コラム
宮坂真依子:国際学会「古代ギリシア世界における死の経過」の概要と感想
9月1、2日に、京都市修学院にある関西セミナーハウスで「古代ギリシア世界における死の経過」と題する国際学会が行われた。関西セミナーハウスは、京都大学から車で10分ほど北へ上がり、山中へ少し分け入った所に立っている集会施設を完備した宿泊所だが、敷地内の庭にはお茶室や能舞台が建っており、野生の猿や鹿、時にはイノシシまでひょっこり現れるという自然豊かな場所である。周囲は閑静な住宅街で、タケダ製薬の薬草園、神社仏閣が建つような、徒歩での散歩に適した場所でもある。今回初めて訪れたが、大学からすぐの場所にこのように豊かな自然を身近に感じられる素晴らしいところがあることを今まで知らず、大変驚いた。
この学会には海外から5人の研究者が招聘され、日本からも5人の研究者が、古代の文学作品や医学書、墓碑や壷絵などの芸術作品、墓碑銘など幅広い対象物の中に描き出された「古代ギリシア世界における死の経過」に関連するテーマで発表を行った。さらに京大の白眉研究員である3人の研究者がチベット仏教、中世日本の寺院、近代日本の映画という別時代の異文化における「死の過程」にかんして発表することで、比較研究的視点を示した。学会全体の参加者もピーク時には100人前後と大規模なもので、内容的にも、人間にとって永遠のテーマである「死」に、その経過という観点から再度光を当てる、という大変面白い試みであったと思われる。
その他画期的だったのは、人文科学系の研究発表形式としては未だにあまり定着しているとは思われない、ポスター発表が採用された点であろう。広く古代ギリシア・ローマ世界に関わる事物を研究テーマとする10名の大学院生が、1人8分の持ち時間で、パワーポイントを用いて会場全体に向けて口頭発表し、その後昼休憩を挟んだ後に、実際に各自のポスターの前に立って、個別に質疑応答や議論を行うという形式が採られた。こちらは特に「死の経過」に関連している必要はなく、古代史、古代美術史、古典文学における各自の研究テーマを報告するもので、さらに発表者も修士課程の学生から、この学会のために訪日した外国大学の博士課程の学生まで多岐にわたっていた。具体的な発表範囲は、ギリシアに関する発表が4つ、ローマに関するものが4つ、ペルシア、カルタゴといった関連の深い周辺地域に関するものが2つで、 時代的にも前5~4世紀からローマ帝政初期まで分散しており、様々な関心を持った人々に興味を持ってもらいやすい内容だったように思われる。
あらかじめ会場のパソコンに全員分のパワーポイントが順序良く並べて用意されていたこともあり、スムーズに、テンポよく口頭発表が行われた。発表者の誰もが人生初のポスター発表であったため、全く未知の体験であることに加えて、それを母国語ではない英語で行うことに対し、少なからず不安を感じていたに違いないが、皆滞りなく発表を終えることができた。そのあと昼食休憩時に会場の左右の壁に5つずつ間隔を置いてポスターを貼って行き、高まる不安を感じつつ、発表者だけでまとまって簡単に昼食を済ませた。
個人的には、発表が終ったあとそのまま逃げ出したい気分だったが、人身御供として岩に鎖でつながれたアンドロメダもさぞやこんな気持ちであっただろうと思いつつ、ポスターの前に立ってだれか救世主がやって来てくれるのを待つばかりだった。幸い、ディスカッションタイムは、参加者がコーヒーや紅茶を片手に自由に行き来しつつ、くだけた雰囲気の中で行われるものだったため、正式な口頭発表のように大勢の前で質疑応答が行われるものよりは、精神的負担が軽かったように思える。また、ずっと側に居て下さった先生や、時間中に来訪して下さった方々も、こちらの考えていることをより明確に理解しようという意図からの質問をして下さったり、まだ知らなかった周辺分野の文献を紹介して下さったり、若手研究者としてその分野での研究を続けたいと考えている学生たちを育てようという暖かい視線に満ちたご指導をして下さり、心から感謝の念を抱いた。この気持ちは、留学した際に英国の指導教授が「私たち教員の仕事はあなたの興味を持っていることをサポートし、さらに先へと導くことだ」と言って下さり、実際指導を受ける度に、議論を通して一歩ずつ先へ導かれていくような、前向きな気持になったときに感じたのと同じ気持ちだった。
ポスター発表は、一枚のポスターに統計データの解析結果や集計結果を図表によって一目瞭然に表すような理系分野の発表に向いていることは確かであろう。長い文章が羅列されているだけのポスターは避けるべきであると、どの手引書にも書かれているが、本来人文科学系の学術発表は、文章を用いた形式にならざるを得ない。しかし、利用法によっては人文科学分野においても十分に成果を挙げることができるのではないかと今回の発表を通して感じた。例えば研究者を志す若手の学生が、大会場での質疑応答に萎縮しがちな本格的な学術発表の一歩手前の段階で、自分の研究内容やその方向性をポスターによって発表し、個別に質疑応答をする機会を与えられることによって、本格的な口頭発表の練習ともなりうるし、別の分野の専門家の視点から直接、指導的見解を得ることのできる良い機会ともなるであろう。
宮坂真依子(京都大学西洋古典学博士課程)