コラム
勝又泰洋:ポスター発表雑感
続けて、同学会のポスター発表に焦点を当てて、その様子を別の発表者の視点から紹介したい(説明の便宜上先に述べておくが、私は、第二ソフィスト時代のギリシア文学作品に関する5章立て(序論・本論3つ・結論)の博士論文の構想について発表を行った)。
まずは準備について。ポスター発表をするのは初めての経験で、正直非常に苦労した。ポスター発表に関しては、自然科学ないし社会科学の分野で頻繁に行われているのは知っていたが、人文科学の分野での実施についてはほとんど聞いたことがなく、従うべき見本がなかったからだ。「ポスター」という、一度の情報提示量が著しく限られたメディアは、どうしても文字情報が多くなる人文科学の発表に一見そぐわないように思われるので、この分野のポスター発表が相対的に少ないのは当然と言えば当然かもしれない。A1サイズ用紙(縦841mm・横594mm、これが本学会での指定サイズであった)の中でいかにわかりやすく自分の主張を提示できるか、この問題が私を大いに悩ませたのだった。試行錯誤ののち、「タイトル・自分の名前」のすぐ下に、「論文概要」を目立つように置くことで主張内容をはっきりさせ、その下に「序論」「本論①」「本論②」「本論③」「結論」の各々のまとめ(数行)を、この順番で縦に並べるというレイアウトをとることとした。
発表の第一段階は、スライドを用いた、参加者全員の前でのプレゼンテーションである。8分という時間、1,000 wordsという読み上げ原稿語数、この制限の中で、「セールスマン」となって、自分の論文を「売り込む」つもりで話をした。下手なパフォーマンスをすると、あとで自分のポスターのところに訪れてくれる方がいなくなることになってしまうので、この工程は極めて重要だと思ったわけだ。意識したポイントはただひとつ、「わかりやすさ」。これさえ備えていれば、聴衆は、同意・反論が容易にできる。
これをなんとかくぐり抜けたあとは、第二段階、ポスター前での訪問者とのディスカッションである。時間は1時間。参加者はそれぞれ興味のあるポスターのところへ赴き、発表者と議論をすることができる。発表者には、ここで、第一段階では触れられなかった内容を補足する機会が与えられるわけである。どうなることかと不安に思っていたが、幸い、私のところには、絶えず数名の方が入れ代わり立ち代わり足を運んでくださった。ただ、内容に至らぬ点が多々あったせいで、いただいたコメントの大半は、疑問提示、批判、論難に属するものであり、これによりわずかばかり元気を失ってしまった。とはいえ、訪問者の方々は、ディオーン・クリューソストモス、ルーキアーノス、ピロストラトスという「日陰者トリオ」に大層興味を持ってくださり、この上なく誠実に私の議論に耳を傾けてくださったので、嬉しくて仕方がなかった。ディスカッション・タイムが私の博士論文を良い方向へと導いてくれたのは間違いない。
今回発表をしてみて、ポスター発表は人文科学領域においても十分意義深いものになり得ると確信した。とりわけポスター発表の強みと思われたのは、「ヴィジュアル性」と「対話性」の2点である。前者については、説明は不要かもしれない。ポスターなるメディアは、ほんの一瞬で発表者の意図を大人数に伝えられるツールとなる。後者はディスカッションに関わるものである。訪問者との一定時間にわたる意見交換は、誤解の解消や、発表内容の深化発展に大きく寄与するものとなる。文字ばかりのハンドアウトを用いた伝統的発表方法の難点は、結局発表者が何を主張したいのかがわからないまま終ってしまうことになりがち、ということであろう。発表とは、発信者の意図が受信者に伝わってはじめて「発表」となる。発信側→受信側という一方向的なものでは、何の学問的貢献にもならない。
繰り返すが、ポスターは、上手く利用すれば、人文科学分野でも大きな威力を発揮するものとなる。導入が決定した、日本西洋古典学会のポスター発表にも大いに期待している。
勝又泰洋(京都大学非常勤講師)