Q&Aコーナー

質問

『良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。』

『本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。
本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。』

 いずれもソクラテスの言葉とされていますが、ソクラテスは他の人の著作を読むことを勧めないように思います。

 出典をご存じでしたらご教示頂けないでしょうか。

 よろしくお願いします。

(質問者: 國井友輔様)

回答

 ご質問ありがとうございます。

 まずは

“本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。”

から回答します。これはソクラテスの言葉として伝わっていますが、実はプラトンと同時代の弁論家イソクラテスが友達のデモニコスに当てた弁論の中の言葉です(『デモニコス宛ての演説』18.5–8)。手元にあるギリシア語原文(G. MathieuとÉ. Brémondの校訂本)を直訳すると以下のようになります。

“人生の余暇を言論を好んで聞くことに費やしなさい。というのも、そのようにしてあなたは、他の人々によって難儀して発見されたものを、容易に学ぶことができるだろうから。”

 ただし、この手紙は実際にはイソクラテスによって書かれたのではなく、後代の偽作だと考えられています。

 では、なぜこの言葉はソクラテスに帰されるようになったのでしょうか。ここからは私のたんなる推測ですが、19世紀に広く読まれたSamuel Austin AlliboneのProse Quotations from Socrates to Macaulay (初版は1876年)が誤ってソクラテスの言葉として記載したからだと思われます。そのp.84では次のように書かれています。

Employ your time in improving yourselves by other men's documents ; so shall you come easily by what others have laboured hard for. Prefer knowledge to wealth ; for the one is transitory, the other perpetual.
Socrates.

 これはインターネット・アーカイブで見つかるのでリンクを貼っておきます。
https://archive.org/details/prosequotations01alligoog/page/84/mode/2up?view=theater

 これがAlliboneの誤りだとするのは、1848年のA. Potter編のHandbook for Readers and Studentsという本のなかでは、イソクラテスからデモクリトス(!)に宛てた言葉として記載されているからです。おそらくこれにも引用辞典のような典拠があるのでしょう。Alliboneはそれを見て、デモクリトスはイソクラテスではなく、ソクラテスの同時代人なので、「ソクラテス」の言葉に修正したのではないかと思います。

 次に

“良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。”

ですが、こちらは少し英語情報を調べるとマーク・トゥエインの言葉として出てきます。そして次のサイトで、この引用の出処を調べています。

https://quoteinvestigator.com/2012/12/11/cannot-read/

 このページを見ると、この言葉には“本を読もうとしない人は、字の読めない人と変わらない”という別のバージョンがあるそうです。そしてまずトゥエインの研究者に相談したところ、これはトゥエインの言葉ではないという反応があったそうです。そこで調査がはじまるのですが、質問にある言葉と一致するものに関しては、1914年にノースウェスタン大学の衛生学教授のW. A. エヴァンズという人が新聞に書いたコラムの言葉と一致するそうです。そこでエヴァンズはインランド鉄鋼会社の10の「安全第一スローガン」を引用しているのですが、その中にThe man who does not read good books has no advantage over the man who can’t read themという言葉があるそうです。そして1940年代頃からこの言葉がマーク・トゥエインと結びつけられるようになったそうです。

 というわけで、いずれもソクラテスの言葉ではありませんね。

 さて、私であれば、プラトンやクセノポンやアリストパネスの著作のなかにはないソクラテスの名言を探そうとするときには、Gabriele Giannantoniの編集したSocratis et Socraticorum Reliquiaeの第一巻のなかの「ソクラテスの発言録」(Dicta Socratis/Dicta Socratis e Stobaei et aliorum eclogis et florilegiis, pp.99-139)を調べます。そこで、何か書物に関連する名言がないか一通り見てみたところ、ひとつだけ見つかりました。それは断片347です。

“ソクラテスはなぜ書物を書かないのかと尋ねられて、こう答えた。「だって、書かれていない紙のほうが、書き込まれている紙よりも高値で売られているのを見ているからね。」”

というものです(断片272は別のバージョンです)。

 ご質問にもありましたように、このほうがソクラテスのイメージにぴったりですし、そんなソクラテスが人の本を読むことを薦めるはずはありませんよね。

(回答:早瀬 篤)