Q&Aコーナー

質問

 はじめまして。当方ラテン語もギリシア語も語学経験がないため、非常にみっともない質問かも知れませんが、無学者では調べるのに限界があるため、質問させてください。

  1. 通常ローマ皇帝とかローマの最高司令官と訳されているラテン語の「imperatorem Romanum」(タキトゥス『年代記』15-5で利用されている文言で、格変化形そのままで引用しています)は、「(都市)ローマの皇帝」なのでしょうか、それとも「ローマ人の皇帝」(意味的にはローマ市民権所有者たちの共同体を統べる皇帝)なのか、或いは両方を含意している用語なのかについて教えてください。
  2. ギリシア語の「Ῥωμαίων ἀρχὴν」(『秘史』)については、辞書を引きますと、「ローマ人の皇帝」を意味しているように思え、「(都市)ローマの皇帝)」は含意していないように見えますが、この認識で正しいのかを確認させてください。もしラテン語が「(都市)ローマの皇帝」を含意しているとすると、同じく「ローマ皇帝」と訳される用語でありながら、ギリシア語用語とは、意味にズレがあることになると思うのです。

 これらのことは、ラテン圏とギリシア語圏における皇帝理念の相違の一因となりえ、ひいては中世における西方皇帝とビザンツ皇帝間の称号論争や皇帝権の正統論争に結びつく内容にも思えるため、詳しく知りたいと思い、質問させていただきました。

 お忙しいところ大変恐縮ですが、ご対応の程、よろしくお願いいたします。

補足1 日本語翻訳書籍や歴史書における訳語例

① 「ローマ人の」という訳

 岩波講座世界歴史5巻「帝国と支配」一章の本村凌二氏、p10で「Imperium Romanum」「Imperium popli Romani」の日本語訳を、それぞれ「ローマ人の支配」「ローマ民衆の支配」と訳し、「「ローマ人の支配」は「ローマ帝国」と呼んでもいいかも知れない」とし、「ローマ帝国」は意訳のように扱っている。p11でも「「ローマ帝国」と訳すならば」と重ねて強調している。

 このことから類推すると、通常「ローマ皇帝」「ローマの元首」と訳されている用語も、実際には「ローマ人の皇帝」「ローマ人の元首」と訳すのが正しいのではないかと思われる。

 以上のことから、「imperatorem Romanum」の意味及び訳は、「ローマ人の」(或いはローマ市民の)なのか「都市ローマの」なのか、どちらの意味なのか、或いは両方の意味なのかを確認したい。

② 国原吉之助氏の『年代記』における訳

 『年代記』2-57で「ローマの元首」と日本語で訳されている箇所のラテン語原文は、 principem Romanum で、「ローマ人の」とはなっていない(なお、英訳書ではこの部分は、「the Roman emperor」となっている)。

 『年代記』15-5では「ローマの最高司令官」と訳されている原文は「imperatorem Romanum」で英訳版では「 the Roman emperor 」 となっているが、これも①に準拠すると、「ローマ人の最高司令官」或いは「ローマ人の皇帝」とするのが、意味的には正確となるように思える。

③ 和田廣氏の『秘史』における訳

 23-1で「ローマ皇帝」と訳されているところの原文は「Ῥωμαίων ἀρχὴν」となっていて、「Ῥωμαίων」をネット辞書で引くと、「ローマ人の」を意味しており、「都市ローマ」を含意する「ローマの」との意味ではないように思える(素人なので大きな勘違いをしていたらすみません)。

補足2 質問の背景

 ギリシア語の「Ῥωμαίων ἀρχὴν」と、「imperatorem Romanum」は、意味が違い、「imperatorem Romanum」は都市ローマを含む意味を持つのであれば、8世紀末以降における、フランク帝国並びに神聖ローマ皇帝とビザンツ皇帝間における、正統皇帝の称号論争にも関わって来る内容であるように思えます。「Ῥωμαίων ἀρχὴν」が「ローマ人の皇帝」であるならば、カラカラ勅令以降帝国の自由人全てがローマ人となったため、この定義に該当する「自由人=ローマ人」を統治するのが後世の東ローマ(ビザンツ)皇帝ということになり、都市ローマを含むかどうかは問題になりません。

 しかし、「imperatorem Romanum」が「都市ローマ」という意味を含むのであれば、都市ローマを領土に含んでいた「imperatorem Romanum」が正統なローマ皇帝であり、フランク帝国や神聖ローマの方が古代ローマの正統な継承者である、という論拠となりえるように思えます。

 このような論争に関わって来る内容であるように思えるため、ラテン語とギリシア語双方における「ローマ皇帝」の意味と訳し方について、質問させていただきました。

(質問者:ささむ 様)

回答

 1.ラテン語のimperatorem Romanumが「(都市)ローマの皇帝」なのか、「ローマ人の皇帝」なのかというご質問についてですが、これは文法的にはimperatorという名詞にRomanusという形容詞がかかっている形で、直訳としては「ローマの皇帝」となります。この「ローマの」という形容詞に関して、都市か人々のどちらかの意味に限定するという、二項対立的な意味の選択をするのは難しいと考えます。というのも、古代では、人々と、人の集団によって形成される国家(ささむさんの言うところの「都市」)の概念は密接に結びついており、明確な判別が難しいからです。

 2. ギリシア語のῬωμαίων ἀρχὴνについても、「ローマ人の支配(帝国)」というのが直訳です。「ローマ人の」という名詞(属格形)が「支配」という名詞を修飾しています。この際の「ローマ人」が複数形であることにも注意してください。この事例のように「~人の」という言い方をすれば、集団(国家)の意味を排除するかというと、これもまた1の時と同じ問題があります。例えば、アテナイ市民団であれば、ὁ δῆμος (ὁ) Ἀθηναίων(直訳すれば「アテナイ人たちの市民団」)というように表現しますが、これは「アテナイ市民団」と言っているのと同じようなもので、ラテン語のpopulus Romanus「ローマ市民団」に相当する表現と言えます。

 この表現の違いがギリシア語とラテン語の違いに由来するかというと一概にそうとも言えません。ラテン語でもres publica Atheniensium「アテナイ人の共同体(=アテナイ市)」のように「~人の」という表現を用いて共同体を表すような事例もあるからです。つまり、用法の面で、ギリシア語とラテン語が同じ形になる場合もしばしばあるのです。ただ、ラテン語ではRomanusのように形容詞で表現できるものでも、ギリシア語の場合には形容詞を用いずに、「~人の」という言い回しを用いることが比較的多いと思います。しかし、「~人」の集団が国家を形成すると理解している点ではラテン語もギリシア語も共通であると考えられます。また、後代のラテン語表現になりますが、神聖ローマ帝国の皇帝名もimperator Romanorumとなりますから、これらの表現だけから、ラテン語圏とギリシア語圏とで皇帝理念の相違があったとまでは言えません。

 さらに、2で問題になるのは、典拠になっているのが後6世紀の作家プロコピオスの『秘史』であることです。この時代には、ローマ人の概念がご指摘のようにとても広くなっているのに加え、コンスタンティノポリスが「新しいローマ」を名乗るようになり、イタリアのローマに匹敵する都市の地位を主張していた時期でもあります。したがって、「ローマ人の」という表現が仮に「都市ローマの」という意味に限定できたとしても、東側にも都市ローマ(コンスタンティノポリス)があるわけなので、領土云々はそれだけでは正統性の論拠にはなりません。

 ただ、ささむさんのお考えにもあるように、ローマという概念自体が広がりを見せ、多様な解釈を許すようになったことは間違いありません。したがって、「ローマ人」の国家がどれだけの範囲を含むものかについては時代によって多様な解釈がありえました。これらについては、歴史学研究会(編)『幻影のローマ――〈伝統〉の継承とイメージの変容』青木書店、2006年に様々な側面に光を当てた論考がありますので、ご参考になるかと思います。

 さらに補足1で挙げられていたご質問についてお答えします。

 1の岩波講座世界歴史5巻『帝国と支配』一章の本村凌二氏、p10については、本村氏の力点はRomanusの訳よりも、imperiumという語をどのように訳すかというところにあると考えます。imperiumは元来「命令権」「支配」といった意味であり、直接的に「帝国」という訳語をあてられるものではないからです。しかも、日本語の「帝国」という言葉は皇帝の存在をうかがわせますが、ラテン語のimperiumはimperatorの存在を前提としていません。そのため、いわゆるローマ帝政が始まるよりも前の共和政の時代からimperium Romanumという言葉は使われています。これらのことが本村氏の少し慎重な表現につながっていると思われます。このような日本語の「帝国」概念とラテン語の概念の違いについては、吉村忠典『古代ローマ帝国の研究』岩波書店、2003年が詳細に論じています。

 2・3については、いずれも先述のように「人々」と「国家」という二つの意味が排他的な関係にないので、どちらか一方の意味に限定することは難しいです。ただ、タキトゥスの関係する用例や、プロコピオスの用例を全て拾い出して徹底的に分析すれば、それぞれの著作家の抱いたローマ観は抽出することができるかもしれません。

(回答者:田中 創、吉田俊一郎)

2021/11/25