古典学エッセイ

丹下和彦:オベリアス(パン)――バウムクーヘンの元祖

 地中海域に住む人々が早くからパンを食べていたことは、どうやら確からしい。クレタ島遺跡からの出土品にパン焼き窯(イプノス)があるところからも、それは知られる。クレタ文明を引き継いだギリシア人も早くからパンを食べていた。しかもその種類は多種多様だった。さまざまな名称が伝えられている。

 豆パン、ナストス、削りパン、高椅子、バッキュロス、炙り焼きパン、アタビュリテス、アカイネ、オベリアス、クリバノス、灰焼きパン、二度焼き、揚げパン、二つ割りパン、チーズパン、ふすま入りパン、胡麻パン、丸パン、干し麦パン、柔らかパン、編みパン等々。

 まだまだあるが限りがないのでこのあたりで止めておく。形状を示すもの、製法を言うもの、その性質に触れたもの、内容に言及したものもある。名前だけではよくわからないものもある。

 この中のオベリアスについてちょっと触れたい。アテナイオスにこうある。

  オベリアスという串で焼くパンがあるが、あれは、アレクサンドレイアで実際そうなんだが1オボロスで売っているからオベリアスなのか、それとも串(オベリスコス)に刺して焼くからそう言うのかだな。アリストパネスの『農夫』にこんなせりふがある。

  それからたまたまひとりの男が、串でオベリアスを焼いとった。

 ペレクラテスの『健忘症』には、

  オベリアスをもぐもぐ食う。ふつうのパンのほうがいいなどとは言わぬこと。

 行列の中で、このオベリアスを串刺しにしたのを担いでいく者が、オベリアポロイと呼ばれていたりした。コス島のソクラテスは、『神々の呼称』の第6巻で、パンを串に刺して焼くことを発明したのはディオニュソスで、彼は布教、征服の旅の途次に考えついたのだという。
 アテナイオス『食卓の賢人たち』111b、(柳沼重剛訳)

この一文には四つの情報が含まれている。まずその形状ないしは名称の由来(1オボロスで 買えるからなのか、あるいは串オベリスコスに刺して焼くからそう称するのか)。次いで焼 き方(串に刺して焼く)。そしてオベリアポロイと称するこのパンの運搬人がいたこと。最 後に串に刺して焼く焼き方を発明したのはディオニュソス神だということである。

 このパンがどうやらディオニュソス神と関係があるらしいことは、ポルクスの記述から も推測できる。ポルクスは、オベリアスは串に刺して焼かれるところからその名が由来し たと、またその大きさについては1ないし2ないし3メディムノスある(1メディムノス は52,53リットル)、そしてそれはオベリアポロイと呼ばれる人間たちによってディオニュ ソス神域に運び込まれると書いている(『辞林』6,75~76)。

 オベリアポロイについては壺絵が残っている。二人がかりで巨大なオベリアスを担いで 行くところを描いたものだが、ポルクスを信じれば1メディムノス=52,53リットルの容量 だから、かなりの嵩になる。3メディムノスとなるとその3倍だから、まさに巨大としか言 いようがない。重さのほうは(舟田詠子氏によると)小さいもので26キロ、重いものにな ると79キロにもなったという。これだけ巨大になるとオーヴンなど用をなさないから、小 麦粉を捏ねたものを串(心棒)に巻き付け、直火の上で回転させながら焼上げるわけであ る。その串がオベリスコス。ここからオベリアスの名が出たとするのが妥当なところでは あるまいか。

 先のアテナイオスはコス島のソクラテスの説として、このパンはディオニュソス神がデ ィオニュソス教を布教するため各地を遍歴した際、その旅の途次に思いついたとしている が、なるほど旅の途中ではオーヴン設備などなかなか使えなかっただろうから、焚火の直 火で簡単に焼けるパンとしてこのオベリアスを思いついたというのはわかりやすい説明で はある。つまりごく原始的な製パン法なのである。ただオベリアスとディオニュソス神と の関係性については、これ以上のことはわからない。

 ところでこのオベリアスの味のほうはどうだったのか。味覚は人さまざまだから判定が 難しいが、旨い不味いと言挙げした例は見当たらない。ただ医と健康の専門家ヒポクラテ スがこのパンの質、栄養価について次のように言っている。

 アルトスそのものの中では容量の最も大きいものが最も滋養に富む。それは焼かれる際にパンの水分の飛び方が最も少ないためである。またオーヴンで焼いたパンは、炉で焼いたもの、串に捲いて焼いたもの(オベリアス)よりも栄養価が高い。それは火の当たりがずっと穏やかなためである。
 ヒポクラテス『人生の処し方について』2,42

アルトス(ふつうのパン)と比べると、オベリアスはその原始的な製法のせいか、味はと もかくとして質に関してはあまり上等とは言えないようである。

 ところでこのオベリアスがバウムクーヘンの元祖だという説がある。いや、どうもそう らしい。小麦粉を捏ねて帯状にしたものを串に捲きつけて炙り焼くという製法は、双方と もに同じである。捏ねた小麦粉の中にバターや蜂蜜、卵、砂糖などを混ぜ込んで菓子状に していくと、自然とバウムクーヘンになる。おそらくそういうことだろう。

 バウムクーヘンはその名のとおりドイツの伝統的菓子である。心棒に生地を塗りつけて 火で炙ると焦げ目ができる。その上にまた生地を塗る。これを繰り返して何層かにする。 出来上がったものを輪切りにすると、黒い焦げ目が木の年輪のように見える。そこからバ ウム(木)クーヘン(菓子)という名がついた。15~16世紀の頃である。

 日本で最初にバウムクーヘンを作ったのはドイツ人カール・ユーハイムで、1912年(大 正8年)のことだった。この人は第1次世界大戦時、中国の青島で日本軍の捕虜となった ドイツ人の一人で、戦後日本に居残って神戸に洋菓子店を開いた。この店は今も存続して いてバウムクーヘンを作り続けている。それが最近、古代ギリシアのオベリアスを現代に 再現した製品を売り出したと仄聞した。これはぜひ一度試食してみなければなるまい―― と思っている。

丹下和彦(関西外国語大学)


図はアテネのアゴラ出土の壺絵。 M.Bieber,The History of the Greek and Roman Theater,Princeton UP.,1971(1939)より