Q&Aコーナー

質問

 プルタルコス(ディオドロス)はアルキビアデスの死を、30人政権成立後と考え、イギリス人作家のローズマリ・サトクリフも踏襲していますが、塩野七生先生はギリシア人の物語2で、アテナイ降伏の少し前にしていますが、典拠は何だと考えられるでしょうか?

(質問者:繞藤つばめ様)

回答

 ご質問ありがとうございます。

 結論から言いますと、塩野七生氏の記載の典拠は確認できませんでした。ご指摘のとおり、『ギリシア人の物語 II』の395〜396頁には、アルキビアデスは前404年初めに殺害されたとあり、彼の死がペロポネソス戦争終結(同年春)より前におかれています。

 アルキビアデスの死に関する古典史料、主要な概説書、伝記、各種の事典や専門論文を確認しましたが、参照できたすべての文献において、アルキビアデスの死はペロポネソス戦争終結後、アテナイでは三十人政権が成立した後におかれていました。ペロポネソス戦争の終結は前404年4月頃、三十人政権の成立は同年9月頃とされるため、アルキビアデスの死はそれ以降、すなわち前404/3年におかれることになります。

 アルキビアデスの死について記す主な古典史料は以下の通りです。

1) イソクラテス『競技戦車の競走馬について』40節 (前398〜395年頃執筆)

 三十人政権の成立後、スパルタおよびスパルタの司令官リュサンドロスの命によってアルキビアデスが殺害されたと述べています。

2) ディオドロス・シクルス『歴史叢書』14巻11節2(前1世紀)

 三十人政権の樹立(14巻10節)に続けて、ファルナバゾスがスパルタを喜ばせるためにアルキビアデスを捕らえて殺害したと記述しています。さらに、前4世紀の歴史家エフォロスによる異説(アルキビアデスに手柄を奪われぬための殺害)も紹介されています。

3) ネポス『アルキビアデス』9章4〜10節(前1世紀)

 アルキビアデスは、アテナイが敗北し、「三十人僭主」の支配下におかれた時まで生存していたということが明言され、「三十人僭主」がリュサンドロスにアルキビアデス殺害の要請をおこない、リュサンドロスからファルナバゾスに殺害要請がなされ、ファルナバゾスの手によって暗殺者が送り込まれたと伝えています。

4) ポンペイウス・トログス『地中海世界史』(ユニアヌス・ユスティヌスによる抄録)5巻8章12〜14節(前1世紀の著作を3世紀頃のユスティヌスが抄録したもの)

 「三十人僭主」が派遣した者たちによってアルキビアデスが殺害されたと伝えています。

5) プルタルコス『アルキビアデス』37〜39節(1〜2世紀)

 クリティアスがリュサンドロスに殺害を示唆し、リュサンドロスの命を受けたファルナバゾスが刺客を送ったと述べています。

6) アテナイオス『食卓の賢人たち』13.574e(2世紀)

 アルキビアデスはファルナバゾスの計略によって殺害されたと記しています。

7) オロシウス『異教徒に反駁する歴史』2.17.6(5世紀)

 三十人政権の成立後、彼らが最初に殺害したのがアルキビアデスであったと記しています。

 以上、古典史料から、アルキビアデスの死については以下の三説が確認できます。

  1. 三十人政権による主導(ポンペイウス・トログスおよびオロシウスは、「三十人僭主」が送った人物による殺害としており、直接関与を示唆)
  2. スパルタあるいはリュサンドロスの主導
  3. ファルナバゾスの主導
また、誰の指示によるものか、要請の連鎖かといった点についても諸説あります。いずれの史料も彼の死をペロポネソス戦争終結後、そしてアテナイにおいて三十人政権が樹立された後に位置づけています。

 研究書や主要事典においても、これらの古典史料に基づいた叙述が見られます。管見の限りでは、いずれの文献もアルキビアデスの死をペロポネソス戦争終結後、三十人政権の成立後においています。すなわち前404年9月以降となります。詳細が不明なため、前404年とする記述が多く見られますが、桜井万里子氏は前403年1月、クレンツ(Krentz)は前403年2月としています。

【主な研究書】

  • Bernadotte Perrin, “The Death of Alcibiades”, Transactions and Proceedings of the American Philological Association 37 (1906) 25-37 (戦後)
  • Jean Hatzfeld, Alcibiade. Étude sur l’histoire d’Athènes à la fin du Ve siècle, Paris, 1940(前404年秋以降)
  • Peter Krentz, The Thirty at Athens, Ithaca and London, 1982 (前403年2月と推定)
  • Walter M. Ellis, Alcibiades, London, 1989 (前404年)
  • Jacqueline de Romilly, Elizabeth Trapnell Rawlings (英訳), The Life of Alcibiades: Dangerous Ambition and the Betrayal of Athens, Oxford, 2019 (フランス語版は1995年)(前404年)
  • David Gribble, Alcibiades and Athens: A Study in Literary Presentation, Oxford, 1999(戦後)
  • Debra Nails, The People of Plato: A Prosopography of Plato and Other Socratics, Indianapolis, IN, 2002(前404年)
  • Michael Vickers, Sophocles and Alcibiades: Athenian Politics in Ancient Greek Literature, Ithaca, 2008(戦後)
  • Peter J. Rhodes, Alcibiades: Athenian Playboy, General and Traitor, Barnsley, South Yorkshire, 2011(前404/3年と推定。つまり前404年秋以降)
  • Michael Vickers, Aristophanes and Alcibiades: Echoes of Contemporary History in Athenian Comedy, Berlin, 2015(前404年後半)
  • David Stuttard, Nemesis: Alcibiades and the Fall of Athens, Cambridge, MA, 2018(前404年)

事典

  • Brill’s New Paulyのアルキビアデス[3] 前403年没
  • Oxford Classical Dictionaryのアルキビアデスの項 前404/3年没

日本語文献

  • 村田数之亮・衣笠茂『世界の歴史4 ギリシア』河出書房、1968年(文庫本は1989年)(ペロポネソス戦争終了後、前404年)
  • 村川堅太郎・長谷川博隆・高橋秀『古典古代の市民たち』(大世界史第2巻)文藝春秋、1967年(『ギリシア・ローマの盛衰 古典古代の市民たち』講談社学術文庫、1993年)(戦後、前404年)
  • 桜井万里子『ソクラテスの隣人たち』山川出版社、1997年(前403年1月)
  • 澤田典子『アテネ民主政 命をかけた八人の政治家』講談社選書メチエ、2010年(戦後、前404年、享年46)

アルキビアデスの誕生年について

 かつてアルキビアデスの誕生年は前450年頃とされ、享年46とされていました(塩野七生『ギリシア人の物語』第2巻396頁では45歳)。典拠の一つは、前432年のポテイダイア戦役でアルキビアデスがソクラテスに助けられたという逸話です(プルタルコス『アルキビアデス』7)。アテナイの成人年齢は18歳でしたから、前450年頃生まれとされたわけです。ただし、20歳未満の若者は、最年少者(見習い兵)として主に国内防衛にあたっており、国外遠征には加わらなかったため、アルキビアデスは前432年にはすでに20歳に達していたという説も以前から存在しました。2000年、アルキビアデスの名が議案提案者として刻まれた顕彰碑文が公刊されました(『ギリシア碑文補遺』50巻45番)。前422/1年の決議で、アルキビアデスがこの時点で30歳に達していたことを示しており、誕生年がさかのぼることが確定しました。

 今後、塩野七生氏が参照したと思われる新たな文献が見つかりましたら、追記したいと思います。

 

(回答:師尾晶子)