コラム

中務哲郎:citius,altius,fortius

 ロンドン・オリンピックが酣である。オリンピック精神を表す標語としての「より速く、より高く、より強く」はよく知られているが、その理想を実現するための訓練には理論の支えが不可欠で、赤ん坊の動きを取り入れるという室伏広治選手のユニークな方法にも、科学の裏付けがあるのだろう。陸上短距離の選手が急な坂道を駆け下り、脚の速い回転運動を体に覚え込ませる、という発想も理に適っているのであろう。いずれにしても、機械を駆使した近代的な訓練より、牧歌的な自己鍛錬の方に共感と郷愁を覚える。

 古代世界で最も有名な運動選手といえばクロトンのミロン(前6世紀後半)であろう。オリンピア競技祭で6度、ピュティアでも6度、イストミアで10回、ネメアで9回、レスリングで優勝した。牡牛を担いで競技場内を一周し、一撃の下に殺し、一日でそれを食べたとか(アテナイオス『食卓の賢人たち』412F)、油を塗った円盤の上に立ち、ここから押し出してみろと挑発したが誰にもできなかったとか、ガットを額に巻き付け、息を止め血管を膨張させるだけでそれを切ったとか(パウサニアス『ギリシア案内記』6.14.5以下)、柘榴を手に握りしめると、どんなレスラーにももぎ放すことができなかったが、惚れた娘だけは難なくそれができたとか(アイリアノス『ギリシア奇談集』2.24)、多くの怪力伝説が伝えられている。

 ミロンはいかにしてより強くなったのか。修業時代、彼は毎日仔牛を抱き上げ、日々成長する牛の重さに合わせて自分の力を増大させていったという。これも伝説であろうが、このままの話形を示す出典を知らない。クインティリアヌスは子供に弁論術の初歩を教えるのに、警句や逸話や縁起譚を書き取らせ書き換えさせるのがよいとして、逸話的な句として「ミロンは、子牛のころから担ぎ慣れていた牛が牡牛に成長した後も担いでいた」(『弁論家の教育』1.9.5。森谷宇一・戸高和弘・伊達立晶訳)というのを紹介しているが、これが件の伝説に相当するのであろう。

 戸隠の山で猿と遊んでいるところを戸澤白雲斎に見出されて弟子になったという猿飛佐助は、畠に麻を植え、日増しに伸びる草丈を跳び越える訓練をした。麻の成長に合わせて跳躍力を高めるわけである。これは子供の頃に「真田十勇士」の漫画で読んだのだと思う。

 日増しにより速くする訓練法はないかと思いながら、学生時代のギリシア語演習の予習を思い出した。中村善也先生のアリストパネス演習は、一回の授業で2~30行しか進まなかったのに対して、松平千秋先生の『イリアス』は多くて120行まで、岡道男先生の『オデュッセイア』は一つの巻が終わってしまうことがしばしばであった。初めて演習に臨んだ時には、10行下調べするのも泣きの涙であったが、修士課程の頃には大分慣れて速度も上がった。余裕ができると、新しく予習をする前に前回のところを読み直す。3回目には前々回から、4回目には前々々回から読み直した上で予習に入る。すると、古いところほど読むスピードが上がっている。・・・素晴らしい理論だが、あまり実践した覚えもない。週に一度の演習や講読ではなく、毎日の勉強にこの方法を採り入れていたなら、と、遅い後悔に苛まれている。

2012.8.1 中務哲郎

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Joseph-Benoît Suvée 'Milo of Croton'
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ミロンは楔が打ち込まれたままになった木を見つけ、押し開こうとしたところ、楔が外れて両手を挟まれた。そこへ狼の群れが来て彼を食い殺した、と(パウサニアス『ギリシア案内記』6.14.8)。