コラム

勝又泰洋:イギリス小滞在記(4):ティム・ホイットマーシュ先生

 握手をして自己紹介。ごく簡単な挨拶でそれまでの緊張はすっかりなくなったことに気づいた。不思議なことだ。ティム・ホイットマーシュ先生といえば、ローマ帝政期ギリシア文学研究の大御所ユーアン・ボウイ(Ewen Bowie)のオックスフォードでのポストを継ぎ、数多くの論文そして著書によりこの分野の研究を世界的にリードし続けている学者である。同じ分野で「研究」めいたことを始めたばかりの私が、そのような大人物と二人きりでいる状態だというのに、こんなに落ち着いた気分でいられるのはおかしい。大きな謎ではあるが、突き詰めて考えても仕方がないか。とにかく私は、先生とのこの最初の数分のやりとりで、3ヶ月間のオックスフォード小滞在の成功を確信したのだった。

 その日は、コーパス・クリスティ・カレッジ(前回紹介)での昼食に招待していただくことになっていた。カレッジ内をきょろきょろ見回しながら先生の後をついていくと、上品な装飾が施された大きな広間にたどり着いた。「ここが教員用のダイニングルームだよ」先生がおっしゃった。すでに食事をされている先生方も数名いらっしゃった。このような光景を想像していなかった私は、あたふたしながらも、いくつかの料理をお皿に盛って(バイキング形式であった)、先生のご案内で、空いている席についた。

 食事を始めるなり、先生は、私にさまざまな質問をされた。「オックスフォードの生活はどう?」、「もう図書館には行ってみた?」、「滞在の目的は何なの?」そういったご質問のそれぞれに対して、私は下手な英語で懸命に答えていった。会話が進んでいく中で、私の研究テーマも話題のひとつになった。「君はローマ帝政期のギリシア文学に興味があるんだよね。それで今はルーキアーノスの研究をしているんでしょ?」「はい、そうです」「ねえ、どうしてルーキアーノスなの?ルーキアーノスはどんな風に君と共鳴しているんだい?」私は、このとき先生がやや強調してお使いになったresonateという語のインパクトを忘れることができない。ルーキアーノスは、日本語で読むことのできる古典作品を手当たり次第読んでいた学部生のときに出会った人物だった。私は彼の作品をいたく気に入り、以来彼は私の中で特別な作家であり続けていた。しかしながら、それまで彼と私が「共鳴」しているとは考えたことがなかった。私は、先生のご質問に答えることができなかった。

 先生からの問いかけが頭を離れないまま、あっという間にオックスフォードを離れる日が近づいてきてしまった。別れのおもてなしとして、先生は私をカレッジの夕食に招待してくださった。ダイニングルームの隣にあるこじんまりとした部屋で、数名の教員およびゲストの方々とともに食事をした。私はほとんどの時間先生と会話していた。そんな中、先生は私にこんなことをおっしゃった。「帝政期のギリシア作家を扱うなら、アイデンティティの問題の考察は欠かせない。君もわかってるよね?ルーキアーノスだって例外じゃないよ」

 貧弱な外国語能力を総動員して世界の研究をそれなりの数吸収してきた私も、アイデンティティの問題にもちろん注目している。シリア生まれの「バルバロイ」ルーキアーノスは、当時の政治的「中心」の「ローマ」、そして文化的「中心」の「ギリシア」なるものと闘争することを余儀なくされた、「周縁」に属する人物である。彼が産出したテクストと彼のアイデンティティの問題は近年研究者の間で多くの議論を呼び起こしているのである。 先生の「アイデンティティに注目せよ」とのお言葉は、私をはっとさせた。「真面目」と「ふざけ」の間を行き来しながら、作品ごとに異なったペルソナを演じ、互いに矛盾することもままあるさまざまな側面を聴衆(ないし読者)に提示する彼は、人生を通して、自分の「立ち位置」を模索し続けていた。私も同じではないか。目まぐるしく変化し続ける混沌とした現代世界の中で、自分がどのような「立ち位置」を占めればよいのか私はわからない。わからないのは嫌なので、また「立ち位置」を求めてもがく。しかしその「立ち位置」が正しいものなのかはわからない。わからないのは不安だから……その繰り返しだ。そうだ、この精神状態、私はこの点でルーキアーノスと「共鳴」しているのかもしれない。

 ホイットマーシュ先生は、研究対象の人物と生きた関係を結ぶきっかけを私に与えてくださった。これは、オックスフォード滞在の最大の収穫であった。


↑コーパス・クリスティ・カレッジのシンボル、ペリカンの日時計(頂上にペリカンが止まっている)

勝又泰洋(京都大学大学院)