コラム

勝又泰洋:イギリス小滞在記(5):B&Bでの英語学習

 日本でごく普通の英語教育を受けただけで、海外に出るのも初めてのこの私が渡航前に最も不安であったことが、英語での会話の問題であった。学部生のときは英文学専攻だったため、ネイティブの先生方と会話をしたことがゼロというわけではなかった。しかし、そんなことはなんの自信にもつながらず、この私が果たしてイギリスで生きていけるのか、という疑問は、どうしても拭いきれなかった。だが、私はなんとかイギリスで生活し、今、無事こうして生きて帰ってきた。これは、生きていくための英語を親身になって教えてくれたB&Bの管理人ご夫婦のおかげである。

 3ヶ月の間、私は、大学エリアの近くにあるB&B(Bed and Breakfastの略。その名の通り、ベッドと朝食の用意のみをしてくれる宿泊施設。イギリスでは非常にポピュラー)の一室で寝泊まりしていた。公に開かれた宿泊施設とはいえ、実際は、初老のご夫婦(60代半ばくらい)が住んでいる家の2つの部屋が客に提供されている、という形であった。なので私は、管理をしているそのご夫婦の家でホームステイをさせてもらっているようなものだったわけである。また、私の場合、B&Bの客にしては長すぎるほどの利用期間であった。というのも、B&Bとはそもそも、数日間、長くてもせいぜい2、3週間、その土地にちょっとした用がある人が利用する簡易宿泊施設であって、私のように同じところに3ヶ月も留まる人などそうはいないはずなのだ。私がお世話になったB&Bの2つの部屋に関して言えば、片方を私が3ヶ月間占拠し続け、もう片方をさまざまな人が入れ替わり立ち替わり利用していた。だが結果として私は、ご夫婦に息子のように可愛がってもらうという幸運を得たのだった。

 朝、洗面と歯磨き、そして着替えを済ませると、私は1階のダイニングへ降りていき(私の部屋は2階にあった)、用意されている朝ごはんを食べることにしていた。朝ごはんを食べている最中に、たいてい奥さんのイザベルと旦那さんのジョンがダイニングに来て、何気なく会話が始まる、というのが常であった。私は、そのときの2人との会話を毎朝非常に楽しみにしていた。

 イザベルとジョンとの会話から私は多くのものを得た。何よりも、肩肘をはることなく気楽におしゃべりできたのがよかった。ホイットマーシュ先生(前回紹介)とお話しするとなるとどうしてもアカデミックな話題になってしまったし、研究会でのティータイムで参加者と歓談するときは、「お国の西洋古典学事情」紹介になりがちだった。比較的長い時間のんびりと会話ができたのは、朝食時だけだったわけだ。私にとって丁度よかったのは、イザベルもジョンも外国語学習に強い関心を持っていたことである。イザベルは、英語教育の豊富な経験を持っていた上に、そのB&Bで非ネイティブの人に英語を教える仕事をしていた。ジョンも数年前まで教師をしており、いくつかの外国語を教えていたのだった。さらに、この2人は大の旅行好きで、旅行前、旅行中、旅行後と、訪問国の言語を徹底的に勉強することをルールとしていた。言葉を勉強しなくてはその土地の楽しみ方が極端に限定されてしまうのがその理由、と言っていた。日本に行ったことはないということだったが、日本語の簡単な挨拶表現は知っていた。とにかく積極的に数多くの外国語を学び続けていたご夫婦だったのだ。

 外国語学習に伴う苦労を知る人たちであったから、2人は、私のドがつくほどの下手な英語にも嫌な顔をせず毎朝ずっと耳を傾けてくれていた。実力アップのためにとにかくたくさんの量話すことを重視していたご夫婦は、ほとんどの場合聞き役もしくは質問役に回って、私に話し続けることを暗に要求した。このようなイザベルとジョンによる日々の特訓のおかげで、私の英会話能力は向上した。あの2人には本当に感謝してもしきれない思いである。

 ちなみに、イザベルもジョンも、学童期にギリシア語とラテン語をみっちり「やらされた」世代であった。初めて2人に会ったときに、ギリシア語とラテン語を専門的に勉強している、と私が得意気に言うと、イザベルが苦い顔をして「私、amo-amas-amat-amamus-amatis-amant以外何も覚えてないわ」と答えたのをよく覚えている。その横でジョンも苦笑いをしていた。私は、そんな2人にある朝「それだけ外国語を勉強するのが好きなら、ギリシア語とラテン語もやり直せば?」と言ってみたことがあったが、2人とも、最初のときと同じ顔をして、「いや、それはいい」と口を揃えて拒否してきた。なんで古典語はこんなに不人気なんでしょうね。


↑英会話の授業の「教室」として使われたB&Bのダイニング

勝又泰洋(京都大学大学院)