Q&Aコーナー

質問

名前について質問なのですが、「ギリシャ」と「ギリシア」、どちらが正しいのでしょうか?
綴りは「ギリシア」だが発音は「ギリシャ」という話も聞いたことがあります。
何か基準があるのでしたらお伺いしたいです。

(質問者:YoshiCIV 様)

回答

 ご質問有難うございました。

 (1)ギリシャ/ギリシアの前に少しおさらいをしておきますと、ギリシア人自身は自国のことをHellas(ヘッラス、ヘラス)と呼び、中国語はそれを希臘(ピン音:xila. シーラー)と表記したので、日本でもそれが使われます。Hellasはもと一地域(エペイロス地方ドドナ辺り、テッサリアの都市、アキレウスの住地等)の名称だったが後にギリシア全体を指すようになるのは、我が大和地方(奈良)が日本全体に拡大されるのと似ています。一方、これまた一地方(エペイロス地方ドドナの辺り?)の住民 Graikoi(グライコイ)がヘレニズム時代(アレクサンドロス大王以後)にギリシア人全体を指すようになり(ストラボン『地誌』1.2.39が引くカッリマコスがこれを使用)、ローマ人はそれを継承します(プルタルコス『対比列伝』中「大カトー伝」9、「キケロー伝」5などに用例)。

 (2)ギリシャ/ギリシアの呼称はポルトガル語 Gréciaに由来すると言われますが(Wikipedia)、ギリシアを表す日本最古の文献、キリシタン版『エソポ物語』では「ゲレゴ(Grego)の言葉」とあります。序でながら、ギリシャ/ギリシア/希臘に落ち着くまでの試行錯誤を瞥見しておきます。典拠は渡邊雅弘編『日本西洋古典學文獻史 −−切支丹時代から昭和二十年までの著作文献年表−−』です。

・享和1(1801) 山村才助『西洋雑記』4巻4冊(巻1「厄勒察亞(発音?)國の大君の説」、巻2「ギリーキ國の名畫の説」
・文政7(1824)頃? 宇田川榕庵『厄利齊亞字音考』(ギリシア文字24音とオランダ文字26音の対照表)
・嘉永4(1851) 箕作阮甫『八紘通誌』6冊(巻3「厄勒祭亞(発音?)」あり)
・発行年・執筆年不明 高野長英「三兵答古知幾」(「厄勒西亞(ゲロシア)」)
・明治2(1869) 中外新聞(第2次)8/26 「天晴れエクサンクロペヂア」(希臘語)
・明治5(1872) 星亨『偉績叢傳』(巻6「希臘國詩家ホモル、同學士ソクラテイズ、同學士プラトー、同學士アリストトル、羅馬國學士シセロ」
・この後、希臘に落ち着くようです。

 (3)さて、ギリシャかギリシアかについて、呉茂一先生はどこかで「ギリシアでなければならない」と書いておられましたが、その論拠は忘れました。多数決を取るわけではありませんが、まず試みに手許の書名を並べてみます。(大文字小文字にもご注意下さい)

澁江保『希臘羅馬文学史』博文館、1896(電子ブック)
田中美知太郎・松平千秋『ギリシア語入門』岩波全書、1951
呉茂一『ギリシア神話』新潮社、1956
新関良三『ギリシャ・ローマの演劇』東京堂、1960
高津春繁『ギリシア文学論集』筑摩書房、1975
久保正彰『ギリシァ・ラテン文学研究』岩波書店、1992
藤縄謙三『ギリシア文化の遺産』南窓社、1993
岡道男『ギリシア悲劇とラテン文学』岩波書店、1995
沓掛良彦『ギリシアの抒情詩人たち』京都大学学術出版会、2018
逸身喜一郎『ギリシャ・ラテン文学』研究社、2018
 この420頁に著者が「ギリシャ」を採る理由が記されています。
外務省の国名表示 ギリシャ

 (4)ギリシャ派は実際の発音がこれに近いということを理由に挙げます。一方ギリシア派は、(a)厄勒察亞、厄利齊亞、厄勒祭亞、厄勒西亞等の表記の伝統に連なると考えられる、と同時に、(b)ギリシア文学に頻出する –ia に終わる地名(アカイア、アルカディア、エウボイア、テッサリア、マグネシア、モロッシア 等々)に引きずられて、あるいはそれとの表記上の統一を意識してギリシアと表記するのではないか、と考えられます。これは私たちの推測でしかありませんので、言語学的に説明のつく基準をご存じの方はお知らせ下さいますよう。

(回答 HP運営委員会)

2019/06/19
2019/06/22(改訂版回答)