古典学エッセイ
納富信留:ギリシア語の辞書――LSJとその歴史
現在最先端の結果だけを見るのではなく、その大本の起源、つまり、私たちが立っている基盤を振り返る作業、それが古典学だと思っている。その姿勢は、おそらく、西洋古典学という学問の実践そのものにも向けられる。
私たちは二千年も前に書かれた書物を、写本伝承から近代印刷本、そして現代校訂本をつうじて(多くの場合その翻訳で)読んでいる。テクストが辿った歴史は古典学の主要テーマであり、私もこれまで研究課題にしてきた。私たちが当たり前に使っている「校訂本」や「断片集」は、長く屈折した努力と成果の上に出来ており、それらを十分に使いこなすことは容易ではない。だが最近、古典を読むための道具にも、同様の視線を向ける必要性を感じている。
古典ギリシア語を読む人はほぼ必ず「リドル・スコット」の希英辞書を使う(注1)(改訂を加えたジョーンズの名前を加えて、LSJの略号が用いられる)。分厚い辞書を丹念に一日に何時間も引くというのが、若い語学生に必須の作業である。その呼称にあるように、この辞書は元々ヘンリー・リドル(1811-1898)とロバート・スコット(1811-1887)という二人のイギリス人古典文献学者が19世紀半ばに作ったものだと、皆知っている。とくに、そのリドルにはアリスという娘がいて、それがルイス・キャロル(数学者チャールズ・ドジソン)著『不思議の国のアリス』のモデルだったという逸話も、広く知られている。しかし、21世紀の現在でも基本レファレンスとされるこの辞書が、一体どのように成立したか、それを使う私たちもよく知らないのではないか。
辞書を引く学生たちはたいてい、当該単語の特定の訳語しか目に入れない。それでも、その項目に登場する著者・著作名、あるいは文法用語の省略記号をチェックするために「略号表」を見ることはあるだろう。だが、現在流布するLSJに、当のリドルとスコットによる「序言」が付いていないことに気付いているだろうか。その理由は、20世紀前半に改訂作業にあたったヘンリー・ジョーンズ(1867-1939)による1925年と1940年の二つの「序言」から理解される。リドルとスコットが生涯をかけて改良してきたギリシア語辞書は、より広い時代・範囲の文献情報を加え、その後に発見された資料や新たな校訂作業の膨大な成果を採録すべく、数多くの専門家たちの共同作業と協力によって最新版へと完成されてきたからである。
19世紀半ばに出たLS初期の諸版には、「フランシス・パッソウのドイツ語版に基づく」という副題が入っている。リドルとスコットは古典ギリシア語の辞書を編纂するという途方もない作業を、まったくの無から始めたわけではない。LSが依拠した辞書の編者フランツ・パッソウ(1786-1833)は、最初ヨハネス・ゴットロープ・シュナイダー(1750-1822)のギリシア語辞書の補訂に当たっていたが、1831年(47歳で亡くなる2年前)に自身の名で画期的なギリシア語辞書を出していた(注2)。彼らの作業は、1572年に出版されたステファノスによるThesaurus graecae linguaeをアップデイトする意図で行われていた。
19〜20世紀に諸言語で企画され編纂された数多くの古典ギリシア語辞書の中で、LSJは圧倒的な支持を集め現在広く用いられている。その最大の理由は、パッソウが打ち立てLSが引き継いだ編集方針、「各項目を当該単語の使用の歴史にする」という理念が卓越していたからであろう。他方で、増補も合わせて2,436ページという大部ながら一冊で、つまり手にもって運べるサイズで十全な言語情報が調べられる便利さも大きなメリットである。現代世界における英語の地位も、無論この辞書の普及度に貢献しているにちがいない。初版序言で編者たちが、なぜラテン語ではなく英語で辞典を作るのか弁明しているのは、遠い昔の話になった。そこに引用されるジョンソン博士以来、イギリスにはすでに優れた辞書作りの伝統があった。
辞書の歴史などを繙いても好事家にしか意味はない、と思われるかもしれない。現在すでに最高の辞書があるのだから、ただそれを(例えばウェブ上で)使えばよいのだ、そう考える人も多いだろう。しかし、LSJも無論完全ではない。語義の区別や説明には不十分な点が多く、時に誤りもある。スペイン語などの言語で新たなギリシア語辞書作りも進んでいるが、今日に到る大事業を始めたリドルとスコットも、もし現代に生きていれば決して現状に満足することなく、本格的な増補や改訂を加えようと思うのではないだろうか。
私の手元には、LSの初版(1843)と第三版(1849)もある。和漢の辞書の専門家に話したところ、版を重ねて語彙や説明が増えるのは当然だが、無くなった項目や説明があればそれがその辞書の歴史を示す、とアドバイスしてくれた。実際、古い版で多く記載されている語源の情報(推測)は現在ほとんどなくなっており、神や人物への解説もすっかり落とされている。LSはダイナミックに変化しながら今日のLSJになった。辞書の世界は奥が深い。
無料や安価な電子媒体でLSJ(旧版)の文字情報だけを見ながら、なにかギリシア語を読んでいる気になるのは、西洋古典学という学問からは程遠い態度に見える。私もiPod用のLSJ(1924年版?)のデータを数百円で買ったが、そこには「序言」も「略号表」も付いていない。本当に古典を読めるようになるのは、受け継いだ文化遺産を徹底的に反省しながら、それを越える新たな道具を私たち自身が作っていく時ではないか。私たちが古典ギリシア語という一つの「言語」を読んでいる以上、文法や語彙といった「言語学」は、その学問の中核でありつづける。無数の学者が何世紀にもわたって積み上げてきた学問成果の上に、私たちは日々道具と知識を更新していかなければならない。
(注1) A Greek-English Lexicon / compiled by Henry George Liddell and Robert
Scott / revised and augmented throughout by Sir Henry Stuart Jones / with
the assistance of Roderick McKenzie / and with the cooperation of many
scholars. With a revised supplement 1996, Clarendon Press, Oxford.
(注2) Handwörterbuch der griechischen Sprache, von Franz Passow, 2 v., 4. durchgængig verb. und vielfach verm. Ausg., F.C.W. Vogel, Leipzig, 1831.
納富信留(慶應義塾大学)