Q&Aコーナー

質問

 ディオスコリデスが『薬物誌』を著す背景には、何があったのでしょうか?また、彼が後世に与えた影響は、どのようなことがありますか?

(質問者:N.S.様)

回答

 ディオスコリデスの『薬物誌』全五巻は16世紀まで西欧で薬学、本草学の主要な源泉として重んじられた書物で、邦訳もある(『ディオスコリデス 薬物誌』(鷲谷いづみ訳)エンタプライズ、1983、『ディオスコリデス 薬物誌』(岸本良彦訳注、八坂書房、2022))。

 ディオスコリデスの生没年は不明だが紀元1世紀に活躍した人で、プリニウスとほぼ同時代の人だった。現在トルコ領のキリキア地方出身のギリシア人で、ローマ軍の軍医として各地に赴き、実地で観察、調査した500種(600種とも)ほどの植物、動物、鉱物について特徴や薬効を『薬物誌』に記述した。その背景を知るためにギリシア、アレクサンドリアの科学研究の歴史を振り返ってみよう。

 イオニアの自然哲学に始まるギリシアの科学は、古典期には思弁的なものから、実証主義的な方向に向かった。合理的実証的研究、科学的方法論に基づく研究を始めたのはアリストテレスで、テオプラストスがそれを継承した。ただし、テオプラストスはアリストテレスの動物学の研究法を範としたが、植物と動物は完全には対応しないことに目を向け、独自の植物学研究法を考案した。観察にもとづく実証的合理的な植物研究は独自の分類法の考案、植物の形態、生理、特性、生態などの分野に及び、近代以前で最高の水準に達していたので、「植物学の祖」と呼ばれている。

 テオプラストスは、植物学への貢献が大きかったため純粋な植物学者で、応用的なことには興味がなかったと見る人が多い(Amigues, Isager, Ducourthial)。しかし、テオプラストスは応用的な研究を視野に入れていたと思われる。当時アテナイは自然が荒廃し、再生の道を探るために植物資源の研究が要請されていたと思われる。植物は資源として現代よりずっと重要性が高かった筈だからである。実際、『植物誌』に応用学的な研究が含まれていることに注目する人たちもいる(Morton,Greene)。ちなみに、そのような傾向の萌芽はすでにアリストテレスの『哲学のすすめ』(廣川洋一訳、講談社学術文庫、2011年)に認められる。アリストテレスは「知識には物を使うための知識と命じる知識があって、命じる知識を持つように考える事こそ「ピロソピア(哲学者)」の務めだ」と言っている。アリストテレスは、現実の世界を導く理知を追求することを哲学者のなすべきこととし、理知を働かすことを究極の目的としているのだが、理知と実践的生の強いつながりを明示しているとも解されている(前掲書、23-25、200-212)。テオプラストスはこの考え方を受けつぎ、植物研究を進める際に、理知を実践的生により強く結び付け、アリストテレスより明瞭な形で応用学的研究を意図したのだと思われる。

 それを示すのはテオプラストスの『植物誌』の構成である。『植物誌』は用途を同じくする植物のグループごとに編集されている。かつて言われたように、植物学的分類群ごとに編集されているのではない。すなわち、第一巻は植物学研究法を一般的に論じているが、第二巻は果樹、第三、五巻では樹木、第四巻では地理的に遠く、あるいは生育環境が大きく異なる有用植物、第六巻では花冠用植物、第七巻は野菜類、第八巻は主食となる穀物、豆類、雑穀や種実類など、食用になる植物を扱う。このように用途別に研究を進めていることには、明らかに植物の利用のために役立つ書物を作ろうとする意図があると見てよいだろう。まず、それぞれのグループの植物の特徴を実証的合理的に研究し、アリストテレスの言う「使うための基礎知識」を獲得し、それを実践の場に向ける「命じる知識」を究め、呈示していくことが哲学者の使命だと考えて、本書を編んだように思われるのである。その意味では、テオプラストスの死後、『植物誌』以前に書かれた、香料や医薬用植物を扱う本草書ともいえる二書が第九巻として編入されたのは、ごく自然なことだったと思われる。

 このように応用学的な考え方をしたことはアリストテレスが代々医師の家、テオプラストスは織物の縮絨業者の家の出だったことに関係があるかもしれない。古代ギリシアには労働蔑視の傾向があったが、彼らは実業に親しみ尊重していたので、研究で得た知識を、日常生活にも生かそうとする姿勢があったのではないだろうか。テオプラストスが植物の有用性に関心を抱き、理論学と応用学の融合した『植物誌』を著したことからすると、テオプラストスは後に植物学が応用学である本草学に傾斜していった傾向の先駆者といってもよいだろう。

 前3世紀には、学問の中心がアテナイからアレクサンドリアに移り、科学は基礎理論学より、応用学的な方向に進んでいった。医学の分野でも、理論的推論より経験主義が優勢となり、解剖実験が重視され、解剖学が進んだ。薬物研究も、毒物や解毒剤の研究が進んだと言われる。

 しかし、植物学はテオプラストス以後、1世紀のダマスクスのニコラオスの著書『植物について』以外、目だった研究が残されていない。彼はペリパトス派に属した人で、アレクサンドリアで活躍した人である。この本は行方不明になった後、東方諸国で翻訳されていたものが13,4世紀に逆輸入されて、ラテン語、ギリシア語に訳された。誤ってアリストテレスの著書として西欧に伝えられたために、もてはやされた。しかし、ニコラオスは自ら実験や観察をしたわけではなく、著書は古典期迄のペリパトス派の諸説の寄せ集めに過ぎないものだった。

 ローマ時代になると、所領を経営するための指南書として、カトー、ヴァロ、コルメラなどの農業論が相次いで発表され、プリニウスのようにアレクサンドリアの図書館の書物を渉猟して、百科全書ともいうべき『博物誌』を著す人も出ていた。ディオスコリデスはプリニウスと同時代の一世紀に生きた人で、従軍医師として赴いた各地で、自然物を利用して治療にあたり、実際の医療行為に役立つ知識を書き記した。『薬物誌』五巻がそれである。

 彼が勉強したアレクサンドリアでは、前300年頃のヘロピロスなどによって医学の分野で解剖学や生理学が進み、薬物をあつかう本草家が続々と出ていた。しかし、アレクサンドリアの学問は古典の文献学の発達に見るように、机上の学問になりつつあった。そのような学風に触れたディオスコリデスは、それに抵抗して、自分の見たことに基づいて医療行為を効果的にしようと研究したと『薬物誌』の「序言」に言う。文献のみに依拠して著作したプリニウスと異なるところである。むしろ、方法論としてはアリストテレスやテオプラストスのような実証主義的手法を採ろうとし、医師として医薬用植物を徹底的に観察し吟味し、治療効果を見て確かめた事実に基づく薬用効果を追究し、すぐれた記録を残した。その観察と経験に裏付けられた科学性のため、『薬物誌』は時代を超えて生き抜くことになった。もっとも、ディオスコリデスは医薬用に用いた植物そのものを理論的に研究したわけではなかったので、処方には詳しいが、植物自体についての植物学的説明は質量ともにテオプラストスの比ではない。しかし、そのようなディオスコリデスの実用性は古代ローマ人の気風に合致した。ローマの最高の医師と評された軍医ガレノス(131-199/200或いは 216/217)もディオスコリデスを高く評価し、称賛したと伝えられる。

 ディオスコリデスの時代には彼が『薬物誌』の「序言」で挙げている通り、多くの薬物学者がいて、本草書を著した人もいたというが、ほとんど散逸してしまった。その後、4世紀頃、種々の本草書を基にしたアプレイウス作とされる通俗本が流布し、さらに多くの本草書が編まれ、諸書が混淆しながら、俗信も交えて伝えられていったが、骨組みとなったのはディオスコリデスだったとされる。

 ローマ帝政後期にはギリシア語で書かれたディオスコリデスとガレノスとの著作がラテン語訳され、それが中世の本草書の指針となったと言う。またディオスコリデスは9世紀末にはアラビア語に訳され、10世紀半ばにはすべてのアラビア語圏に出回って名声を博した。アラビアの薬物史にも大きな影響を及ぼしたのである。

 中世には、植物学の理論的な研究はほとんどなされず、もっぱら、医薬としての植物利用のための本草学が重視された。実用的価値があったからである。その担い手は当時最高の知識人だった修道士だった。修道院では古い医学文献を収集し、写本を保存するだけでなく、医療施設にもなったので、薬草園でハーブや医薬用植物の栽培に励み、薬草の知恵を育て、医薬品を生産したところも多い。中でも女子修道院では薬草栽培が盛んだったという。中世一の才女と言われた修道女ヒルデガルト(1098-1179)はこの分野に大きな功績を残した。彼女の著作『医学』と『自然学』は本草学で忘れてはならない重要な文献と言われている。中世の間は古代の医学が継承されたので、最も流布した本草学の通俗本はアプレイウスのものだったが、ディオスコリデスの『薬物誌』が最高の本草書として、尊重されていたと言う。

 ルネッサンス時代に印刷術が発明されると、次々古典が翻訳出版された。ディオスコリデスも15世紀にはギリシア語版が出版された。その後さらに薬物書への関心が高まり、16世紀後半には、より実証的な本草書が求められるようになって、現代の薬局方へつながったと言われている。

 つまり、ディオスコリデスの『薬物誌』は本草書の原典として長く尊重され続け、現代の薬局方の前身とされるほど、後世に絶大な影響を及ぼしたのである。

参考文献

  • 大槻真一郎『ディオスコリデス研究』[ディオスコリデス『薬物誌』別冊、エンタープライズ、1983年。
  • シモンズ、ハウズ、アーヴィング『世界の薬用植物図鑑:イギリス王立植物園キュ―ガーデン版』(2016)、原書房、 2020年。
  • 大槻真一郎『西洋本草書の世界』、八坂書房、2021年。
  • Lloyd, G.E.R., Greek Science after Aristotle, N.Y.&London, 1973.
  • Morton, A.G., History of Botanical Science, London/N.Y.et al., 1981
  • Greene, E.L., Landmarks of Botanical History, California, 1983.
  • Ducourthial, G., Flore magique et astrologique de l’antiquité, Paris, 2003.
  • Amigues, S., Théophraste Recherches sur les plants, Tom V(Livre IX), Paris, 2006.
  • Leroi, A.M., The Lagoon―How Aristotle Invented Science, N.Y., 2015.

(回答:小川洋子、2022.11.28)