Q&Aコーナー
質問
昨年、「セスタス-The Roman Fighter-」というアニメを見ていたのですが、拳奴の養成所なるものは実際にあったのでしょうか。実在していたなら、いつ頃から設置されて、いつ頃に廃止されたのでしょうか。また、廃止されるに至った背景などを知りたく思います。
(質問者:K.S.様)
回答
ご質問いただきありがとうございます。拳闘士については不明な点が多いので、ここでは、剣闘士の養成所についてお答えいたします。
剣闘士の養成所ludusとは、剣闘士の育成が行われた施設です。ここでは、主として戦争捕虜や奴隷などが剣闘士としての訓練を受けていました。この養成所は、帝国各地に存在し、個人や都市、そして後の時代には皇帝によっても所有されていました。そして、この養成所には、剣闘士の一団(Familia gladiatoria)が、集団で生活をしていました。この剣闘士団は、剣闘士たちはもちろん、取りまとめ役であるラニスタ(lanista)や、各種武装の扱いに長けた訓練士(doctor)、医者(medicus)などで構成されていました。養成所には、このような剣闘士の一団が入所しており、時には複数の剣闘士団が養成所に同居するということもあったようです。
養成所の設立時期について詳しいことはわかっていませんが、それが表舞台に現れるのは、共和政末期になります。かの有名な前73年のスパルタクスの乱の発端となったのが、カプアの養成所でした。このカプアのあるイタリア南部、カンパニア地方は、剣闘士競技発祥の地とも言われるほど、古くから盛んに剣闘士競技が行われていたことで知られます。また、この時期には、資金力のある人々が養成所や剣闘士の一団を所有していたことがわかっています。カエサルやカトー、ミロー、そしてキケロの友人アッティクスなどがその代表格です。
帝政期に入ると、このような個人所有の養成所や市営のものに加え、帝国の管理する養成所が目立ってきます。ポンペイで発見された剣闘士の対戦表には、皇帝ネロの名前を冠した養成所に所属する剣闘士も確認されています。なかでもドミティアヌス帝は、コロッセウムに隣接していた大養成所をはじめ、ダキア養成所、ガリア養成所、野獣競技専門の剣闘士を育成した早朝養成所(野獣競技が午前中に開催されていたことに由来)の4つを創設したことで知られています。
養成所の廃止された時期については、関連する史料がないのでわかりませんが、おそらく剣闘士競技の廃止された時期とそう変わらないと予想されます。とはいえ、そもそも剣闘士競技の廃止についてもはっきりとした年代はわかっていません。一般には、後4世紀ごろから衰退し始めたと見られています。それは、このころに皇帝が剣闘士競技への不同意や禁止を促したとする史料が現れはじめるからです。ただし、いずれの場合も全面的に競技を廃止するものではなかったため、しばらく競技は開催され続けたようです。しかし、それでも5世紀の中頃までには剣闘士競技は廃れたと考えられています。
また、剣闘士競技の廃止の要因については、これまでキリスト教との関連が指摘されてきました。これはキリスト教の台頭と剣闘士競技の衰退期が重なることが要因です。しかし、近年では、両者に明確な因果関係が見出されないことから、そのような見方に疑問が呈されています。そしてその代わりに、社会全体の活力が低下したことや剣闘士競技の競技性が失われ、民衆の関心が薄れたことなどが指摘されています。このように衰退の要因に関しては諸説ありますが、いずれにせよ帝国の重心が西方から東方へと推移し、社会が再編されていくなかで、剣闘士競技の存在感が薄れていったことは確かなようです。
参考文献
- 島田誠『コロッセウムからよむローマ帝国』講談社、1999年。
- 本村凌二『剣闘士——血と汗のローマ社会史』中央公論社、2021年。
(回答者:阿部衛)
2022/01/14