Q&Aコーナー
質問
私にはベジタリアンの知人がおり、本人によると健康のために肉を食べないようにしているそうです。少し気になってWikipediaで菜食主義のページをみていたら、菜食主義は古代のピタゴラス教団でも主張されていたが、それは動物を殺してはならないという道徳的な動機からだったよう。古代ギリシア世界に、身体的健康に対する肉食のメリット・デメリットに関する見解はあったのでしょうか。
(質問者: 栄西様)
回答
古代ギリシアに見られるベジタリアニズムは、たしかにピュタゴラス思想における輪廻転生の考え方にもとづく肉食や殺生を禁ずるタブーによるものがほぼすべてで、その流れは古代後期の新プラトン主義にまで及んでいます(たとえばポルピュリオス『肉食の禁忌について』)。しかし、その間の多くの関連資料を読み解いて行けば、直接間接にピュタゴラス思想の影響があることは否めないにしても、われわれ人間にとって本来の健全な食餌法は植物食にあることを示唆する文言をしばしば見いだすことができるのではないでしょうか。
たとえばプラトン『国家』第2巻には国家の起源についての考察にからめて、「最も必要なものだけの国家」が語られていますが、その一節で食事について、パンと葡萄酒が最もエッセンシャルなものとされ、副菜として塩、オリーブ、チーズ、野菜類、果実、木の実、豆類などが列挙されていて、魚や肉類への言及はないことは注目されていいでしょう。そこには「このようにして、平和のうちに健康な生活を送りながら、当然長生きしてから生を終えることになり…」と言われています(372A-D 藤澤令夫訳)。
また自らもベジタリアンであったプルタルコスには『肉食について』という論考がありますが、そこでも肉食は必ずしもピュタゴラス派的な思想によって忌避されるべきものというわけではなく、むしろそれが人間の自然本性に反するもの、心身両面にわたって有害なものであることが強調的に語られています。プルタルコスによれば、太古の昔、まだ農耕技術などが発展していなかった時代にあっては「人間の本性に反して動物の肉を食用にすること」もやむを得なかっただろうが、文明の発達した時代には「今のあなたがたをどんな狂乱が、どんな熱狂が穢れた殺害へ導くというのか、あなたがたの周りには、必需品〔植物食〕がそれほど多く存在しているのに」と言われていて、むしろ(プラトンとは逆に)肉食から植物食への発展を示唆しているのも興味深い点に思われます(993C-994A『モラリア』12、和田利博訳、京都大学学術出版会刊)。
他方で、医学思想を垣間見ると、肉食が健康に良いか悪いかという判断は、それ単独で言えることではなく、さまざまな状況に応じて良い場合も悪い場合もあるとされている点にも注目する必要があります。古代ギリシアにおいてはローマ時代とは異なり、野菜食が一般的でしたが、さまざまな種類の肉を扱った多様な調理がなされてもいたようで、食養生をめぐる肉食への指南はヒッポクラテス派の医学テキスト内に散見されます。基本的には体内の諸々の体液(血液・粘液、黄胆汁・黒胆汁)の混合具体によって、健康状態が左右されると医学者たちは考えますので、肉食もそれによって熱・冷・乾・湿の性質を整えることが重視されます。偏った病的状態を改善に促すために、食する肉の持つ性質がどのような影響を及ぼすかを見極めねばなりません。ヒッポクラテス文書をいくつか参照してみましょう。(『ヒッポクラテス全集』エンタープライズ社の訳より)。
『食餌法について』第1巻35(書名のギリシア語[ディアイタdiaita]は「養生法」とも訳され、ダイエットの語源ですね)では、体内における火と水の混合について語る文脈の中で、火の勢力が強くなると「肉よりも魚を摂取する方が良い」とされています。魚の方が水の性質により近いという理由からです。また、同書第2巻20にも、肉食が体を温めると書かれています(「脂肪質の肉は体を焼けるように熱くするが通じをつける。ブドウ酒に漬けた肉は体を乾かし栄養をつける。乾かすのはブドウ酒の作用による。栄養をつけるのは肉の作用による。酢に漬けた肉は体をさほど熱くしない。」「肉質のものは乾性のものであれ湿性のものであれ基本的に体を温める」)。同書第3巻13では、冷えた体には、野菜より肉が良いとされていて、肉の乾いた性質ゆえ肉食が勧められています(「(食べ物が未消化のまま排泄されてしまうのは、腹が冷えているからなので、食事量を減らしながら)主食はパン…、魚は…(焼く)、肉は塩や酢につけたものにする。犬肉は焼いたものにする。ジュズカケバトやその他その類の鳥の肉は、煮たものや焼いたものとする。野菜はなるべく取らない」)。
肉の調理の仕方についても、多く言及されています。体内で諸性質が最もよく混合されているのを良しとする医学書では、生肉は健康に良くないとされています。『古い医術について』13では、「実際、人間の健康を損なうものが熱・冷・乾・湿といったものであるならば、正しく治療する者は、当然、熱に対しては冷、冷に対しては熱、乾に対しては湿、湿に対しては乾を持って対処しなければならないことになる。…(生肉を摂取すると胃腸が壊れ、長くは生きられないわけだが)…もっとも確実で明白な効き目は、用いていた食事を廃し、(生の)小麦の代わりにパンを、生肉の代わりに火を入れた肉を、こういうふうに変更すれば、長期にわたるその食事ですっかり駄目になっていない限り、健康にならないわけはありえない」とあります。
しかし『疾患について』49では、焼きすぎより生に近いほうが体に良い場合もあるとされています(「肉のうちよく煮たものとよく焼いたものは、どちらも体を力強くする働きが乏しい。排便を促進するには良く煮たものが適当である。一方、よく焼いたものは便秘がちにする。ほどよく煮たものやほどよく焼いたものは、体を力強くするもの排便を促進するものほどほどである。もっと生のものは、体を力強くするには適当であるが、排便を促進するには不適当である」)。ここでも、その時の身体状態によって良くも悪くも転じてしまうというヒッポクラテス医学の基本主張に適った指南がなされています(同書50「体に極めて有用で滋養の面でも申し分のない飲食物であっても、それらを適当でない時機に用いたり、量が過剰であったりすると、まさにそれから疾病が生じ、その疾病が原因で患者は死亡する」)。それゆえ、さまざまな肉を場面に応じて食すということが目指されます(同書52「肉のうち体に最も軽いのは、よく煮た犬肉、鳥肉、兎肉である。重いのは牛肉と小豚肉である。健康な人であれ病人であれ、その自然性に最も適合しているのは、煮たもの焼いたものを問わず羊肉である。豚肉は、労働者や体操家が体調を整えたり体力をつけたりする点では良いが、病人や一般の人々には強すぎる。野生動物の肉は家畜の肉よりも軽い。なぜなら野生動物は家畜が食べるような果実を食べないからである。…体力を回復させたい時にはこれらのうちから強性のものを与え、痩せさせて細くしたい時には軽いものを与える」)。また、他にも「ロバか犬の肉をとる方が良い」(『内科疾患について』6)とか、「子羊の肉をとる方が良い」(『疾病について』第2巻71)など肉質の区別が体に及ぼす影響はさまざまであるとされ、そういった食生活の細かなことまで見極めるのが医学者たちの説く養生法なので、まさに医術の道は長い(テクネー・マクレー:ars longa)ですね。
以上若干の例をピックアップしてみました。同様の見解はさらに他のテキストにも見出されることと思われますが、とりあえずこれを回答とさせていただきます。
(回答者:木原志乃)