座談会(1)
《インタビュー》
『西洋古典学会』発足の頃(1)
—田中美知太郎先生に聞く—
出席者
田中美知太郎(京大名誉教授)
松平千秋(京大名誉教授)
藤沢令夫(京大教授)
岡 道男(京大教授)
松本仁助(阪大教授)
井上達三(元筑摩書房)
(一九八五・7・6 於京都)
松平: きょうは、大変お天気の悪いところお集まりいただいて 有難度うございました。西洋古典学会の初期の事情と申します か、それがだんだんわからなくなってきているんで、だいぶ前 から、私はそれが気になっておりました。今わかるかぎりにおい てでも、まとめておいたほうがいいんじゃないかと思って、一種 の責任感みたいなものも多少感じておりましたんですが。この 間、仙台の学会のときに、委員会で申し上げましたか、あるいは 大会のときに申し上げましたように、なんとかそういう機会をも って、一応資料を集めて、西洋古典学会の歴史というほどのもの ではないかもしれませんけど、このままほっといたら散逸してし まうようなものだけまとめておこうということになりました。た だそれには録音その他、速記の問題がありまして、どうも私ども だけではちょっと手がまわらないようなところがある。どこかそ ういうことに詳しい方面に助力をお願いしなければならんと思っ ていましたら、さいわい筑摩書房のほうで手伝ってくださるとい う申し出があって、筑摩書房は、井上達三君以来、大変古典学会 にも縁が深いので、筑摩書房のご好意で、こういう会をもつこと になりました。
ただ、関係者といえば、たくさんまだ他におられるんですけれ ども、一ペんに大勢の方が集まられても、あまりうまくまとまら ない恐れもあるんじゃないかと思いまして、田中先生を中心に、 きょうお集まりの方々で、一応話し合って、覚えていることと か、あるいは持っている資料というようなものを出し合って、一 応のまとめをいたしまして、そこで一番欠けているところはどこ かというようなことがわかってまいりましたら、それを今日いら っしゃっていない方々にも、折々アンケートして、埋めていくと いうような方法を取ろうかというふうに考えております。
西洋古典学会の創設に関しましては、田中先生が一番中心にな ってくださっているわけですが、あと、呉(茂一)、高津(春繁)、 村川(堅太郎)といった方々が参画なさったようですが、呉、高津 両先生は、すでに亡くなっておられますし、きょうのところは田 中先生を中心にいろいろ思い出していただいて、出来るだけ古典 学会の創設当時の事情を記録しておきたいというふうに考えてお ります。
古典学会のほうで、本来ならばそういう資料をまとめて保存し ておくべきものであったわけですが、なんと申しましても、発足 当時は、まだ日本の状態も混乱しておりましたし、人手もありま せんので、十分なことが出来ませんでした。それに大学紛争なん かがありまして、私どもの研究室が占拠されて、だいぶ荒らされ まして、そのときに、どの程度資料がなくなったかわかりません けれども、そういう混乱が続きましたものですから、そういうこ とも与かって、資料が非常に不足しております。
これからいろいろお話をしていただくにあたりまして、今、古典学会の事務のほうで、どの程度の資料があるかということを、 一応申し上げて、一番欠けているところはどこかというような点 からお話をすすめていったらどうかと思います。
はじめに岡君からお願いしましょう。この話が出ましてから、 岡君にいろいろ調べてもらって、今なんとか保存されているも のをまとめてもらいましたんで、それを一応ご紹介願いましょ うか。
岡: 現在、古典学会本部に残っております設立当時の資料とい うのは、ほんのわずかといいますか、二点しかございません。ひ とつは、「昭和二十三年九月現在」と記されたガリ版刷りの『西 洋古典学会会員名簿』であります。これには六十八名の名前が載 っております。学会の正式発足以前のものと思われますが、『西 洋古典学会会員名簿』というふうになっております。
もうひとつは、「昭和二十六年八月現在」と記された『西洋古 典学会会員名簿』でありまして、百二十五名の名前が載っており ます。そして、この最後の二ページに、「会規」というタイトル のもとに、昭和二十五年十月二十二日に行われました学会の発会 式および第一回総会の模様が、かなり詳しく記されてあります。
これが設立当時の資料でありますが、なお設立された後の資料 としましては、昭和三十年から三十九年までの大会および委員会 を記録した、大学ノート一冊が残っております。これは、かなり 詳しく記されておりまして、ところどころに、大会案内とか、あ るいは委員会案内とかいう、そういう資料も添付されておりま す。これは、最初の年、昭和三十年度は、松本(仁助)さんの筆 跡で書かれておりますが、その後、昭和三十一年が、これはどう も柳沼(重剛・現筑波大学教授)さんの筆跡みたいで、その後、三十 二年、三十四年、三十五年が欠けておりまして、三十六年から三 十九年までが、長坂(公一)君の筆跡で、克明に記入されておりま す。
さらに、このノートの一番最初に、長坂君のメモがありまし て、これに会員名簿で昭和二十三年のがあるとか、あるいは『西 洋古典学研究』第一号が昭和二十八年に刊行された、さらに、こ の第一号に、折込みとして、昭和二十七年の第三回大会の記録が 入れられたというようなメモがあります。このメモを見ますと、 長坂君が助手をしておられた昭和三十七、八年ごろには、学会の 資料はかなりなくなっていたということがうかがえるわけであり ます。
さきほど松平先生がおっしゃられましたように、昭和四十四年 の学園紛争によりまして、学会本部がありました研究室が、約半 年間、学生によって占拠され、九月の末に学生が退去したわけで ありますが、その後、私が一番に入っていったところ、学会の資料やその他、主に学会の資料だったと思いますが、会費の納入証 とか、そういうものが床一面にばらまかれて、足の踏み場もない という、そういう状態でありました。そのときに、十分に注意を 払えばよかったわけですが、なにぶん、私と助手の松居君とふた りで、暗くなる前に一生懸命掃除をしまして、そのときに、ゴミ と一緒に捨てられたものもあるのではないかというふうに思って おります。
学会の設立後に関する資料につきましては、第一回の大会の記録は、今申しましたように「昭和二十八年八月現在」と記された 会員名簿に載っておりますが、昭和二十六年、東京において行わ れた第二回大会の記録が残っておりません。第三回、奈良におい て行われた大会の記録は、これはきょう偶然発見しましたんです が、第一号の折込みとして配布されたものでありまして、これに は、大会の模様および懇談会の模様などが記されております。
続いて二十八年、慶応大学において行われました第四回大会の 記録は、会誌第二号の後記に載っておりますが、その翌年、昭和 二十九年、同志社において行われた第五回大会の記録は、これは ちょうど松平先生が英国へ行っておられた年であったと思われま すが、その翌年の春に刊行された会誌第三号には記録が載ってお りません。
第六回の大会、これは早稲田でございますが、この第六回大会 から現在に至るまで、大会の記録は必ず会誌の後記に載るように なっております。
以上が、学会本部にある記録のすべてです。
松平: どうもありがとうございました。
(つづく)
注
田中美知太郎 二代委員長(1902〜1985) 34号にobituary
松平千秋 四代委員長(1915〜2006) 55号にobituary
藤沢令夫 五代委員長(1925〜2004) 53号にobituary
岡 道男 六代委員長(1931〜2000) 49号にobituary
呉 茂一 初代委員長(1897〜1977) 26号にobituary
高津春繁 三代委員長(1908〜1973) 22号にobituary
村川堅太郎 元常任委員(1907〜1991) 40号にobituary
柳沼重剛 元常任委員、立命館大・東海大・筑波大・大妻女子大教授(1926〜2008)
長坂公一 真宗大谷派僧侶(元京大助手)
松居正俊 弘前大学名誉教授(元京大助手)
付記:「会記」および「後記」