Q&Aコーナー
質問
ローマではローマ市民権を持つ者のみに適用される市民法があったかと思いますが、自由民ではない者(奴隷)に対する制度的なものはあったのでしょうか。自由民でない者同士の間に起こったトラブルなどはどの様に解決していたのでしょうか。
(質問者: K.S様)
回答
ローマ法の原理から言えば、奴隷には法的能力がなく、訴訟当事者になることもできなければ、賠償をするための財産も持てません。そのため、直接奴隷を市民法上の裁判にかけたり、契約の相手としたりすることはできませんでした。ただし、奴隷が第三者と契約をして債権を獲得したときは、その債権は主人のために獲得されました。これに対し、奴隷が契約で債務を負う形になった場合、それが主人の債務とされることはありませんでした。
ただ、これでは奴隷を介して主人が事業を行うときなど様々な不便が生じたため、前2世紀頃から様々な便法が発達し、奴隷との間での債務契約が結べるようになりました。それは、特有財産peculiumという仕組みの発達と関係があります。
奴隷は名目上は自分の財産を持つことはできず、奴隷が取得した財貨は基本的にその主人の所有となりましたが、主人の了解のもと奴隷自身がある程度自分の裁量で扱える財産が特有財産です。特有財産は奴隷の「お財布」のようなもので、名目上は主人の所有する財産になります。しかし、奴隷はこの特有財産を運用して利を蓄え、それをもとにして自分の自由を主人から買い取ったり、あるいは他の奴隷を買い受けたりするなど色々なことができました。このような事情だったため、奴隷は自らに認められたかぎりにおいて、主体的な経済活動を行うことが可能でした。そして、奴隷が第三者と取引を交わしながら、契約不履行などで相手に害をもたらした場合には、相手側は奴隷の特有財産の評価額分までを主人に対して損害賠償請求することができるように法も変わっていきました。
また、トラブルの側面から言えば、既に前5世紀の十二表法の時代から加害訴訟actio noxalisの制度があったことが知られています。これは、奴隷が誰かに対して不法行為を犯した場合、被害者はその奴隷の主人に対して訴権を得て、主人に対して加害訴訟を起こすことができるというものです。訴えられた主人は、責を認めて自ら被害者に賠償をするか、あるいは当該の奴隷の身柄を被害者に委付し、その報復を被害者に任せるかを選択することができました。
以上の例は、自由人と奴隷との間で何かトラブルが発生したものですが、奴隷同士の間で刃傷沙汰があったりした場合などは、それぞれの主人が出てきて、彼らの間で問題解決をすることになったでしょう。法廷闘争に至った場合には、アクィーリウス法lex Aquiliaが用いられました。この法は、自分の奴隷が殺害された場合や奴隷が負傷した場合に相手方に損害賠償を請求するためのものです。
このような奴隷に関わる措置はいずれも時代の推移に応じて個別事例に即して発達し、上に挙げた事例以外にも様々な細則がありました。その意味でこれらはいずれも弥縫策という側面があり、その法源も、市民法、法務官法、勅法など様々なものに由来しました。全体として見れば、奴隷の行ったことに対してその主人が責任を取る、という一般的傾向は認められますが、それが明確かつ体系的な形で定められることは結局ありませんでした。
なお、以上はあくまで法律上の話で、実際の問題解決においては、示談など法廷外のやり取りが大きな役割を果たしただろうと推測されます。加えて、時代が下るにつれて、奴隷も人として様々な債権債務関係が結べるという、自然債務の考えが広まり、それが法の現場にも影響を及ぼすようになっていきます。後6世紀にユスティニアヌス帝のまとめた『ローマ法大全』には、この自然債務の考えが取り入れられているところが多々あります。
史料出典も含めた詳細については、日本語で読める文献として、船田享二『ローマ法』第3巻、岩波書店、1970年(改版)、699-714頁、42-50頁が有用です。索引を使って、各所を読む必要がありますが、マックス・カーザー(著)、柴田光蔵(訳)『ローマ私法概説』創文社、1979年も参考になるでしょう。
(回答:田中 創)