Q&Aコーナー

質問

 古代ラテン語、古代ギリシア語の時代区別はどうなのでしょうか。

(質問者: 今井敏正様)

回答

西洋古典学会HP運営委員会のメンバーのひとりの安西と申します.
現在私が答えられることを簡単に申します.

古代ギリシア語の歴史というものが,古代ギリシアの社会に属していた人間たちが社会のコミュ二ケイション手段として使用していた日常言語の変遷という意味であるならば,我々はそれを語る手がかりはほぼ持っていない,と言うべきです.社会史区分上の古典期,つまり,ポリス社会がギリシアの社会の中で主流となる前7世紀から,ポリス社会のほぼ全連合軍が,マケドニア王国との戦いに敗れた前4世紀中頃のカイロネイアの戦までを古典期を画する社会区分と言ってよいと思いますが,この間に成立し,我々のところまで届いた文献のほぼその主力は,韻文,つまり我々には伝わらないギリシア音楽に支配され,また,文学言語の特性として,伝統,特に,初期ギリシア語叙事詩に始まるギリシア語文学の強い影響下にあって,歴史的な層でのギリシア語の変遷を語るのには,全体として適切でない対象なのです.

先ほどの古典期最後の事件以降の,Attica方言の言語を基礎に成立したヘレニズムギリシア語は,ほぼ,音楽から解放されたので,普通の意味での言語として歴史言語学的な意味での研究対象になりうるのですが,それが,古典期のそれと比べてどういう変化をしたものかという具体相は研究対象として非常に難しいものとなるのは容易に理解できることだと思います.なにしろ,土台の古典ギリシア語が普通の意味での言語としてどうだったか,をめぐって難しい問題を抱えているからです.

あと2点加えてみます.
そういった事情ですから,例えばL.R.Palmer, Greek Languageは,一般を対象にした古代ギリシア語解説書として著名ですが,そしてこの本にもギリシャ語史という部分が含まれていますが,言語の変遷の記述とは言えず,古典期ギリシア語文献を歴史的ないしはジャンル的に分けて記して,ある意味では文學史的記述を,その役割となる部分のかわりとしています.要するに古典期文献にギリシア語史という概念を持ち込むのは無理,とする,古典学者たちの共通認識をそのまま反映していると言えます.

もう1点.ただ,古典学者たちのそういう常識的な共通認識に,ある意味では大きな批判を投げかけるギリシア語文法記述が最近登場したことをお伝えします.Amsterdam大学のRijksbaron名誉教授を中心とする4名による Cambridge Grammar of Classical Greek (2019)です.たぶんこれの狙いとするところは,現代の個別言語記述に使われている手法と用語体系を,Classical Greek記述に適用してみようということだと理解できます.前6世紀から前4世紀中盤までの約200年に含まれる全ジャンルの古典ギリシア語文献を対象に「言語記述」がそこでは試みられています.で,その成果は,素晴らしいものと言えます.現代言語学から見た普通の意味で,素晴らしい記述という訳ではなく,ギリシア語学習者および古典ギリシア語の諸分野の文献を研究!対象とする,要するに広く言えばギリシア語研究者にとって,従来の普通の意味での「ギリシア語文法」とは水準を異にする,全体像の掴みやすい,易しくかつ,広く言った場合のギリシア語研究者にとって「頼りになる」文法が出来上がっていると,少なくとも私は判断します.古典ギリシア語は,一つの言語記述的枠組みで共時的にも,まがりなりにも記述できた,ということです.あなたの問いに対して,様々な留保は逃れないものの,答えられる日が来るかもしれない,と私は思います.

(回答:安西眞)