Q&Aコーナー

質問

 ホメロス作品に描かれている様々なもの(衣食住や持ち物などの風俗、武器や戦闘などの軍事、ギリシア人の海外認識、また社会構造、支配体制、死生観、家族観etc)が、どの時代(青銅器時代、暗黒時代、ホメロス当人が活躍した時代)のものをどれだけ反映しているかについては、どのような研究が為されてきたのでしょうか。

 特に、ホメロス作品の女性観・家族観についてはどのような時代・社会の様相が反映されていると考えられ、どのような研究がされているのでしょうか。

(質問者:outis様)

回答

 ご質問、ありがとうございます。以下の文献紹介が、多岐にわたるご関心の対象について「どのような研究が為されてきたか」という問い(の一部)に応答するところがあることを庶幾します

 そもそも誰をもって「ホメロス」とするかについて議論があります。全体を導くひとつプロットのもとほぼ現在のかたちに構成された『イリアス』、『オデュッセイア』のような長大な叙事詩をつくりあげた詩人をホメロスとするという考え方があります(Cf. Hainsworth, J. B., The Idea of Epic. Berkeley, 1991 etc.)。このホメロスをいつ頃の詩人とするかという議論も、口承叙事詩の長い伝統と文字として定着されたテクストとの関連など、古代ギリシアにおけるアルファベットの導入・普及や書記技術といった「文学」外の問題も絡んできて定説がありません(Cf. Janko, R., 'The Homeric Poems as Oral Dictated Texts', Classical Quarterly 48 (1998), 1-13 etc.)。紀元前8世紀と推定する学者が多いといえますが、もっと後代、たとえば680〜660年を主張する学者もいます(Graziosi, B., Inventing Homer: The Early Reception of Epic, Cambridge, 2002)。したがって、ある風俗を取り上げて、ホメロスの作品が描く世界に、どの時代がどのように反映しているかという議論も(たとえば、土葬と火葬の混在をどう理解すればよいかということも)、さまざまな論点が輻輳して一筋縄ではいきません。

 ご関心に最も直接的に関わる論考は、M. I.フィンリー(下田立行訳)『オデュッセウスの世界』(岩波文庫 1994年)ではないでしょうか。「家族・親族」といった社会構造の一面から「道徳と価値」といった心性の問題まで論じています。1954年刊行された原著の四半世紀後の第二改訂版(1979年)の翻訳なので、原著に対する批判を踏まえたフィンリーによる論考「補遺I『オデッュセウスの世界』再見」や「関連書籍寸評」なども含まれていて、この一冊だけでも多くを学べます。しかし、この古典的な研究に極めて懐疑的な立場もあります(Cf. Snodgrass A.M., 'An Historical Homeric Society?' The Journal of Hellenic Studies 94 (1974), 114−25)。

 『オデュッセウスの世界』は「歴史的」研究といえますが、『イリアス』や『オデュッセイア』は「神話的=物語的」要素をも含む叙事詩です。たとえば、前者(第19歌)では名馬クサントスが語りますし、後者(第9歌)ではパンを食べない(=「野蛮な」)隻眼の巨人が羊や山羊を牧場で家畜として飼うこと(=「文明的」な営為)をしています。そうした叙事詩の世界に、どの時代の何がどう「反映」しているかという問題を、(作品解釈の前提として)どう議論するかについては、久保正彰『「オデュセイア」伝説と叙事詩』(岩波書店 1983)「第一章 時間と海のひろがり−−年表を中心に」(3−72頁)、川島重成『『イーリアス』ギリシア英雄叙事詩の世界』(岩波書店 2004)「第一講 1古代ギリシアの英雄叙事詩〜2歴史的背景」(3−24頁)が参考になるかも知れません。

 「死生観」については、川島重成(1986)『西洋古典文学における内在と超越−−ホメロスからパウロまで−−』(新地書房)所収の「第一章 ホメロスにおける生と死の諸相」(3−19頁)が論じています。 短いエッセイにVernant, J.-P., Death with Two Faces : in Schein, Seth L.(ed.), Reading the Odyssey: Selected Interpretive Essays, Princeton, 1996, 55−61が、本格的論考にSourvinou-Inwood, Christiane, 'Reading' Greek Death: To the End of the Classical Period, Oxford, 1995などがあります。

 「女性観」については、ホメロスの描く世界の女性を主題的に論じているわけではありませんが、桜井万里子(1992)『古代ギリシアの女たち:アテナイの現実と夢』(中公新書)やFantham, E., Foley, H. P., Kampen, N. B., Pomeroy, S.B., Shapiro, H. P. (eds.), Women in the Classical World: Image and Text, New York: OUP, 1994といった論集で学べます。

 「海外認識」というご関心からは少し逸脱するかも知れませんが、古代ギリシア人対「バルバロイ(異民族)」という枠組みでの論考は多々あります。ポール・カートリッジ(橋場弦訳)『古代ギリシア人:自己と他者の肖像』(白水社 2001年)には、「第三章 異邦の知−−ギリシア人対異民族」、「第四章 歴史とジェンダ−−男性対女性」といった章があり、ホメロスを主題的に論じているわけではありませんが、参考になります。ホメロスの異民族理解について、この本は「ホメロスには、異民族に対する自民族中心的で侮蔑的なステレオタイプ化の痕跡は、ほどんど、あるいはまったく見いだせない。事実ホメロスが(カリア人をバルバロイと呼んだ例の箇所で)バルバロスという語を用いている場合、それは実際にたんに記述的な意味で用いているにすぎない」(77頁)といっています。

 この問題と関連するのですが、「古代ギリシア人はギリシア語以外の言語ができたのか」という問いがあります。『オデュッセイア』第17歌に、予言者、医師、大工、楽人なら「他所(よそ)から他国人を呼んで来る」かも知れないが「乞食」などを招く者はいない、と豚飼いのエウマイオスがいう場面があります。ここでは、異なる方言を話すとはいえ同じギリシア語圏からくる人たちのことをいっていると考えられます。しかし、この豚飼はイタケでオデュッセウスに仕える以前は、ある島の王の息子として育ち、幼少期の子守としてはシドン生まれの大金持ちの娘であるフェニキア人があてがわれたという設定になっています。この王と息子と子守は何語で話したのでしょうか。このフェニキア人女性がギリシア語を話したと考えればいいのか、叙事詩の、それも架空の島の話でそんな現実的な事柄は考えなくてもいいのか。上であげられている他国人のリストにはありませんが、ギリシア以外の地で「傭兵」として働くのにギリシア語以外の言語を話せる必要があると思われるのですが、ある歴史学者によれば、ギリシア人はギリシア語以外の言語はできなかったとされています(Momigliano, A., 'The Fault of the Greeks', Daedalus 104 (1975), 9−19)。

 「風俗」というご関心のうち「食」については、丹下和彦『食べるギリシア人−−古典文学グルメ紀行』(岩波新書 2012年)が、ホメロスの作品もとりあげて論じています。少し前の論集になりますが、Fowler, R. (ed.) (2004), The Cambridge Companion to Homer. Cambridge, 2004には、Gender and Homeric epic (by Nancy Felson and Laura M. Slatkin) 、Homer's society (by Robin Osborn) といったご関心に沿うだろう論考が含まれています。

 「研究」の範疇に入らないかも知れませんが、ホメロスの作品は、すでに古代から論じられています。プルタルコス/ヘラクレイトス(内田次信訳)『古代ホメロス論集』(京都大学学術出版会 2013年)所収の「プラタルコス ホメロスについて II」(17−274頁)は、古代における論考の一例です。近代の論考から一例をあげれば、J・ブルクハルト(新井靖一訳)『ギリシア文化史 第三巻』(筑摩書房 1992年)「第七章 詩歌と音楽 第一節 原初、 第二節 六脚韻(ヘクサメトロン)の詩歌 1 ホメロスの叙事詩 2 ホメロスとギリシア人」(81−142頁)、同『ギリシア文化史 第四巻』(筑摩書房 1993)「第九章 ギリシア的人間とその時代的発展 第一節 序説 第二節 英雄(ヘロス)的人間」(3−85頁)は示唆に富みます。

 ご質問の関心の外延と内包を拝察しますと、以下の著作(2冊)に含まれるホメロスの語彙に関連した考察は、間接的ではありますが、有益だろうと信じます。エミール・バンヴェニスト(前田耕作監修 蔵持不三也・田口良司・渋谷利雄・鶴岡真弓・檜枝陽一郎・中村忠男共訳)(1986)『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集 I 経済・親族・社会』(言叢社)、エミール・バンヴェニスト(前田耕作監修・安永寿延解説 蔵持不三也・田口良司・渋谷利雄・鶴岡真弓・檜枝陽一郎・中村忠男・松枝到共訳)(1987)『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集 II 王権・法・宗教』(言叢社)。

 また、ご質問からは、歴史的興味のみならず現代的関心からホメロスの叙事詩にアプローチしている姿勢が伺えます。最近、Black Lives Matter という運動が世界的に盛り上がりましたが、英語圏で少し前に一般読者向けに刊行された本に Nicolson, A., Why Homer Matters, New York: A John Macrae Book, 2014があります。著者はギリシア語でホメロスを読み、ホメロスに関する基本的な学術的文献にも目を通した上で書いています。これを読むと、欧米では、学術的知識(の蓄積)が学者個人の私的な趣味などではなく、共同体にとっての公的な共有財産とみなされていて、それを反映した書かれたホメロスの叙事詩についての本が現在でも一般読者に関心をもって読まれているという羨望を禁じえない状況を垣間見ることができます。

(回答者:荒井直)

2020/11/17