったと漢代の土偶を示して小林市太郎が論じた。事実、使途などは不明だが、前後に顔のついた青銅頭像が江西省で出土している。
年の替わり目や人の死は、物事の終焉と開闢を意味する。そのような場に対像や双面が登場するのは洋の東西、民族の相違を越えた共通の現象らしい。そのことは西アフリカのセヌフォ人の葬祭で前後に顔のある仮面を被った踊り子が墓地を修祓する習俗などからもわかる。アイルランドのボア島に残されている古代ケルトの双面石像が初期キリスト教時代からつづく墓地にあることも偶然ではなかろう。
その対像あるいは双面は、今年と来年、今生と来世、此岸と彼岸を象徴するだろうから、もともと「似て非なる」ものであったのではないか。岩橋で発掘された埴輪も微妙に異なった顔をしている。アフリカ西海岸には、双面像をもつ文化が多数あるが、それらの中にもきわめて相似した面貌ながらも前後で微妙な相違が観察されるものがある。古代ローマの双面像に、前後の顔が異なるものもあるのは、もともと「似て非なる」二面であったからかも知れない。
古代ローマにおいてヤーヌス像がどのように扱われたかを筆者には明確に知る術がないが、おそらく時空間の境界に設置されたのではないだろうか。宮崎県西都市西米良の銀鏡(しろみ)神社で12月に催される夜神楽の最後は「神送り」と呼ばれる。前夕に降りたカミが夜っぴて村人が踊る神楽の接待を受けた後に山に帰るのである。それぞれ顔と後頭部に面をつけた三人の踊り子が神楽場を離れて、観衆のあいだを踊り抜けて往く。それは太古から続く送別の儀礼のように思えるものであった。
「岩橋出土の埴輪(県立紀伊風土記の丘のパンフレットより)」
奥西峻介(大阪大学名誉教授)